....4年前、世田谷区民会館に停車中のバスの中で地震にあいました。
車のサスペンションのおかげで、ものすごい揺れで...目の前にあったスーパー・サミットの衣料館の土台が少し崩れていたようです。役所からたくさんの人が飛び出してきて「バスの中の方が安全ですよ!」と叫ぶも、パニックになっていた方々の耳には届かなかったようでした。
すぐ先の世田谷線の踏切が上がらなくなり、そのまま3~4時間路上待機。仕事場にも連絡がつきません。やっとのことで仕事場からの援軍?が来て、別ルートで車庫に戻り、遅い昼飯。そして...つきっぱなしのテレビを見て、凍りつきました。
それから、8時頃からもう一度ハンドルを握り、車を出したあとは、もう、大渋滞と帰宅難民のたくさんのお客さんを乗せる未体験の出来事となり...再び車庫に戻ったのは夜中の3時でした。
その半年後。
ご縁あって、初めて訪問した岩手県宮古市。
驚いたのは...あの日、最初にテレビ画面で見た街が、まさしくその、宮古市の映像だったのです。
街に渡る大きな橋が、とても印象に残る景色。
そして向かった、初めての訪問地~重茂・重茂児童館。
美しい海と、山々。
初めて訪問した宮古は、悲しいほど美しいところでした。
それでも巡る季節の生命力と、痛々しい出来事の痕跡のコントラストが、、、さらに胸を締め付けてきました。
そこで出会えた人たちは、みな強く優しく。
ご自身も大変なのに、周りの方を励ましながら...そんな素敵な方々ばかり。
自身の有り様を恥ずかしく思うばかりなくらいでした。
ついこないだ、ながらく人工透析をされながら、くらしておられる方と、たくさんお話をする機会がありました。何の流れからか、この日の話になり...
「その時私はちょうど透析中でした。そして、画面に映っていた光景を見、、、なぜこんな無力な自分がこうして生きていて、健康で世の中の力になれる方が命を奪われなければならないのか...そんなことをただただ、動くこともできないまま考えていました」
と、話してくれました。
その方は今、同じような病気を持つ方のために何かできることをやろうと、立ち上がっておられます。
この数年、何度もお邪魔した東北で、たしかに、こちらが教えてもらうこと、気づかせてもらうこと、そんなことばかりだったように思います。
こうして「生かされていること」を、忘れないように。
そして教えていただいた、お金でもない、モノでもない...人のぬくもりと、生きる力の意味を、けっして忘れないように、この時の流れの中で生かしていただいてきたことを、きっと、忘れないように。。
そして、どうか、やすらかに、やすらかに。
訪れた町や村、海は...ほんとうに、本当に美しいばかりの秘境。
ありがとう。
おんころころ せんだり まとうぎ そわか
おんおろころ せんだり まとうぎ そわか
おんころころ せんだり まとうぎ そわか
すこやかに、すこやかに、、
やすらかに、やすらかに、、
そして、どうかもう、二度とこんなことが起きませんように。。。
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