文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

ニャロメが主役の傍流作品と新生赤塚ワールドの萌芽『ギャグ+ギャグ』

2020-08-13 20:14:48 | 第4章

ブームの終焉を迎えた後のニャロメは、バカボンのパパと双璧を成す赤塚キャラの花形スターとして、その後もマルチな活躍ぶりを発揮することになる。

ニャロメを主人公に迎えた傍流作品としては、『ネコの目ニュース』(「新潟日報」70年6月6日付~71年4月24日付)『ドクターニャロメ』(「明星」70年4月号)『ニャロメ』(「リイドコミック増刊」73年5月号、「リイドコミック」73年6月7日号~74年9月5日号)が挙げられるが、そのいずれもが、反逆によって自己肯定を貫くニャロメのキャラクタリスティックに焦点が絞られており、ラディカリズムの有効性と切れ味鋭いシュール&ナンセンスの概念を効果的に重ね合わせた、前衛感覚溢れるファインワークとして完成を見た。

『ネコの目ニュース』は、マイナーな地方新聞を発表媒体とした、僅か十数コマのスペースの中で展開されるショートギャグ作品でありながらも、ニャロメ、ケムンパス、べしのナンセンストリオを狂言廻しに、物々しい政界汚職や深刻化する産業公害といった、当時の社会的状況を映し出した時事問題に鋭く切り込み、諧謔性を表出したシリーズで、サタイア的観点に貫かれたそれら笑いのメソッドは、後に大人読者を対象とし、好評を博すことになる『ギャグゲリラ』のアイロニカルな世界像へと大きくリンクしてゆく。

『ドクターニャロメ』は、人間の女の子に好かれたいと願うニャロメが、マッドサイエンティフィックな薬を開発し、そのスケベ心から退っ引きならない軋轢を引き起こしては自爆してしまうという、因果応報を明徴なテーゼに掲げながらも、ニャロメならではのチャイルディシュな滑稽的効果を描出した傑作中編。

町医者という設定にして、ほぼ人間に近い立ち居振る舞いでニャロメが主役を務めるコント的な状況生成は、その後、学者や探検家など、エピソードごとにキャラ付けを変化させることにより、笑いの底面積を広げ、定義不能の特異なドラマを提示せしめた『ニャロメ』へと引き継がれる。

『ニャロメ』は4ページという限られたページ数にして、青年誌を発表舞台にしているせいか、その作風は、作品全体を通し、幾分キッチュな雰囲気を漂わせ、先天的に女好きであるニャロメのキャラクター設定においても、猫でありながら、若い人間の女性に躊躇いなく肉体関係を押し迫るような、より卑俗的な側面が強調して描かれた。

尚、連載の途中からは、古谷三敏の紹介でフジオ・プロ入りした斎藤あきらによる代筆の含有率が高くなり、通常の赤塚タッチが醸し出す土着的なイメージを一新。アピアランスの領域において、アメリカナイズされた作品世界が構築されることになる。

長谷邦夫がネームを作成し、赤塚が作画を担当した『ニャロメの研究室』(「コスモコミック」78年9月20日創刊号~12月20日号、隔週連載)では、優れた学識を持ちつつも、鼻持ちならない学者猫という設定で登場。

アインシュタインの相対性理論や慣性の法則、ダーウィンの進化論等、数学やサイエンスといったアカデミックな分野を漫画と図解で解りやすく解説したこのシリーズは、1981年にパシフィカより描き下ろしの単行本として刊行され、ベストセラーとなった『ニャロメのおもしろ数学教室』や『ニャロメのおもしろ宇宙論』(パシフィカ、82年)『ニャロメのおもしろ生命科学教室』(パシフィカ、82年)『ニャロメのおもしろコンピュータ探検』(パシフィカ、82年)といったカルチャーコミックの先鞭を拓く仕事となった。

勿論、このシリーズの成功は、構成とネームを担当し、フジオ・プロのグーグル役を担っていた長谷邦夫の奮闘によるところが大きい。

その後も、ニャロメは、1997年の「まんがバカなのだ 赤塚不二夫展」の出展作品図録に描き下ろされた『ニャロメ』という読み切りに、息子とともに現れ、健在ぶりを見せ示したほか、視覚障害児童に向けて発表された触る絵本『よ~いどん!』(小学館、2000年)や、同じく点字とエンボス加工によって作られ、赤塚にとって事実上絶筆の作品となった『ニャロメをさがせ!』(小学館、02年)で、堂々の主役を張るなど、赤塚漫画のトップスターに相応しい、八面六臂のアクティビティを見せ付け、赤塚の漫画家人生のファイナルシーンを伴走した。

また、赤塚漫画や赤塚アニメから離れた他メディアにおいても、テレビCMをはじめとする広告媒体や、東映動画製作のアニメバラエティー『アニメ週刊DX!みいファぷー』で番組進行を担うホスト役として、ケムンパス、べしとともに登場し、映像分野でも目覚ましく活躍。グッズアイテムにおいても、衣料品を中心に、ファッションデザイナーのドン小西こと小西良幸が、自社ブランド『FICCE』で、ニャロメをデザインに取り入れたセーターやブルゾンを発表し、流行を発信するなど、単なるノスタルジーの枠には収まり切らない、普遍的な輝きを確保したスーパーキャラクターとして、その後もニャロメは、インテンスな存在感をアピールし続けている。

『もーれつア太郎』の連載終了後、赤塚は「週刊少年サンデー」誌上にて、瞬発的なギャグを連発して紡いだショートショート・シリーズ『ギャグ+ギャグ』の連載を1970年28号よりスタートさせる。

まだまだ根強い人気を依然として誇っていたニャロメをフィーチャリングしたこの作品は、コンパクトに纏められたスペースの中、毎回ニャロメがプリミティブな激情を爆発させ、人間社会で欲望の限りを尽くしてゆくカタルシス一杯の怪異記であるが、サディスティックなまでにニャロメがズタズタに切り刻まれるなど、後に描く『レッツラゴン』や『ワルワルワールド』(「週刊少年チャンピオン」74年~75年)等、血飛沫吹き出すグロテスクなスプラッタ描写さえも笑いに取り入れてゆく新生赤塚ワールドの萌芽となった「スッキリ・ヒネ坊」(70年29号)や、サイケデリック時代のオーラを如実に反映させた視覚的演出の妙が、極彩色に彩られた幻想的空間を顕在化し、読む者に危うい酩酊感を惹起させる「サイケ・サイケビーチにて」(70年31号)といった、ナンセンスの過激ぶりにより拍車を掛けた先鋭的要素の強いエピソードも、この時既に用意されており、赤塚ギャグ本来のシュールさを際立てて深いものにした。

同年37号をもって『ギャグ+ギャグ』の連載は終了。連載回数僅か一〇回という、次なる新連載の繋ぎとも言うべき短期連載であった。

尚、これらのエピソードは、アケボノコミックス『もーれつア太郎』第12巻(71年発行)に併せて収録されており、全話纏めて読むことが出来る。


新原作版で原点回帰 90年版『もーれつア太郎』

2020-08-13 11:26:50 | 第4章

1988年以降、続々と続いた赤塚アニメのリメイクラッシュに乗じ、90年4月にテレビ朝日系列で、前シリーズと同様、東映動画製作によるニューバージョンの『もーれつア太郎』(4月21日~12月22日放映)の放映が始まり、原作の方も、そのタイミングに合わせて、90年4月号から91年1月号まで「コミックボンボン」、同じく90年5月号から91年1月号まで「テレビマガジン」と、やはり講談社系列の児童誌にてリバイバルし、再度、赤塚自らの作画による新作が短期連載される。

「ボンボン」版の第一回目のエピソードは、物語の冒頭、ア太郎とデコッ八の二人が出会い、中盤においては、×五郎が木から転落死したりと、矢継ぎ早な展開を迎える中、旧作では途中登板したニャロメやココロのボスが賑やかしとして登場し、やはりグルーヴィーなノリで、激しくドラマを盛り立てるなど、新作アニメ版の第一話を基底としたストーリーが組み込まれており、アニメとのドッキング企画を明確に打ち出した編集部側のプロモート作戦の一端が、端々より垣間見ることが出来る。

新原作版のエピソードは、旧原作版と然程差異のない世界観をベースとしているものの、子供である筈のデコッ八がどういうわけか、軽トラックを運転していたり、ブタ松をア太郎やデコッ八の子分ではなく、街の顔役として定着させるなど、新原作版『おそ松』と同じくそのシチュエーションにおいて、幾分調和を失った珍妙な人物構成が施されている。

旧原作には登場しなかったモモコちゃんなる美少女キャラクターが、『ア太郎』のヒロインキャラとして、その作品世界に華を添えている点も、アニメ版とのタイアップを狙った、マイナーアレンジの一環と言えよう。

新原作版の『ア太郎』は、ドラマが確固たるフォーマットによって統一されている分、これに前後して描かれた最新版『天才バカボン』や『おそ松くん』とは異なり、ナンセンス性は影を潜めるものの、赤塚ギャグの原点回帰とも言えるホームコメディー的要素が強調され、円熟の域を極めた赤塚の流麗なストーリーテリングが満喫出来る好シリーズとなった。

尚、「テレビマガジン」版『ア太郎』は、2002年、小学館から刊行された『赤塚不二夫漫画大全集DVDーROM』に『もーれつア太郎 別巻』として収録されたが、「ボンボン」連載版は、単行本未収録のまま現在に至り、ファンの間では、幻のシリーズとして知られている。

「ボンボン」版『ア太郎』は、同誌掲載の諸作品と同じく、90年代赤塚ギャグのメインストリームであり、その記録的価値も含め、一刻も早い書籍化が望まれるところだ。


人気絶頂の中で、突然の連載終了

2020-08-13 01:28:33 | 第4章

このように、ニャロメブームの到来で、人気は鰻登り。『おそ松くん』に相当するビッグヒットとなり、社会現象化するまでに至った新生『もーれつア太郎』だったが、人気絶頂を迎えながらも、その連載は何の前触れもなく、突如として終了を余儀なくされる。

「週刊少年サンデー」の人気連載の総集編に当たる「別冊少年サンデー」でも『ア太郎』特集が幾度となく組まれ、いずれも数十万部単位の売り上げを誇るベストセラーになったほか、オンエア中のテレビアニメも最高視聴率25・9%を記録するなど、依然として高い人気を示していた『ア太郎』だったが、これ以上のニャロメグッズの売り上げを期待出来ないと判断したスポンサーサイドから、ニャロメやア太郎に代わる新たなキャラクターの 登場を強く要望され、そうした流れからテレビアニメの打ち切りが決定となったことが、連載中止に至る大きな理由であった。

突然の『ア太郎』の連載終了に際し、赤塚はその無念さを、こう吐露している。

「これは腹立たしいことではあるんだけど、作品がヒットするとアニメーションになる。テレビ化されて。雑誌とテレビは別ものなのに、雑誌社はそうはみないんだよね。マーチャンダイジングの問題がでてくる。アニメーションやってるうちは、ア太郎のスリッパだとか筆箱だとか、そういうものが売れるわけ。アニメになると必ず商品化される。そういうものの何パーセント雑誌社がとって、何パーセントそのアニメーションの会社がとって、何パーセントフジオプロがとって、ということで、不労所得があるわけですよ。で、アニメーションが終るとそういうものがなくなるから、新しい作品を、って言ってくるわけ。ぼくは『ア太郎』なんかまだいけるんだからやるべきだと思ったけど、もう編集部がやる気をなくしてる。そうなるとこっちも描く気がしなくなっちゃう。それでやめちゃった。」

(『赤塚不二夫1000ページ』話の特集、75年)

実際、ニャロメブームの興奮冷めやらぬ状況や、気力、実力ともに、当時の赤塚の充実ぶりを思い量れば、少なくとも、あと一年、二年は『ア太郎』の賞味期限を延長させることが可能であったのは、間違いないだけに、この突然の打ち切り劇に関しては、ファンとしても誠に残念な結果でならない。

本誌「サンデー」での連載は、1970年第27号「キョーレツかわい子ちゃん」をもって最終回を迎える。

因みに、最終エピソードと相成った「キョーレツかわい子ちゃん」は、容姿端麗でありながらも、暴虐的なサディズムを弄する強烈な女の子に一目惚れしたニャロメが、あの手この手で自らの愛をアプローチするものの、えげつないまでの仕打ちを受け、遂には止めに入ったア太郎やデコッ八までも、コテンパンにのされてしまうといった内容で、最終回特有の感動をもたらす大フィナーレへと雪崩れ込むわけでもなければ、暫し深い余韻に浸れるような哀切を滲ませた情緒的なラストシーンに収斂してゆくわけでもなく、それこそ通常の『ア太郎』と寸分違わぬスラップスティック様式に、より過激なインモラリティを顕在化させた、ハイテンションなブラックコメディーであった。

ニャロメのブレイクからおよそ一年弱、『おそ松』人気の半分にも満たない、短いピークを迎え終えたシリーズ連載だった。

しかしながら、『ア太郎』人気は根強く、1969年の暮れに曙出版より刊行された全12巻のコミックスは、『おそ松くん全集』や『天才バカボン』同様、80年代に入るまで繰り返し再版され、巻数の影響から両タイトルを上回る部数には至らなかったものの、トータル二〇〇万部を売り上げるベストセラーとなった。

その後も、立風書房(全1巻、76年)や奇想天外文庫(奇想天外社・全1巻、76年)、小学館文庫(小学館・全1巻、05年)、から選集が出た以外にも、1990年に講談社、94年に竹書房から、それぞれ全11巻、全9巻で復刊され、特に竹書房文庫版は、折からの復刻漫画文庫ブームの波に乗り、五〇万部の小ヒットを記録した。