小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
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うちの町に限って

2007年01月18日 01時22分51秒 | 新潟県中越大震災・地震
阪神・淡路大震災から12年。

1995年1月17日。早朝。
激しい揺れを感じ目が覚めた瞬間「このまま地球は終わってしまうのかもしれない。」と思った。
揺れがおさまりただちにNHKのニュースを見たが、「阪神で大きな地震があり被害がでている模様です。情報が入り次第お伝えします。」くらいの情報だったと記憶している。

そのまま出勤し昼休みにテレビを見たときに愕然とした。

被災した友人には後にいろいろな助言をしてもらった。

水は常に備蓄しておくんよ。家族5人なら2リットルのペットボトル5本はいるよ。
タンスの横で寝たらいけんよ。
ガソリンはいつも半分以上いれておくんよ。

ふんふんときいていた。
そうかそうか、と。

子供が次々に生まれ、生活に追われ、私はいつも毎日毎日のことで頭がいっぱいだった。
防災グッズには関心がありながらも、「また余裕ができたらみてみよ。」と後回しにしていた。

そして・・・。
次にくる大地震がまさか自分の住む小千谷にくるとは夢にも思わなかった。
静岡か首都圏かだとたかをくくっていた。

中越地震があって、福岡西方沖地震があって、北海道でも津波があって。

みんな”そろそろ大きなのがくるんじゃないか?”となんとなく思っていながらも
”まさか自分の町に限って(こないだろう)”
とか
”きたらきたでそのときにならないと実感がわかない”
とか油断しているんではなかろうか。

津波で避難勧告が出ていながらも避難しない人が大勢いるというのも
「こないだも大丈夫だったじゃないか。0.5メートル?今回もたいしたことないんだろ?」と
”まさか”とか”そのときはそのときだ”いう過信があるからだと思う。

これは専門用語で”正常性バイアス”というらしい。
災害が起きたときに”パニックにならないように””冷静に対処しなければ”という心理が過度に働いて、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。たいしたことない。」と危険に対して感度を下げる心理状態になることをいうらしい。

たとえば、避難勧告が出て腰をあげようとしている人に対して、周りの人が「だいじょうぶ!だいじょうぶ!これくらい。」といえば、「そう?だいじょうぶ?そ。。そよね?だいじょうぶだよね?」と腰を下げてしまうという心理になることだと思う。

「2007年に日本国内で大地震が起きると思うか。」

”起きないかもしれないけど、起きてもおかしくない。”
これが大半の答えのような気がする。

災害が起こったときに”冷静でいる”ということの意味をはきちがえずに、大切な人を守る備えをしてほしい。
そのために”1.17”という日があるのだと思う。

それにしてもイヤな事件のニュースばかりがトップニュースにあげられ、阪神・淡路大震災のニュースは少ないように思えた。
この地震大国。
一年に一日くらい、真剣に防災一色の日があってもいいと思うのだが。