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伊澤屋

歴史・政治経済系同人誌サークル「伊澤屋」の広報ブログ。

ジオン第八連隊記  報告書4 『家畜人ヤープ』

2011年11月06日 19時30分00秒 | Weblog
機動戦士ガンダム0079 ジオン第八連隊記 復興(あす)への咆哮


報告書4 『家畜人ヤープ』



「シモムラ、親父になったんだってな。おめでとう」
「まさかぁ!親っていっても名付け親ですよ。軍医長こそ昨日は本ッ当お疲れ様でした」
「…よく言うぜ。こうなったのも全部お前のせいだぞ」

結論から言うと俺は昨日の遺体回収の任務の最中遺体でなく「まだ生きている」妊婦と出会って
しまい、母さんその場で産気づいた。軍医長と次席軍医を呼んでしっちゃかめっちゃかの大騒ぎ
になった。 母さんよくやった。死産でなく男の子一人出産。

ただ俺はその後、夜になって物干場で軍医長にボッカスカに殴られた。と言っても
「余計な仕事を増やしやがって」
という意味ではなく遺体だと早合点してぞんざいに扱った為骨折していた両足の治りが遅くなっ
たという事でだった。


ハジメ・ニワビト少佐。軍医長。 漢揃いの八連隊にあっても更に漢の中の漢。
一週間戦争、ルウム戦役、ビルマ撤退戦に続いてこれでまた一つ武勇伝が加わった。
まあ「武勇伝」なんてそれこそ軽口叩いたらまた盛大に気合入れられるだろうけどな。

うちらと、血の上では大体同じな訳だよなぁ…  母子共に健康。とは行かないがヤープト人2人の
命を救った。気持ちの良い仕事をした。と考えるべきなんだろうか。

だが俺は、ここだけの話だが当初ヤープト人たちに必ずしも良い印象を持ってはいなかった。
一言で言ってしまえば気合入ってねえ、ヘボい奴等としか感じられなかった。
同じ東洋系だったら、むしろ捕虜に取った大陸系の連邦軍人達の方が俺としては共感できる部分
が大きかった。敵の手に落ち捕らえられた身でもなお眼光の鋭さを失わず、今にもこちらの喉笛
を喰いちぎるんじゃないかというくらいの「殺気」があった。

比べてヤープト人どもは何だ。かつて200年くらい前まで存在した、歴史的に「ニッテ・イ時代」
とか「第二帝政」とか呼ばれていた時代の独立ヤープトはその武力で他を畏怖させた。
その後不幸にも列強全てからコテンパンの袋叩きにされ敗戦。武力と政治力は失ったが代わりに
経済力と技術力、文化力でブイブイ云わせて数十年の間爛熟した繁栄を謳歌した。

…が、丁度学校で言う 「おいテメー、最近チョーシ乗ってるだろ」と周辺の新興国から様々な難癖
を付けられ再度容赦無くボコボコにされた。
二度と立ち上がれないほどの凄惨な暴力の末、国は文字通り息絶えた。その姿を前に人々は

「リンチより非道ぇや…」

と恐怖した。まァ国なり民族なりってのは最終的にそうやってツブされるんだろうな。
ヤープト人特に最も劣位に格付けされた土着ヤープト人は連邦側から「ヤープト人」「ネイティブヤ
ープト人」よりもっぱら蔑称で


「ヤープ」、


更に気の利いた形容詞を冠して


「家畜人ヤープ」


と呼ばれ嘲笑される以外の何物でもなかったしそれだけの存在だった。
職場や学校でうっかり 「純粋ヤープト人」 なんて言葉を口に出したらそれは即歪んだ優越感、
連邦の世界市民主義に反抗する偏狭なナショナリズムと周囲から激しい糾弾を受ける結果に繋がった。
ただ、ヘボで弱虫でいじめられっ子のヤープであっても幾つかの分野で他に無い優れていると
考えられる部分が存在した。


例を挙げよう。かつてヤープトは合衆国の一部だっただけありビジネスは時間厳守だ。
特に民間は俺の係わった範囲でも遅刻などは絶無でもし少しでも遅れそうなものなら必ず事前に
連絡をよこしてきた。
唯一例外はコーヤコーヤ山の坊主くらいだった。アイツラは時間にルーズなのが「御利益」だとよ。
連隊で僧侶は俺一人でしかも同じ学派?らしいのだが調整に散々苦労させられ嫌になる。

また教育、研究開発、技術とかは覇権復活と連邦への反抗の芽になるのを防ぐ為長年徹底的に
弾圧を受け根絶やしにされた筈なのに、何だかんだ言って職人魂が遺伝子レベルで生きている。
どこから持ってきたのか旧世紀のスイスの軍用ヘルメットを巧く曲げたり切削したり加工を施し
ジオン軍のヘルメットの完全品を造ってしまったくらいだ。その品質に本国の調達は驚愕し
「M79鉄帽」
と命名、制式化している。

 
我々の地元ナ・ンバコロニーもそうだがこの地も笑いと趣味道に重きを置く文化と感じさせる。
伊達と道楽の美学が行き着くところまで行き着いた姿がここにはあった。

百数十年前に程近くのカ・ンベで同様な大地震が起きた際にも自治会から当時の模擬軍に


「食糧よりもシャンプーとリンスが欲しい」


と要望が殺到したという偉い土地柄、伊達っぷりなのだが今回我々が見聞きするのも相変わらず

「非常食にナ・ンバ名物の『沢庵の缶詰』はないか。希望が多い」
「ジオンの非常食の外箱の注意書きの文章、書体が芸術的だ。空き箱を譲ってもらえないか」


とたまげさせられる声が多く採取できた。この「沢庵の缶詰」は連邦の経済制裁時代にメーカーが
倒産し「幻の美食」と語り継がれていたらしいが現職の俺もその存在を知らなかった。
非常食の外箱の注意書きに芸術だの美学だのを感じさせるというもの初めて聞いた。
何故そういった他民族に無い発想が出来るのか。ある意味凄過ぎる。


「災害ナショナリズム」とでも命名すれば良いのか。大災害、非常事態という舞台装置は死と
生、別れと出会い、悲しみと希望が交錯し良くも悪くも愛国心と国家意識を燃え上がらせる。
ヤープトでも地震発生から暫くして街角のいたる所で

「2800」

もしくは漢数字で

「二八〇〇」 

 同じ意味だな。この数字が書かれた横断幕、垂れ幕をよく目にするようになった。
この地での宗教上の数秘学?でいう縁起の良い数字か、若しくはヤープト人の誇りに訴えかける
必勝のナニかとかなのだろうか。

あまりオツムの良くない俺にはよくわからないけどな。

現実苦しみや不満、劣等感とかを背景にした愛国心ってのはメッチャ怖いもんだ。
都内さらにはヤープトでも有数の移民の街と呼ばれていたイ・クノ区では「優等民族」の区長や区議
といった政治家達が根こそぎ公職追放と財産没収で丸裸にされた上投獄され、残ったのはただ一人の
ヤープト人で旧領土のホッカ・イドウから引揚げた祖父母と父を持つラヴマシーン・イオシダ区議だけ
だった。
彼女は独立戦争の開戦と連邦勢力の排除に前後していち早く不満層のヤープト人達を束ねて
叛乱を指揮し元夫で地球連邦軍憲兵少佐のルメイ・ムーンを捕縛し半殺しの制裁を加えた上で
ジオン軍憲兵隊に引き渡した。その時の様子にヤープト人だけでなくジオン兵もが拍手喝采の
気持ちなど忘れその凄惨さに恐怖し蒼褪めたという。
ヤープト民族主義者の硬骨漢で通る我が軍のジュウシロウ・ナンブ憲兵大尉でさえ開口一番に

「イオシダ議員。この男をどれだけ怨んでいたのか知らんがこれは幾ら何でもやり過ぎだ!ヤープト人で貴女ほど残忍で酷薄で容赦無い人がいたというのか!」

と苦言を呈し顔を歪めたほどだからその度合いが自ずから分かる。


スペースノイドとアースノイド同様「狩る者と狩られる者の逆転」はかくも残虐だ。



「で、何て名前にしたんだ」
「え?」

「えじゃない。お前が名付け親になった息子の名前だよ」
「はい、 …タカシ。と」

「タカシって、題材的にいうと偉い政治家とか学者なんかの名前から取ったのか?」
「いいえ。あの両足複雑骨折で死にかけてたお母さんの名前がタカコっていうもんだから、
それで決めました」


「…お前、今夜もう一回物干場に来い。もっと愛情が必要だ」



                                        報告書4 『家畜人ヤープ』 完



次回予告

災害。人の持つ最も高潔な貴い部分と最低で恥ずべき汚点が同時に交錯し人は時として怒り、
傷付き、悶え苦しむ。その幕間に僅かであっても笑顔はあるというのか。あるという保証は無い。
それでも、アテにならなくても?未来を夢見て人はなおも生きる。 笑うかい?


次回 報告書5 『セコく汚く浅ましく』

 「清く正しく美しく」 と。そうおっしゃるのなら身を以って示されて御覧になっては如何か。


                                        (C)伊澤屋/伊澤 忍  2671
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