このちっちゃなウクレレという楽器は…本当にたくさんのことを教えてくれる。
このところ、すっかりソプラノウクレレ遊びに夢中なのですが😂…まぁ、なんと奥の深いこと。。。
この二、三ヶ月の間だけでも、とてもたくさんのことを発見させてもらったよ😳✨
バンドを諦め、いったん営業職について3、4ヶ月経った頃…当時モデルチェンジしたばかりだったコアロハのコンサートウクレレが、営業先の調布駅前の不動産屋帰りにぷらっと立ち寄った、パルコにあった楽器店に吊るしてあったのだ。。
全く予備知識もなく、大学の頃の音楽サークル仲間がフェイマスを弾いていたことがあって、それを触らせてもらった程度。
それが、、、
コンサートっていうサイズも知らないし、ただただ、あんまり綺麗な形だったから(大きかったのね、ひと回り)、とにかく触らせてもらったら…なんていい音😳…
そのままカードローン組んで買ってしまったのでした😂💦
それからというもの。
ウクレレが引っ張ってくれるのか、、、
自分の中の何かがウクレレを求めていたのか、、、
すべてここから…そしてこの楽器のご縁で紡がれた出会いや出来事の中から、音楽が…ステージがまわってゆく。。
そもそもギターにも、自分のスキルに限界を感じていたし…曲作りもできなくなっていたし、とにかく全部に行き詰まりを感じていたことを…この楽器ときたら!その可愛らしいフォルムと、美しく儚い音色、そして…圧倒的に「音が足りない」感で、かるーく飛び越えるヒントを与えてくれたのでした。。。
和音は完全に全ての音を鳴らさなくても、全体でそう聴こえるでよいことがわかったし、
伸びない音を無理に伸ばせないから「間」を覚えたし、
つよく弾きすぎるとすぐに音が汚くなってしまうこともわかった…つまり、力を抜くことを教えてくれたし、、、
あまりたくさんの情報があると途端に自らを見失ってしまうような、ぼくの性格には…とにかくぴったりの性格の楽器だったのです。。
足りないから、工夫したり、頭の中でなってない音を鳴らしてみる、
セオリー通りでない形でコードフォームを探してみる。。
今の時代、なんでもネットで共有できるようになった。。
この10年から15年で、圧倒的にそうなった。
さらにこのコロナ禍で…それが加速した。
ひとはそもそも、誰しもがそんなにたくさんの情報やデータを処理できるほどのセンスや能力を持っているのだろうか?
若い世代の人たちは、これがスタンダードで、そこから世界が始まってゆく。
ぼくらにはない能力を秘めていることももはや感じているのだけれど…
その一方で、処理しきれない情報や、出先のわからない批判に耐えかねてしまったり、
逆にまよってしまったりしてしまうひともたくさんいるのだと思う。。
きっとぼくもそんな1人だと思うんだよね。。
ウクレレってさ、
そのありようそのものが、あるひとつの答えを提示してくれてあるような、そんな気がするのです。。
不完全で、それでいいのではないかしら。
完璧なハーモニーを奏でる必要は決してなくて…それは、足りないことは他の人が音を出してくれたらいいかもしれないし…足りないからこそ、そこは工夫してみたらいいのかもしれないしね。
去年はコロナショックで、譜面に向かい合う時間も多くて、オンラインなんかで発見したこともたくさんあってさ。
採譜するときに、もっと的確に…というか確信に近い音を、リズムを、シンプルにして落とし込んでいかないといけない気が、とてもしたのです。
それでね、
ソプラノをつかってアレンジしたり、採譜したりすると、、、テナーウクレレに比べたらうんと不自由なもんだから、確信に迫らざるを得ないし、シンプルにならざるを得ない…
またまた、ウクレレの中でも、
よりいっそう足りない感?満点のこの一番ちいさなウクレレに教えてもらっている気持ちです☆
ほんと、奥が深い…どこまでも。
このところ、すっかりソプラノウクレレ遊びに夢中なのですが😂…まぁ、なんと奥の深いこと。。。
この二、三ヶ月の間だけでも、とてもたくさんのことを発見させてもらったよ😳✨
バンドを諦め、いったん営業職について3、4ヶ月経った頃…当時モデルチェンジしたばかりだったコアロハのコンサートウクレレが、営業先の調布駅前の不動産屋帰りにぷらっと立ち寄った、パルコにあった楽器店に吊るしてあったのだ。。
全く予備知識もなく、大学の頃の音楽サークル仲間がフェイマスを弾いていたことがあって、それを触らせてもらった程度。
それが、、、
コンサートっていうサイズも知らないし、ただただ、あんまり綺麗な形だったから(大きかったのね、ひと回り)、とにかく触らせてもらったら…なんていい音😳…
そのままカードローン組んで買ってしまったのでした😂💦
それからというもの。
ウクレレが引っ張ってくれるのか、、、
自分の中の何かがウクレレを求めていたのか、、、
すべてここから…そしてこの楽器のご縁で紡がれた出会いや出来事の中から、音楽が…ステージがまわってゆく。。
そもそもギターにも、自分のスキルに限界を感じていたし…曲作りもできなくなっていたし、とにかく全部に行き詰まりを感じていたことを…この楽器ときたら!その可愛らしいフォルムと、美しく儚い音色、そして…圧倒的に「音が足りない」感で、かるーく飛び越えるヒントを与えてくれたのでした。。。
和音は完全に全ての音を鳴らさなくても、全体でそう聴こえるでよいことがわかったし、
伸びない音を無理に伸ばせないから「間」を覚えたし、
つよく弾きすぎるとすぐに音が汚くなってしまうこともわかった…つまり、力を抜くことを教えてくれたし、、、
あまりたくさんの情報があると途端に自らを見失ってしまうような、ぼくの性格には…とにかくぴったりの性格の楽器だったのです。。
足りないから、工夫したり、頭の中でなってない音を鳴らしてみる、
セオリー通りでない形でコードフォームを探してみる。。
今の時代、なんでもネットで共有できるようになった。。
この10年から15年で、圧倒的にそうなった。
さらにこのコロナ禍で…それが加速した。
ひとはそもそも、誰しもがそんなにたくさんの情報やデータを処理できるほどのセンスや能力を持っているのだろうか?
若い世代の人たちは、これがスタンダードで、そこから世界が始まってゆく。
ぼくらにはない能力を秘めていることももはや感じているのだけれど…
その一方で、処理しきれない情報や、出先のわからない批判に耐えかねてしまったり、
逆にまよってしまったりしてしまうひともたくさんいるのだと思う。。
きっとぼくもそんな1人だと思うんだよね。。
ウクレレってさ、
そのありようそのものが、あるひとつの答えを提示してくれてあるような、そんな気がするのです。。
不完全で、それでいいのではないかしら。
完璧なハーモニーを奏でる必要は決してなくて…それは、足りないことは他の人が音を出してくれたらいいかもしれないし…足りないからこそ、そこは工夫してみたらいいのかもしれないしね。
去年はコロナショックで、譜面に向かい合う時間も多くて、オンラインなんかで発見したこともたくさんあってさ。
採譜するときに、もっと的確に…というか確信に近い音を、リズムを、シンプルにして落とし込んでいかないといけない気が、とてもしたのです。
それでね、
ソプラノをつかってアレンジしたり、採譜したりすると、、、テナーウクレレに比べたらうんと不自由なもんだから、確信に迫らざるを得ないし、シンプルにならざるを得ない…
またまた、ウクレレの中でも、
よりいっそう足りない感?満点のこの一番ちいさなウクレレに教えてもらっている気持ちです☆
ほんと、奥が深い…どこまでも。
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