Yamaguchi-Takuto 音楽と調律 

仕事 ;ピアノ調律・修理・販売
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趣味 :音楽 ギター 作曲 弾語り

私の 歌詞 集

2014-08-17 18:59:46 | 音楽

私の 詩集 二十歳の頃から かき貯めた 詩 と言うより 歌詞
詩を、書くのは 苦手 文章そのもの読んだり書いたりするのは 苦手です。
しかし、歌いたい 自分の想いを ぶつけたい …と言う思いから書き留めたものです。 他にも 幾つか在るが、これだったら 人前に出しても…と思った歌詞を載せてみました。


旅立つ 君に

君の香りがほのかに残る
旅立つ人の 後ろ姿に
淡い想いで ほのかに残る
さよなら の言葉は 君の優しさ⁈

☆ 人は誰も 出会いと別れの 中で 戸惑うけれど
そこに 愛が生まれる Hooo

I Say good by goodby new
I say Goodby goodby you

君が暮らした この町並みにも
何時ものように 沈んで 行くけど
僕の 心に ほのかに浮かぶ
君の 微笑みと ほろ苦さ

☆ ーRepeatー
I say goodby goodby you


冷たい 椅子

いつでも あなたが すわってた
小さな 小さな あの椅子
今は 誰も すわっていない

真冬の 夜明けの 光りで
冷たい 椅子には…僕の
黒い影が 映って いるだけ

☆夢は 遠い むかしに
捨てた はずなのに
今も 忘れられない

あなたの 暖かな こころが
ほしくて 逢いに 来たけど
今は 誰も すわっていない

☆ーRepeatー


夏の終り

夏の終わりの 寂しさは 砂にまみれたサンダルと
君の肩に残ってる 水着の 日焼けあと

過ぎ行く 季節の 中で 君を愛して 燃え尽きて
今 感じるものは 君の 優しさ

遊びつかれて 砂浜で 方を並べて 寄り添えば
冷たい言葉と 裏腹に 差し出す 君の 指先

過ぎ行く 季節の 中で 君を愛して 燃え尽きて
今 感じるものは 君の 優しさ
ただ それだけで良い
ただ それだけで良い


むらさきの 空

むらさきの 空が 落ちてくる
おまえの髪が 揺れていた
小雨に煙る 街灯り おまえの 瞳に 映る

小きざみに 震える 小さな声で
ただ「さよなら」と 追い詰めて おまえを
追い詰めて 心が つかめるものなら

☆掌から こぼれる 砂のように
去って行く 後ろ姿…何も云えずに

むらさきの 空が 何処までも 続く
独り 見上げていた 小雨に 煙る
よいやみの街に 独り たたずむ

ーInste ー
☆ ーRepeatー

むらさきの 空が 落ちてくる おまえの
髪が 揺れていた
追い詰めて おまえを 追い詰めて 自分を

何の 為に・・・
誰の 為に・・・


あの日の涙

君が流した あの日の涙 空の青さが とても切なくて
届かぬ想いは 胸を駆け巡り 言葉にならず
ただ君だけを 見つめていた

あの日の涙 いつでも僕の 心の何処かで 一筋流れて
自分の弱さに 気付かないまま 時は過ぎ行く
君の笑顔がとても懐かしい


季節は移り 独り街角で 枯葉の囁きに そっと振り向けば
遠いあの日の 君と僕がいた 黄昏の中
今なら解る あの日の 涙


隙間

哀しみだけ置き去りにして 時は過ぎ去り
やり場のない 愛しさは ふるえている

いつでも 明日は あるものだと
空の 向こうに 明日はある と
そう 思い込んでいた

わけもなく 黄昏の 空を見ていた
いくども いくども ひろがる 泪

まるで他人事の様に
まるで 何も なにも無かった様に
沈んむ 夕陽

明日の 光りも 鼓動も 闇の中
時は… 止まって しまった

✳︎何の 歌詞にも メロディー付いているか 作曲途中です。

 

 

 

 


アグラフ 老人ホーム で奏でる!

2014-06-30 15:13:59 | 音楽

先日、久々の ハワイアン歌謡 バンドアグラフ(ピアノの部品の名称 。メンバー全員が調律師 と言うことでピアノに因んだ名前にしました。)
の演奏を老人ホームクオレ西淀川で演奏をして来ました。
曲目
オープニング曲 ・霧のカレリア(スプートニクス)
・南国の夜
・ベサメムーチョ
・幸せはここに
ハーモニカ演奏
・憧れのハワイ航路
・高原列車は行くよ
ー みんなで歌おう ー
・月の砂漠
・有楽町で会いましょう
・トロイカ
・カチューシャ
・リンゴの唄
・故郷
・・・・他
ー アンコール ー
・北上夜曲
以上 20数曲程
・エンディングテーマ曲 霧のカレリア
いつもの事では あるのですが、下手な演奏⁈
でも 皆さん 大きな声で、楽しく歌って頂きました。

 

 

写真: アグラフのメンバー 文章 とは 関係のない場所です。

 


ギターのフレット

2014-06-15 11:33:12 | 音楽

ギターのフレット

ギターのフレット
時々 無性に 理屈を こねたくなります。今回はギターのフレットについて こねようと思います。
フレットのある弦楽器は、一般的にみんなそうなのですが 12平均率で割ってあります。低い音から高い音にかけて だんだん間隔が狭くなっています。
ギターの弦の長さ 私が 持っているギター62.8cm (弦が振動する長さ・長いもので64cmぐらいのもあります。)で、この長さで計算すると、コマから 開放弦(0フレットまで)62.8cm→半音高い音は59.28cm もう半音高い音55.948cm ・・・という具合にだんだんみじかくなって12フレットの所で丁度半分の31.4cm オクターブ高い音になります。
この関係は、弦長と周波数は反比例の関係になるからです。
さらに例えば、ギターの第5弦 でいうと、
開放弦 62.8cm A=110Hz (小数点以下3桁四捨五入)
1フレット59.28cm B♭又はA♯=233.08Hz
2フレット55.948cm B(H)=123.48Hz
3フレット52.81cm C=130.82Hz
・・・・・・・・
12フレット31.4cm A'=220Hz
更にもっと例えると
ギターを少しかじった方なら分かると思うのですが、ハーモニックスというのがあります。

例えば5弦の5フレットと4弦の7フレットの真上そっと触れげんを弾くとかん高い音で同じ音程の音が 聞こえます。
これは、倍音の成せる技 5フレットの位置は弦長(62.8)の4分割 3/4にあたります。
同様に7フレットのいちは 3分割 2/3にあたります。
正確に言うとフレットと分割点の位置は微妙にずれています。(2分割の1/2は除く)
これが、純正律と平均律の誤差になるわけです。


倍音: 5フレットのあたり4分割 開放弦の周波数110Hz(5弦)反比例なので110×4=440
ハーモニックスの周波数440Hzとなります。
4弦(D=146.83)の7フレット 3分割 146.83×3=440.49ハーモニックスの周波数
440.49Hzとなります。 この0.49の違いが ウルフ(唸り:一秒間に0.98回の唸りが出る)となって現れます、これが平均律の差なのです。

さらに 更に 例えば
第2弦(B)と第3弦(G)との 長3度
純正律の長3度 : G(195.99Hz)から純正長3度B(244.99Hz)
Gの5倍音は G195.99×5=979.95
Bの4倍音は B244.99×4=979.95
979.95-979.95= 0 (周波数差が唸りという 物理的 現象がおこる、従って純正律では唸りが 起こらない)
平均律の長3度 : G(195.99Hz)から平均律長3度(246.94Hz)
Gの5倍音=979.95
Bの4倍音=987.76
987.76-979.95=7.81
したがって 3弦Gと2弦Bの間に毎秒7.81回の唸りが起こります。

ギターのフレット、いつ頃から平均率になったのか?

ギターの前身 リュート 現存するんもの 描かれているものを見ていると可動式のフレット 平均率の固定のもの両方あります。

いつごろから??

 

 

 


お菓子と娘

2014-06-08 23:07:13 | 音楽

お菓子と娘
日本歌曲集の中にある曲 作詞 西条八十 作曲 橋本国彦
燕が飛び交う 季節 になるとこの歌を思い出します。
この歌 気になる所が幾つかあります。

まずは、「腰もかけずに むしゃむしゃと
食べて口拭く 巴里娘 残るなかばは 手に持って・・・」
今の 日本なら さして珍しくない 光景だが 当時(西条八十が、フランスに留学した頃 大正のえ終わりから 昭和初期?)の 日本では 考えられない光景なのでは と思ってしまいます。
彼は、決して 巴里娘の行儀の悪さを揶揄しているのではなく当時のパリの町の自由な雰囲気を表現したのだろうと。

その時代 私自身まだ生まれていないので、よくは分からないが 大正デモクラシーと云われる時代 戦前日本の中でも自由な雰囲気があったとか。。。

そこで、一番最後のフレーズ「 ラマチーヌの 銅像の肩で燕の 宙がえり」と来るので ラマチーヌ?・・・ 自由の国フランス=ラ・マルセーユの別名又は関連の人 ぐらいに思っていましたが 、どうやら違うようです。
調べてみると
【アルフォンス・ド・ラマルティーヌ(Alphonse Marie Louis de Prat de Lamartine, 1790年10月21日マコン - 1869年2月28日パリ)は、フランスの詩人、著作家、政治家。ロマン派の代表的詩人で、フランスにおける近代抒情詩の祖といわれ、ヴェルレーヌや象徴派にも大きな影響を与えている。また2月革命前後に政治家としても活躍した。】 ー ウキペディアよりー
ではないか と推測する?
西条八十 自身パリへ留学して、異国の文化にふれ 多いにカルチャーショックを受けたのだろう・・・と 想像するだけで ワクワクしてしまいます。
現代の様に 飛行機でひとっ飛びという訳にはいかない時代 船や列車で何日も揺られてやっと目的地へ到着する。
辛いこともあっただろうけど 移動している間ワクワクする時間も長かったのでは・・・と。
曲調も明るく自由な展開で、例えば時代は違うが 滝廉太郎の「荒城の月」典型的な二部形式に比べて最初のモチーフを繰り返し展開する、どちらも素敵な曲だと思うが、当時の彼らの心意気が感じ取れます。

 


唯一の師匠

2013-12-26 21:57:40 | 音楽

14歳の頃、ザ・ビートルズ やザ・ベンチャーズとか 同級生が古賀メロディーを弾いていて それを見よう見まね 家に帰ってからボロボロのギターで…あぁでもないこぉでもないと勉強そっちのけで掻き鳴らしていた。
初めは、ベンチャーズ のパイプライン ダイヤモンドヘッド・・・と耳コピで 《今みたいにC.Dとかアイポッドなんか なかったので、ラジオの前に座り込み 聞こえてくる気に入った曲が流れて来ると その曲を必死に聞く!目的の曲がかからないとその曲はなかなか覚えられない》
学校で 友達とお互いに耳コピして来た曲の答え合わせ、そうこうしているうちに
バンドを結成!「ザ・ホビーズ」と名ずけ、いろいろ手掛けたが 当時グループサウンズが盛んで その中でザ・ランチャーズの「真冬の帰り道」することになり、私は
ベースを担当し 自分のパートは勿論 リードギター・コーラス・・・と必死に耳コピしたものでした。
それが、後に大きな力になりました。
それから、ローリングストーンズ ビートルズ キャロルキング ビートルズ・・・と
やりたいと思った曲は ほとんど、耳コピで覚えましたした。
今 思うと間違って覚え込んでいるものも結構ありましたが、そのことで 大体のコード進行を頭に叩き込むことができました。

高校を卒業して、調律の勉強をするために、研究生として浜松の東洋ピアノという所で修行はじめました。
そこで、知り合った 元JAZZマン(M氏)と知り合い 彼からいろんな音楽の話しを聞くというより聞かされる、教えると言うよりは 一方的に喋り捲る~あるときはモーツアルト あるときは ドビュッシー・管楽器について・弦楽器について 、特にjazzの話は、リズム・jazz和声 テンションコード・アプローチノート・ベースライン・・と
彼は、とくに「対位法」に関しては熱っぽく語り・・・長い夜は更けてゆくのでした。
19歳の僕には、ほとんどのことが訳がわからず…しかしながら さして苦にならず
まるで、神の言葉を聴くように 彼の姿は後光がさしていた。
だから師匠というより「神さマン」でした。

それでも彼は、当時流行ってた「イパネマノ娘」のコード進行を題材にレクチャーしてくれおぼろげに理解?理解したのだ。
ーー 4度進行と 半音上はドミナント 半音下はサブ ドミナント ーー
今は、何と無く分かるが、当時は半信半疑 ・・・師匠とは 呼べないが、以降 独学
をする時の指針となりました。

25歳の頃、作曲の勉強がしたくて音大へ行こう!と思いたち ピアノを買いバイエルからレッスンを始め週に一回作曲の先生のところへ期待に 大きく胸を膨らませて、通い始めました。
が、しかし 音楽の話はせず 、以前専属をしていた 某レコード会社の時に採用された曲の自慢、デレクターの悪口。
如何に アロハシャツが素晴らしいか、そんな話の間に、オブリガードの正しい付け方・・・アァついてゆけない!
また 宇宙人とコンタクトとるには、体に電気を蓄えなくては…と言ってコンセントに指を突っ込むーつっこむ!?
素晴らしい‼︎⁇師匠でした。
それでも、音楽の形式、4声部の和声をしっかり訓練すること、限られた音の中で、どれだけ可能性があるか、どう組み立てるか・・・。
そう思うと 、前半の 寄稿 も(既成概念にとらわれない様に。)と言う教えと解釈出来ないとも言えないのです。
イヤー今、思うと 愛すべき 素敵な師匠でした。