小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

長岡妙見土砂崩れ現場保存に反対!

2005年05月20日 13時51分46秒 | 新潟県中越大震災・地震
わざと避けてた話題だけどやっぱり書くことにする。
皆川優太ちゃんが救出された妙見の土砂崩れ現場を保存しようという話。

それ「反対」。
家族や友達ともこの件について話をしたけれど、私のまわりでは100%反対。

妙見は長岡市といってもほとんど小千谷。
長岡に行くときには妙見の橋を渡って行くことが多いんだけど、
どうしてもあの現場が気になって気になってしょうがない。
対岸の三仏生のあたりからチラチラチラチラ見てしまう。
生々しすぎるのだ。

別にメモリアルにする必要なんかないんじゃない?
形になんかしなくたってみんなにそれぞれの思いがあるわけだし、
あそこを見たくない人だっているはず。

あそこで九死に一生を得た方が何人かいらっしゃる。
そういう方は「私は助かってしまった」と罪悪感に似たような「心に傷を持ちながら」苦しい思いをしながら『生きて』いらっしゃる。
それを考えるとむしろ「現場保存をしてはいけない」と感じるのだ。
現場を見るたびに我々にははかりしれないような苦しい辛い気持ちになられるのではないだろうか。

土砂崩れ現場をしょっちゅう目の当たりにするのは長岡の人ではなく小千谷市民なのだから、そこで暮らす人々の気持ちも知っててほしい。
県道は必ず作るから、とかそういうことではなくて、あの現場はもう見たくないという人もいるということを。

語弊はあるかもしれないが、”お金がないからいっそのことメモリアルにしちゃえ”という考えだとしたらなおさらだ。



福岡に行った意義

2005年05月20日 02時53分18秒 | 新潟県中越大震災・地震
FBS福岡放送からやっとビデオテープが届いた。
3月30日に福岡の九電記念体育館と県庁を訪問したときにたまたま取材され、その日の夕方にOAされたニュースのダビングテープ。
当日の放送の時間、私はまだ博多駅あたりをうろうろしてた。
新幹線に乗るまでのちょっとした時間 震災つながりで知り合ったNGOの吉椿さんたちと飲んでたんだ。
放送された時間にテレビを見ることができなかったので「テープ送ってください」とお願いし、それが今日やっと届いたというわけ。

テーマは「追跡!街が揺れた いま被災者へできること」

●体育館に畳が運び込まれているあいだ、外でひなたぼっこしてる玄界島の方と談笑してるところ。
●何のためにここへ来たかというインタビューに答えているところ、
●福岡県庁の住宅管理課へ入っていくところ。
●中越の仮設住宅の漏水調査の資料と仮設住民の声をDVD化したものを担当の方に手渡しているところ

が映っていた。

ほんとはね、テレビ出演もいいんだけど、時間の許す限りもっともっと玄界島の島民の方々といろんなお話がしたかったんだよね。
被災してまだ10日くらいで色々不安もあっただろうに、冗談言って笑ったりできるのも楽しかったし、島の人が何を感じてるのか聞けるのがうれしかった。
いっしょに話してたおばあちゃんがちゃんとお化粧して紅い口紅ひいてるのには「素晴らしぃ!!」と思ったなぁ。
私なんてはがれかけた化粧でかえって恥ずかしかったよ~。
「わざわざ新潟から来てくれたの?うれしいね~うれしい」と涙ぐむおばあちゃんの気持ちは私にもよ~~くわかる。
私も震災直後はいろんなことがうれしかったもん。

私たちが神戸のボランティアの方々を心強く慕ったように、私にも何かできることがあるって思って実際行ってみて、島の方たちが「地震の先輩だ!」と笑顔でいろんな話をしてくださって・・・。
ただただ話をきくこと おしゃべりすること
これが本来できる「いま私ができること」だったのかもな・・って 今、改めて思ったな~。

そして仮設住宅の漏水の件でも
行政と業者との間だけの「一般人には見えない話」なんじゃなくて
「あ~~新潟ではこんなことあったんだ~~」って市民レベルまで掘り下げて意識付けできたのならそれはそれで意義があったのかもしれない。
 
福岡のマスメディアがこれからも仮設住宅の取材をするときに頭の片隅にちょっとでも意識しててくれるのならば、私は福岡に行ってよかったと思う。