有名漫画家が急病になり、その掲載スペースに穴が空いてしまったため、石ノ森章太郎のところに、大至急原稿を描いて欲しいと、秋田書店の「漫画王」の名物編集者、壁村耐三(後に「週刊少年チャンピオン」の編集長を歴任)より依頼が舞い込んだのだ。
依頼内容は5ページのユーモア漫画だった。
石ノ森は、「その手の漫画なら、赤塚がいいんじゃないかな」と、即座に赤塚を推薦した。
赤塚のギャグ志向など知る由もない壁村は、赤塚への突然の推挙に一瞬躊躇するも、背に腹は代えられない状況の中、渋々それを承諾。「締め切りは明朝」とだけを言い残し、社へと戻って行った。
赤塚は日記帳を取り出し、描けそうなアイデアを探した。
そして、生意気なイタズラ小僧が喧嘩をしたり、柿を盗んだりする、そんなアイデアを石ノ森に語って聞かせた。
タイムリミットは二四時間以内。早速、赤塚はネームに取り掛かり、淀みなくペンを走らせてゆく……。
これまで石ノ森のアシスタントをしていた赤塚だったが、この時ばかりは、石ノ森が赤塚のアシストをしてくれたという。
また、『ナマちゃんのにちよう日』(「漫画王」58年11月号)というタイトルを考案してくれたのも石ノ森だった。
この辺りのエピソードは、「COM」誌上で手塚や藤子、石ノ森らと連作で発表された自伝的漫画『トキワ荘物語』(70年5・6月号)に詳しい。
有名漫画家の穴埋めで描いた読み切りの短編だったが、好評を得て、翌月号にも続けてもう一本掲載された。
その際、扉ページには、「連載爆笑まんが」の惹句が銘打たれ、赤塚の目を疑わせた。
タイトルも『ナマちゃんのにちよう日』から、この時『ナマちゃん』(「漫画王」58年12月号~61年3月号、「小学生画報」61年4月号~11月号、「まんが王」61年12月号~62年5月号)へと簡略化され、その後、足掛け四年もの長期連載を誇る、同誌の目玉作品となった。
生意気な子供が主人公だから、『ナマちゃん』と名付けられたこの作品は、チビだが、喧嘩が強く、腕白なイタズラ小僧のナマちゃんと、日和見主義だが、間が抜けていて、何処か憎めない子分のコンペ、コンペよりも年下で、後に『おそ松くん』で大活躍するチビ太のプロトタイプとなった元気いっぱいのきかん坊、乾物屋の息子のカン太郎を中心に、ガキ大将をやっつけたり、アルバイトにハッスルしたりと、大人も子供も巻き込んでのてんやわんやの大騒動を描いた生活ユーモア漫画で、その後の赤塚ギャグの原点として位置付けられるシリーズである。
特に、ナマちゃんが得意の頓知を利かせて、ガキ大将のゴロ七と丁々発止やり合う闘いの構図は、通常の児童漫画の物語範囲を超え、タフでなければ生きられない子供社会における生存競争の一端を道化の精神とない混ぜて痛烈に描き表すことにより、新たな笑いの振動を引き起こした。
因みに、『ナマちゃんのにちよう日』のストーリーはズバリこうだ。
とある日曜の昼下がり、おやつがなくなったナマちゃんは、退屈しのぎにマラソンを始めるが、それが家の中だったため、お母さんに大目玉を喰らい、表へと飛び出す。
外をうろつくナマちゃんは、家の中でお絵描きをしている子供を発見。描いた絵を見せてくれと、部屋の中へと上がり込み、無理矢理スケッチブックを奪い取る。
その絵を下手くそだと一刀両断したナマちゃんは、お手本とばかりに部屋の襖に船の絵を描き出す。
我ながら上手に描けたと自画自賛のナマちゃんは、この傑作をこんな汚い家に置いておくのは惜しいとばかりに、その襖を持って帰ろうとするが、襖を抱えて家を出ようとしたところを、その家のお母さんに見付かってしまい、またもや大目玉を喰らう。
大慌てで逃げ出したナマちゃんに、今度はボールが当たる。
女学生達が、バレーボールに興じていたのだ。
ボールを「こっちへ投げて」とお願いする女学生らをからかうかのように、ボールを反対側に蹴り飛ばすナマちゃん。今度は、女学生達の怒りを買い、追い掛け回されてしまう。
這這の体で逃げ切ったため、お腹を空かせたナマちゃんは、丁度その時、民家の庭にある柿の木に、真っ赤に熟した大きな柿が実っているのを発見する。
その柿をどうしても食べたいと思ったナマちゃんが、その時に起こした突拍子もない行動とは……?
実際、文字に起こしてしまうと、何とも他愛もないストーリーに見えてしまうが、テンポの良いコマ運びと予断を許さぬ飛躍で、最後まで一気に読ませてしまう赤塚ギャグ特有の疾走感をこの時既に感じさせる。
また、元気いっぱいのナマちゃんの一挙手一投足が実に威勢良く躍動しており、ナマちゃんのアクティブなチビッコギャングぶりには、僅か5ページという短いスペースから飛び出さんばかりの溌剌さがあった。
突発的に連載扱いとなった『ナマちゃん』は、回を重ねるごとに、読者に共感的な笑いを解放してゆく。
野球、喧嘩、海水浴、雪合戦、友達との旅行……。放課後の横丁や空き地、あるいは夏休みの海や田舎で、毎回繰り広げられるナマちゃん達の愉快なお祭り騒ぎは、限りなく自由で、とこしえに続いて欲しいと思わせる子供達の夢と冒険のひと時でもあった。
そして、新たな刺激に餓えていた当時の少年読者にとって、『ナマちゃん』こそが、従来の落語的な笑いに留まっていたユーモア漫画とは明らかに一味も二味も違う質を持ちながらも、彼ら自身の現実のディテールと密接に繋がったギャグ漫画であり、イタズラに明け暮れる腕白小僧のリアリスティックなバイタリティが、痛烈な笑いとなって余りある最初の飛翔体験だったと言えるだろう。
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『ナマちゃん』の連載開始から、時間もなくして、同じく秋田書店発行の兄弟誌「冒険王」の別冊付録にて、『がらがらガンちゃん』(59年2月号)というガキ大将を主人公とした三話オムニバスの短編を執筆する。
長らくリスト漏れしていた作品で、これまで数ある赤塚関連の論評書においても、一切語られることがなかったが、明朗活発な主人公、ガンちゃんが、画面狭しと動き回る痛快さは、赤塚作品をスラップスティックという新たな領域に確実に踏み入れさせており、ユーモアからドタバタギャグへというエボリューションの一端を確認出来る一作だ。
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