皇太子明仁親王と美智子皇太子妃の結婚の儀が取り計られ、日本中がミッチーフィーバーに湧いた1959年、成婚パレードを契機に、テレビ普及率が二〇〇万台を突破するなど、日本契機は「岩戸契機」を迎え、高度経済成長の入り口へと差し掛かった。
前年、東京タワーが建設され、日本銀行が一万円札を発行。ロカビリー・ブームが到来し、王貞治、長嶋茂雄の「ON砲」の巨人軍入団が決定するといった、明るいニュースが相次ぎ、国民は景気の上昇と新たな時代の転換に酔いしれていた。
皇后のご成婚と同じ年に開局されたフジテレビでは、『おとなの漫画』の放映が開始され、ハナ肇とクレージー・キャッツの台頭が始まる。
『おとなの漫画』は、青島幸男が構成したお昼の帯番組で、時事世相を諷刺したコントを、日曜日を除き、毎日放映していた。
リズミカル且つこれまでの笑いの常識を打ち破る、パンチの効いたクレージーの怒涛のギャグ旋風は、茶の間を大いに驚かし、また快哉を叫ばせるに至った。
そして、漫画界において、エポックとなる事件が起こったのもこの年だった。
「週刊少年サンデー」(小学館)と「週刊少年マガジン」(講談社)の同時創刊である。
「サンデー」では、手塚治虫の『0マン』の連載が開始したほか、トキワ荘グループの盟友・寺田ヒロオの『スポーツマン金太郎』や藤子不二雄の『海の王子』も連載され、いずれも、創刊間もない「サンデー」の屋台骨を支える人気作となった。
遂に、漫画業界も、大量生産、大量消費によるマスマーケットの時代へと突入したのだ。
その熱気が相俟ってか、漸くギャグ漫画のフィールドも僅かながらに活性化し、いくつかの人気作が登場することになる。
板井れんたろうの『ポテト大将』、ムロタニ・ツネ象の『わんぱくター坊』、大友朗の『日の丸くん』といった作品だ。
新しく創刊した少年週刊誌では、「サンデー」に『快球Xあらわる‼』(益子かつみ)というSFユーモア漫画が唯一掲載されていたものの、読者の支持を得たとは言い難く、ギャグ漫画が受け入れられる環境は、この時まだ整ってはいなかった。
掲載誌は月刊誌だったが、少なくとも、1959年から60年の時点で、赤塚の『ナマちゃん』や『おハナちゃん』を遥かに凌駕する破壊力を備え、ギャグ漫画と呼べるタイトルも登場していた。
「日の丸」に連載されていた石ノ森章太郎の『テレビ小僧』である。
テレビスターになろうと、アヒルのガー公を引き連れ、上京した主人公・テレビ小僧が、テレビ局を舞台に狂騒的なまでの売り込み作戦を展開するという、アメリカナイズされたアグレッシブなスラップスティックコメディーで、笑いの裾野を十二分に広げた一本だったが、大きな人気をもたらすまでには至らず、短期のうちに終了してしまう。
このように、少年週刊誌が創刊されても、ギャグ漫画というジャンルは、大きく跳躍することはなく、またまだ発展途上の段階にあったのだ。
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