文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

「少年キング」版の最終回

2020-03-09 17:30:34 | 第2章

こうした時代の移り変わりを赤塚自身が如実に感じていたであろうことを、作中の登場人物の台詞のやり取りからも窺うことが出来る。

かつて、日本中を「シェー‼」で大席巻したイヤミが、再び「シェー‼」ブームを巻き起こそうと、あの手この手のプロモート活動を展開する「シェーのおしうり」(72年14号)では、おそ松達六つ子兄弟と母親との間でこんなやり取りが交わされている。

「きょうのおやつ なーに?」

「クッキーよ!」

「ケッ!きょうもか‼」

「おれあまいのきらいなの!」

「クッキーなんてクッキーないよ!」

「みんな、晩ごはんぬきよ!」

「あーよかった おれ、ここんとこふとりぎみだから、減量したかったんだ!」

「まぁ このごろのガキのかわいげのないこと‼」

60年代高度経済成長の真っ只中、『おそ松くん』が放った痛快且つエネルギッシュなギャグパワーは、現代っ子のフラストレーションも吹き飛ばす激笑の嵐を巻き起こし、偏差値至上教育の枠組みに身を置くことにより、既に子供らしい輝きを失いつつあった彼らの精神的屋台骨を支えきったと言っても過言ではないだろう。

だが、70年代を迎えると、いつしか時代の空気は、シラケと消費主義が横行する鬱屈感に支配されて行き、赤塚自身、自らをスターダムに押し上げてくれた『おそ松くん』という作品そのものに思い入れが強い分、高度経済成長の燃焼力が燃え尽きた閉塞の季節にあって、かつてのようなモチベーションの高まりを維持出来ぬまま、『天才バカボン』、『レッツラゴン』の二番煎じとして「週刊少年キング」版を自棄的に執筆していたのかも知れない。

そして、73年53号をもって、『おそ松くん』は終了する。

因みにその最終回となった「これでオシマイおそ松くん」のストーリーは、こういうあらましだった。

イヤミが朝、目覚めると、庭に雲さえ突き抜ける程、何処までも伸びる豆の木が生えていた。

好奇心に駆られたイヤミがその豆の木によじ登り、てっぺんまで登り切ると、そこには大男の家があった。

朝から何も食べていないイヤミは、空腹のあまり、家の中に入るものの、巨大なコーヒーカップの中で溺れてしまったり、煙草を吸おうにも、巨大なマッチを擦って大火傷を負ったりと、踏んだり蹴ったりの有様。そんな容赦ない目に重ね重ね遭う中、イヤミはだめ押しにそこに住む大男の尻に押し潰され、思いっ切り放屁を喰らってしまう。

ブチ切れたイヤミが大男を見上げると、その男の正体は、何と原作者の赤塚不二夫本人だった。

イヤミは、赤塚に怒りをぶちまけ、「ミーはもうおまえのマンガにはでてやらないざんす‼」と捨て台詞を吐き、去って行ってしまう。

最後のコマで、赤塚本人が「イヤミはおこってどこかへいってしまいました‼ だからおそ松くんはこれでおしまい‼ ながらくご愛読ありがとう‼」と挨拶を述べて、その幕を閉じるという、観念的なイメージを連鎖反応的に紡いだギャグのチープさと、強引な力業で展開してゆくストーリーのバランスの悪さが徹頭徹尾貫かれており、名作漫画の最終回とは思い難い、画竜点睛を欠く結末となった。

ギャグ漫画は時代を反映し、生み出されるという観点から捉えるなら、「週刊少年サンデー」版の『おそ松くん』と「週刊少年キング」版とを同次元で論じること自体、片手落ちと言えようが、シュールなシチュエーションの枠の中で展開しつつも、起爆力が欠落したダウナーな笑いに終始する一連の「週刊少年キング」バージョンは、かつての「少年サンデー」版を愛読していた読者にとって、そのキッチュな着想も含め、食い足りなかったであろうことは明白だ。

しかしながら、『天才バカボン』、『レッツラゴン』、『ギャグゲリラ』等、アバンギャルドな実験性や破壊性に富んだ傑作、怪作を続々と量産し続けた70年代初頭において、それら作品と同時期に描かれた「週刊少年キング」版『おそ松くん』もまた、その超人的創作活動に立脚し、赤塚ギャグ第三の全盛期の現出を証拠付けるモニュメンタルな一作であったとの見方も出来るのだ。

手塚治虫、両藤子不二雄、石ノ森章太郎、さいとう・たかを、永井豪……。

これらの漫画家が、二一世紀を迎えて今尚、漫画界の巨星として燦然と輝いているのは、その生み出された作品の人気や素晴らしさは勿論として、何よりも、各週刊誌、月刊誌に膨大な数の作品を執筆していたことが最大の理由なのだ。

60年代~70年代は、漫画文化爛熟の時代であり、それこそ流通する全ての漫画雑誌に作品を発表することが、漫画家が第一線で活躍する存在証明であり、大きなステータスでもあった。

赤塚もこの時期、週刊誌五本、月刊誌七本の同時連載を抱え、最高月産枚数三〇〇枚以上というギャグ漫画としては異例とも言える執筆量をこなし、その驚異的な記録は二一世紀になった今でも、破られていない。

『おそ松くん』は、「週刊少年キング」連載終了後以降も、複数の雑誌を流浪し、読み切り、新連載と断続的に執筆を重ねることになる。

「週刊少年キング」版の完結から三年後の1976年、まずは、単発の読み切り作品が、手塚治虫の『鉄腕アトム』や藤子不二雄の『オバケのQ太郎』、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』といったかつての超人気タイトルと一緒に「月刊少年ジャンプ」8月号にて、リレー形式で復活する。

「帰ってきた名作シリーズ」と銘打たれ、リバイバル企画の一環として描かれた本作は、画家としてフランスで成功し、凱旋帰国したデカパンの優雅な生活にコンプレックスを抱いたイヤミが、悪知恵を働かし、デカパン屋敷を乗っ取るという、「週刊少年キング」版同様、完全にイヤミがトリックスター宜しく主役の座をジャックした、定例通りダウナーな世界観が渦巻くドタバタと尾籠の笑いを対象化した中短編だ。

暫しのインターバルを挟み、ギアチェンジして描かれた印象も奏功してか、更に円熟を増した赤塚ギャグの底力を示すとともに、同時期の赤塚作品では既に封印されて久しい、バラエティーに富んだ魅力のキャラクター達が一糸乱れずに繰り広げるアンサンブル的視点に沿ったグルーヴ感が心地好く、恰も『おそ松くん』の本源(「週刊少年サンデー」版)に帰趨したかのような、初期衝動に満ちた活きの良いエナジーをそのドラマ構造に伏在させた珠玉の一作となった。

正規の『おそ松くん』のコミックスには、これまで一度も収録されず、殆ど日の目を見ることのなかった作品だが、独断承知で見解を述べさせて頂くと、「キング」掲載バージョンの全てのエピソードと比しても、群を抜くクオリティーと娯楽性を誇っており、マイナーながらも、なかなかどうして侮り難い存在なのだ。