ブームの終焉を迎えた後のニャロメは、バカボンのパパと双璧を成す赤塚キャラの花形スターとして、その後もマルチな活躍ぶりを発揮することになる。
ニャロメを主人公に迎えた傍流作品としては、『ネコの目ニュース』(「新潟日報」70年6月6日付~71年4月24日付)『ドクターニャロメ』(「明星」70年4月号)『ニャロメ』(「リイドコミック増刊」73年5月号、「リイドコミック」73年6月7日号~74年9月5日号)が挙げられるが、そのいずれもが、反逆によって自己肯定を貫くニャロメのキャラクタリスティックに焦点が絞られており、ラディカリズムの有効性と切れ味鋭いシュール&ナンセンスの概念を効果的に重ね合わせた、前衛感覚溢れるファインワークとして完成を見た。
『ネコの目ニュース』は、マイナーな地方新聞を発表媒体とした、僅か十数コマのスペースの中で展開されるショートギャグ作品でありながらも、ニャロメ、ケムンパス、べしのナンセンストリオを狂言廻しに、物々しい政界汚職や深刻化する産業公害といった、当時の社会的状況を映し出した時事問題に鋭く切り込み、諧謔性を表出したシリーズで、サタイア的観点に貫かれたそれら笑いのメソッドは、後に大人読者を対象とし、好評を博すことになる『ギャグゲリラ』のアイロニカルな世界像へと大きくリンクしてゆく。
『ドクターニャロメ』は、人間の女の子に好かれたいと願うニャロメが、マッドサイエンティフィックな薬を開発し、そのスケベ心から退っ引きならない軋轢を引き起こしては自爆してしまうという、因果応報を明徴なテーゼに掲げながらも、ニャロメならではのチャイルディシュな滑稽的効果を描出した傑作中編。
町医者という設定にして、ほぼ人間に近い立ち居振る舞いでニャロメが主役を務めるコント的な状況生成は、その後、学者や探検家など、エピソードごとにキャラ付けを変化させることにより、笑いの底面積を広げ、定義不能の特異なドラマを提示せしめた『ニャロメ』へと引き継がれる。
『ニャロメ』は4ページという限られたページ数にして、青年誌を発表舞台にしているせいか、その作風は、作品全体を通し、幾分キッチュな雰囲気を漂わせ、先天的に女好きであるニャロメのキャラクター設定においても、猫でありながら、若い人間の女性に躊躇いなく肉体関係を押し迫るような、より卑俗的な側面が強調して描かれた。
尚、連載の途中からは、古谷三敏の紹介でフジオ・プロ入りした斎藤あきらによる代筆の含有率が高くなり、通常の赤塚タッチが醸し出す土着的なイメージを一新。アピアランスの領域において、アメリカナイズされた作品世界が構築されることになる。
長谷邦夫がネームを作成し、赤塚が作画を担当した『ニャロメの研究室』(「コスモコミック」78年9月20日創刊号~12月20日号、隔週連載)では、優れた学識を持ちつつも、鼻持ちならない学者猫という設定で登場。
アインシュタインの相対性理論や慣性の法則、ダーウィンの進化論等、数学やサイエンスといったアカデミックな分野を漫画と図解で解りやすく解説したこのシリーズは、1981年にパシフィカより描き下ろしの単行本として刊行され、ベストセラーとなった『ニャロメのおもしろ数学教室』や『ニャロメのおもしろ宇宙論』(パシフィカ、82年)『ニャロメのおもしろ生命科学教室』(パシフィカ、82年)『ニャロメのおもしろコンピュータ探検』(パシフィカ、82年)といったカルチャーコミックの先鞭を拓く仕事となった。
勿論、このシリーズの成功は、構成とネームを担当し、フジオ・プロのグーグル役を担っていた長谷邦夫の奮闘によるところが大きい。
その後も、ニャロメは、1997年の「まんがバカなのだ 赤塚不二夫展」の出展作品図録に描き下ろされた『ニャロメ』という読み切りに、息子とともに現れ、健在ぶりを見せ示したほか、視覚障害児童に向けて発表された触る絵本『よ~いどん!』(小学館、2000年)や、同じく点字とエンボス加工によって作られ、赤塚にとって事実上絶筆の作品となった『ニャロメをさがせ!』(小学館、02年)で、堂々の主役を張るなど、赤塚漫画のトップスターに相応しい、八面六臂のアクティビティを見せ付け、赤塚の漫画家人生のファイナルシーンを伴走した。
また、赤塚漫画や赤塚アニメから離れた他メディアにおいても、テレビCMをはじめとする広告媒体や、東映動画製作のアニメバラエティー『アニメ週刊DX!みいファぷー』で番組進行を担うホスト役として、ケムンパス、べしとともに登場し、映像分野でも目覚ましく活躍。グッズアイテムにおいても、衣料品を中心に、ファッションデザイナーのドン小西こと小西良幸が、自社ブランド『FICCE』で、ニャロメをデザインに取り入れたセーターやブルゾンを発表し、流行を発信するなど、単なるノスタルジーの枠には収まり切らない、普遍的な輝きを確保したスーパーキャラクターとして、その後もニャロメは、インテンスな存在感をアピールし続けている。
『もーれつア太郎』の連載終了後、赤塚は「週刊少年サンデー」誌上にて、瞬発的なギャグを連発して紡いだショートショート・シリーズ『ギャグ+ギャグ』の連載を1970年28号よりスタートさせる。
まだまだ根強い人気を依然として誇っていたニャロメをフィーチャリングしたこの作品は、コンパクトに纏められたスペースの中、毎回ニャロメがプリミティブな激情を爆発させ、人間社会で欲望の限りを尽くしてゆくカタルシス一杯の怪異記であるが、サディスティックなまでにニャロメがズタズタに切り刻まれるなど、後に描く『レッツラゴン』や『ワルワルワールド』(「週刊少年チャンピオン」74年~75年)等、血飛沫吹き出すグロテスクなスプラッタ描写さえも笑いに取り入れてゆく新生赤塚ワールドの萌芽となった「スッキリ・ヒネ坊」(70年29号)や、サイケデリック時代のオーラを如実に反映させた視覚的演出の妙が、極彩色に彩られた幻想的空間を顕在化し、読む者に危うい酩酊感を惹起させる「サイケ・サイケビーチにて」(70年31号)といった、ナンセンスの過激ぶりにより拍車を掛けた先鋭的要素の強いエピソードも、この時既に用意されており、赤塚ギャグ本来のシュールさを際立てて深いものにした。
同年37号をもって『ギャグ+ギャグ』の連載は終了。連載回数僅か一〇回という、次なる新連載の繋ぎとも言うべき短期連載であった。
尚、これらのエピソードは、アケボノコミックス『もーれつア太郎』第12巻(71年発行)に併せて収録されており、全話纏めて読むことが出来る。