文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

非日常的な異種混合性 ケムンパス&べしの登場

2020-08-06 08:53:06 | 第4章

ニャロメフィーバーに沸き、俄然弾みを付けた『ア太郎』は、その世界観の更なる拡張と充実を図るべく、多種多様なバイプレイヤーが続々と増殖しては、物語に賑わしい彩りを添える、キャラクター漫画的な趣きを強めてゆくことになる。

当初は、ニャロメのデビューと同じく、コマのスペースを埋めるべく、画面の片隅に唐突に現れては消えてゆくマスコットキャラクター的存在であったが、その綺想に満ちたキャラクターメイクが醸し出す異質な存 在感が読者の関心を引き、瞬く間に赤塚世界のスターダムにのし上がったのが、毛虫の新種・ケムンパスと突然変異で生まれたと思われる蛙型の新生物・べしの二匹である。

ニャロメ同様、ケムンパスもべしも、小動物でありながら、人語を話すなど、高い知能指数を誇るものの、ともに赤塚ワールドにおける弱者の象徴的存在であるが故か、時には、厭世観さえ漂う哲学的見解を呟くことも少なくない。

しかしながら、ケムンパスは、美容のため全身に唐辛子を塗りたくり、また、小生という謙譲語で語るなど、通常の人間以上に美意識が高く、べしにおいても、暴走するニャロメの行動に対し、たしなめる発言をするといった、老成した立ち居振まいが印象的なキャラクターでありながらも、ココロのボスが溺愛している愛娘(?)のヒヨコ・ピヨコに恋心を抱き、留学する彼女を追って、自らも渡英しようとする(「べしの初恋べし」/69年52号)、情熱的な一面も秘めている。

ケムンパスというネーミングは、毛虫と鎮痛湿布薬のサロンパスを重ね合わせて生まれたものだ。

ケムシくん、ケムちゃん……。どうもしっくりくるネーミングが浮かばない。

そんな時、ラジオから久光製薬のコマーシャル「肩にひと貼り、サロンパス」のフレーズが流れ、ケムンパスのネーミングが閃いたという。

語尾に付けた言い回しをそのままキャラクターのネーミングにしたべしは、赤塚が敬愛してやまない映画監督・黒澤明の代表作『七人の侍』のワンシーンから拝借したものだ。

度重なる野武士の奇襲に困り果てた農民達が、侍を用心棒に雇うか否かを水車小屋で語り合う際、それまで沈黙を貫いていた村の長老役の高堂国典が、たったひと言「やるべし」と呟き、決断を下す場面があり、この台詞を大層気に入った赤塚は、この珍妙な蛙の名前に、語尾の「べし」を当て嵌めたそうな。

やがて、ケムンパスとべしに明確な性格付けがなされると、ニャロメとともに原っぱの土管でコミューンを形成し、野良猫、毛虫、蛙と三匹、力を合わせ、助け合いながら生きてゆく。

さながら、その光景は、日本同様にベトナム戦争への反対運動や、人種差別の撤退をスローガンに掲げた公民権運動に沸き立ったアメリカで、新たな価値観や体制批判の在り様を模索し、集産主義的な生活共同隊を営む若いヒッピー達のライフスタイルを照射しているようにも取れ、その一点に関して言えば、プリミティブ・コミュニズムへの原点回帰に着目しつつあった当時の若者達のブレイクダウンした心情を、メタファーとしてドラマに刷り込ませていたようにも感じる。

因みに、ケムンパスやべしといった珍生物に初めて遭遇した時のインパクトを、ムツゴロウ王国の主宰者にして作家でもある畑正憲は、赤塚ギャグのアンソロジー集『赤塚不二夫1000ページ』に寄稿したエッセイ『映像とギャグの王様』で、こう振り返る。

「そして、愕然としたのは、TVの画面にケムンパスやベシ(原文ママ)が出てきた時だった。初めのころ、彼らは、多くを語らなかった。突如というか、脈略もなくというか、ポンと出てきて、

「ケムンパスでやんす」

とか、

「夜はねるべし」

とか喋り、それだけで消えてしまう。これは怪体な面白さを有していた。不思議な映像だった。

もちろん理屈とか経験では理解出来なかった。映画的な手法を取り入れたのが手塚治虫であり、それにインサートカットなどのしゃれた感覚をつけ加えたのが白土三平である。時代はさらに進んで、赤塚氏は映画にさえないものをつけ加えた。

私はケムンパスやベシの使い方で、赤塚氏の異様な才能を身にしみて知ったのだった。」

(『赤塚不二夫1000ページ』話の特集、75年)

80年代以降に頻出する様々な不条理系ギャグ漫画において、このような描法もまた、客観基準に基づく表現方法として幅広く登用されることになるが、それよりも遡ること一〇年以上前に、ケムンパスやべしを出没させることにより、不可思議な夢想領域の一端である抽象的概念を、表出的価値を有するフォーマリティへと発展深化させたこの試みが、当時としては如何に斬新にして、型破りなものであったかが、この一文からも伝わってくる。

こうして、ニャロメに引き続き、ケムンパス、べしといった従来型の漫画にはないシュールな誇張を孕んだサブキャラクターが相次いでレギュラー化することにより、『ア太郎』の世界観は、キャラクター漫画としての特質を色濃く帯びつつも、同時期の『バカボン』で展開されつつあった狂気的なメルヘンとは一味違った、非日常的な異種混合性、延いては祝祭性をバックボーンとする先鋭的なスラップスティックナンセンスへと軸移動する。

そして、その作風は、意識の介在から解き放たれた超越論的自我を、新たな笑いのロジックとして定式化するとともに、旧弊なる生活ギャグ漫画に見られるオーソドックスなコメディー性や、下町風情が織り成す『ア太郎』本来の情緒的風合いを一挙に喪失していった。