機動戦士ガンダム0079 ジオン第八連隊記 復興(あす)への咆哮
報告書1 『発端』
「この国難の時期にあって政策の継続性を果たす為、次期都知事選挙に立候補することこそが私の政治家としての最後の御奉公であると決意したものであります!」
「どや、どや、どや…」
「ぶー!ぶー!ぶー!ぶー!」
まああっと言う間だった。 宇宙世紀0079年11月15日。俺は「宇宙一低劣、俗悪で品格の欠片も存在しない」と評判のヤープト暫定州オオサ・カ都議会の最終日を非番で暇潰しに傍聴しこれまた
「人類の歴史上最も下品な政治家」
との呼び声も高い老都知事の「続投表明」を直接耳にして内心微笑んだ。「これでまた、当分の間楽しませてもらえる」と。
「本日の会議はこれにて散会とさせて頂きます」
議長の散会の言葉を聞き届けた上で俺は傍聴席を立ち帰路についた。
いつもの帰り道で、都庁の中庭に鎮座おわすのは定番の小便小僧でも小便少女でも母乳女神でもなく 「小便親父」。 コレっていつの時代の都知事が作らせたんだ?土地柄モロに出てるわ。笑えてくる。
おっと笑っちゃいかんな。捻り鉢巻とドカジャンとニッカズボンの作業スタイルは正しく産業戦士だ。
「さて…と。何か喰って帰るか」
ガルマ少将指揮下だった北米軍は先月10月4日の司令官戦死以降ロスとベガスから撤退し雲行きが怪しくなってきた。
我々の欧亜軍にしても先々週11月6日にラングーン、先週9日にはオデッサが連邦の手に落ち徐々に旗色は悪くなっていた。
ヤープト駐留の部隊からも相当数のモビルスーツ、戦闘機、輸送機が北米軍に引き抜かれその代替にビルマ戦線から撤退したばかりの我々八連隊が来た訳だ。
我が連隊はここ、地球連邦旧ヤープト信託統治領(現暫定州)オオサ・カ都からの移民が多数を占めるサイド3ナ・ンバコロニーの出身者を主力に編成された部隊でかつて大体二百年前だったか先祖たちが戦ったビルマもそうだが今こうして父祖の地に「戻って」きたとも言える。とかく
「またも負けたか八連隊、十字勲章九連隊」
と悪口雑言が絶えず、そうプロパガンダ打ってる連邦どころかジオンでもそうだと騙されている面々が多いが実は八連隊はこれといって「負けた」過去は無い。
スペースコロニーの未完成区画や耕作放棄地を利用した効果的な猛訓練で知られる我々は
「ナ・ンバの鬼」
「コロニー戦の八連隊」
と恐れられ独立戦争開戦初期から大きな犠牲を払いつつも常に各地の最前線に在った。
ビルマでは連隊の保有するMSは連隊長機の旧ザクイェーガー1機と陸戦型ザク4機で合計5機のみという状況で連邦の陸戦型ガンダム40機を血祭りに上げてやった。あれで連邦の年間国家予算の1割くらいはパーにしてやったんじゃないだろうか。
ビルマからの撤退戦で殿を努めた我々は最後、南極条約で無害通航権を保障されたはずの病院船が連邦のGM狙撃型に砲撃され救護要員も含め連隊の半数はその場で死亡。
俺はたまたま1本後の便だったので命拾いした。
我が八連隊は元々「拡大連隊」編成であり小型旅団並みの人員、装備が与えられていたが独立戦争開戦以来の損害率は420%。単純計算で4回全滅したことになる。常に損耗は激しくこの時点でも実人員は約400人で贔屓目に見ても大隊弱程度の兵力だった。
それにしても不景気なものだ。
補充で届く筈だった陸ザクの1個小隊2機は途中でゴト・ウ列島だったかに潜伏していた我が軍の脱走兵の捜索、捕獲に駆り出されいずれも返り討ちにされウチには届かなかった。
俺はテンコウ・シモムラ
ジオン公国地上軍第八連隊第三大隊第七中隊所属
軍籍番号PM054207338G 階級は上等兵
非公式だが通り名は「坊主のバーベキュー」。
何故って?徴兵で軍に入るまでは乞食坊主同然ではあったがこれでも僧侶で、開戦早々ルウム戦役で乗艦のムサイ級軽巡「イオージマ」が被弾、炎上しダメコンチームの一人だった俺の頑張りで艦はボカ沈を免れたが俺は全身にケロイド状の重篤な火傷を負い今の通り名が付いた。
旧世紀、悪政に抗議し焼身自殺した高僧とは直接関連性は無い。念の為な。
「あ~喰った喰った」
旨いヤープト風カレーを腹一杯かっ喰らった後、俺は駅の階段の下にある名刺の自販機を操作していた。まあ書体やレイアウトはとことん選べない、掃除されていない手垢のせいか画面のタッチパネルの感度は悪い、音声認識はお話にならないほどポンコツで俺の声は殆ど理解されないので難儀した。
「チェルボ・イモズラ?誰だよそいつ?俺ってそんなにジオン訛りがひどいかね」
「兵隊さん。そいつはもうブッ壊れてから長いぜ。諦めた方がいい」
大体その時だった。
どどっ、どん、どん、どど…
どかっ、どかっ、どどど…がったん、がったん…
? 超大物の芸能人でも来てミーハーな女子学生たちが大挙押し寄せて階段に殺到して将棋倒しの事故でも起きたのかねぇ。
どどん、どっどっどっ…がたん、がたん、どど…
何かどうも様子が変だ。ただ人がいっぱいドタバタ通った感じとかじゃない。
時計に目をやると、14時26分だった。
報告書1 『発端』 完
次回予告
歴史の当事者になるとかいうのは、時として自分が大物になったみたいな錯覚が得られて場合によっては血沸き肉踊るような快感すら伴うものだ。 但し、自らに害が無い場合のみだが。
次回 報告書2 『泥』
誰が言ったか「買いたての柔道着は、泥で洗え」と。ってまさかこの泥じゃないだろうな?!
注)陸戦型ザク
MS-06J。ザクシリーズのうち最も多数生産されたF型を地球の重力圏での運用に最適化させた改修型。この中から更に寒冷地仕様、空挺仕様等の派生型が生産された。なお略称で「陸ザク」と呼ぶのは本作独自の設定である。
殿
しんがり、と読む。主力部隊を安全に撤退させる為に最後まで戦場に留まる小部隊。
ダメコン
ダメージコントロールの略。特に艦船が敵の攻撃で損傷を受けた場合にその影響を最小限に抑え艦の戦闘能力を維持する任務。または初めからその事態を意識した設計。
©伊澤屋/伊澤 忍 2671
序 『ダモイ(帰郷)』
敗戦から十年経って、俺はシベリアでの抑留生活を終えて故郷にダモイ(帰郷)した。
凱旋の兵ではなく敗残の兵として踏む土でも心地良かった。
「ふるさとの 訛りなつかし 停車場の」
誰だ。そんな笑っちまう台詞を口から出したラリった奴は。
かつて親しんだクニの言葉など耳にはできず盛んに聞こえてくるのは勝った国の言葉ばかり。
吸収の良い子供はそれらをすぐ覚えて使いこなす。
駅や公園。かつて祖国と愛する者たちを守る為に戦い手足や視力を失い、家たる廃兵院も軍人
恩給も奪われた傷痍軍人たちがその姿を晒し糧を乞う様子が嫌というほどよく見られる。
かつてはこれで颯爽と街を歩くのが誇りだった将校のマントも脳や神経を損傷して身体の自由を
失えばもう、よだれかけ程度の役にしか立たない。
それでも肩を寄せ合って支え合い生き抜いているのはこの国の美徳だな。
その美徳を嘲笑うかのように勝者の兵と腕を組み戯れる女たち。
元の軍服から階級章や兵科章を全て取り払った復員服で俺は家路についた。
親父は敗戦後暫くして持病が悪化しとうに死に、目と耳が悪く片肺で酸素吸入器を使っている
お袋は便所のようなバラックの家で辛うじて生きていた。
住み慣れた家は戦勝国民と名乗る勝ち馬に乗った小悪党共に土地ごと取り上げられていた。
占有、登記済でその土地には店が建ち繁盛している。
国は無くなり久しく体の不自由な老親とシベリア帰りの中年の失業息子で天下無敵の親子浮浪者
へ一直線というこの状況下、 …絶対酒臭くないから国家レベルの国定敗北者の俺の負け惜しみ
の言い訳を以降聞け。
序 『ダモイ(帰郷)』 完
次回予告
さほど面白くもない茶番を時間を費やして忍耐強く見た後に、いかに金と時間をかけた擬似イベ
ントよりも更に、最高に面白い材料が投下された…って俺にとって全然面白くなどない訳だが。
次回 報告書1 『発端』
貴様が「続投表明」なんて寝言垂れやがったせいで俺ん所はこのザマだ!!
注)ダモイ
ロシア語 Домой から。帰還、帰郷。日本語で特に「ダモイ」と言う場合敗戦後のシベリア抑留日本兵の帰国を意味することが多い。
傷痍軍人
戦傷により障害、後遺症を負った軍人。敗戦前の日本の傷痍軍人政策は家族の負担軽減や療養所施設のバリアフリー化等の面で充実していた。
©伊澤屋/伊澤 忍 2671