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パーマカルチャーを学んだ後、実践を考えた時に、コミュニティづくりの重要性に気付いた。
その時に出逢ったのがプロセスワーク。
この秋分の日という節目の時に、プロセスワークの存在を教えてくれた
友人の村松家に裏磐梯で勉強会をやってもらえたこと、
後になってじわじわと感慨深く思っています。
震災後、何もできなくなった私は、みんなどう感じているのかを
シェアすることぐらいしか出来ないと思い、
その時にプロセスワークしかないと思いました。
今となってはいろいろな方法はあると思うけれど。
その時はそれしか知らなかった。
そこで、裏磐梯での後、飯舘村の有志で対話をはじめた。
その後、郡山でも対話の会をはじめた友人たちもいて、
それは震災後にずっと続いている。
閉塞した社会に、世界観の狭さを感じる。
多くの人が狭い世界観の中で生きていて、
そこに風穴を開けてくれるひとつの見方をプロセスワークが提示してくれ、
私たちが震災後の福島で自分の体験をどうとらえていくかという時に多大なる力となった。
10年ほど前に、フェルデンクライスメソッドというボディワーク
(というかソマティックエデュケーション)のトレーニングを受けたけれど、
その時にも同じような感覚だった。
重要なのはいずれもアウェアネスなのです。
気付く力。起きていることに気付く力。真実を見る力。
個を超えた大いなる力や見えない力のことも知っておきたいと思い、
エネルギーを扱う分野も学んだけれど、それも私の中では、
アウェアネスを身体という物質レベルから、
物質的にはないところに延長することのように感じています。
ヒーリングの場合はエネルギー体に名前がついているので、
プロセスワークと違う言語を使うけれど、矛盾はしない。
人間の気づく力、認識の力というものは、とてつもなく幅広いものであり、
人間の存在意義はそこだと言っても過言じゃないのかもしれない。
思考停止した瞬間に、感じることをやめた瞬間に、死んだも同然。
思考停止が悪いというよりは、思考停止している自分に気付かないのが致命的。
思考停止している自分に気付いて、今は見たくないので後で・・・
という意志を持って選択してるならオッケー。
人間の認識力は広く深いという前提に立てば、
その成長は死ぬまで終わることがなく、死んでも終わることはない。
スピな世界では、自分のワクワクすることや好きなことをすればよいと
呪文のように唱えられるが、それは一つのステップでありエントリーにすぎない。
その先にまた、壁にぶつかったり葛藤したり思い悩んだりすることは繰り返され、
それでもワクワクについていけるか、という体験の方が重要。
その葛藤は、人間が物質的な自分と霊的な自分の間で揺れ動き、
成長しようとしている証拠だからだ。
プロセスワークが凄く良いと思ったのは、葛藤や自分のシャドーに何か大事なものがある、
という世界観を持っていて、実際にとりくめば、やっぱりそうだからだ。
普通は恐いし見たくないものに取り組む。
だから、私にとっては葛藤の扱い方を知ることは生きるための大事な道具なのだ。
錆びないように磨き続けないといけない。今回のような勉強会はとても大事な時間。
また、継続していけそうなので、嬉しく思っています。
講師として来てくれた康太郎さん、参加してくれたみんな、
参加予定だったのに来れなくなったり、
途中で帰らなきゃいけなくなったみんなも含めて、
このプロセスに参加してくれてありがとう。
そして、このプロセスに加わってみたいという人にも、
こびとの出入口wを用意する予定です。
その時に出逢ったのがプロセスワーク。
この秋分の日という節目の時に、プロセスワークの存在を教えてくれた
友人の村松家に裏磐梯で勉強会をやってもらえたこと、
後になってじわじわと感慨深く思っています。
震災後、何もできなくなった私は、みんなどう感じているのかを
シェアすることぐらいしか出来ないと思い、
その時にプロセスワークしかないと思いました。
今となってはいろいろな方法はあると思うけれど。
その時はそれしか知らなかった。
そこで、裏磐梯での後、飯舘村の有志で対話をはじめた。
その後、郡山でも対話の会をはじめた友人たちもいて、
それは震災後にずっと続いている。
閉塞した社会に、世界観の狭さを感じる。
多くの人が狭い世界観の中で生きていて、
そこに風穴を開けてくれるひとつの見方をプロセスワークが提示してくれ、
私たちが震災後の福島で自分の体験をどうとらえていくかという時に多大なる力となった。
10年ほど前に、フェルデンクライスメソッドというボディワーク
(というかソマティックエデュケーション)のトレーニングを受けたけれど、
その時にも同じような感覚だった。
重要なのはいずれもアウェアネスなのです。
気付く力。起きていることに気付く力。真実を見る力。
個を超えた大いなる力や見えない力のことも知っておきたいと思い、
エネルギーを扱う分野も学んだけれど、それも私の中では、
アウェアネスを身体という物質レベルから、
物質的にはないところに延長することのように感じています。
ヒーリングの場合はエネルギー体に名前がついているので、
プロセスワークと違う言語を使うけれど、矛盾はしない。
人間の気づく力、認識の力というものは、とてつもなく幅広いものであり、
人間の存在意義はそこだと言っても過言じゃないのかもしれない。
思考停止した瞬間に、感じることをやめた瞬間に、死んだも同然。
思考停止が悪いというよりは、思考停止している自分に気付かないのが致命的。
思考停止している自分に気付いて、今は見たくないので後で・・・
という意志を持って選択してるならオッケー。
人間の認識力は広く深いという前提に立てば、
その成長は死ぬまで終わることがなく、死んでも終わることはない。
スピな世界では、自分のワクワクすることや好きなことをすればよいと
呪文のように唱えられるが、それは一つのステップでありエントリーにすぎない。
その先にまた、壁にぶつかったり葛藤したり思い悩んだりすることは繰り返され、
それでもワクワクについていけるか、という体験の方が重要。
その葛藤は、人間が物質的な自分と霊的な自分の間で揺れ動き、
成長しようとしている証拠だからだ。
プロセスワークが凄く良いと思ったのは、葛藤や自分のシャドーに何か大事なものがある、
という世界観を持っていて、実際にとりくめば、やっぱりそうだからだ。
普通は恐いし見たくないものに取り組む。
だから、私にとっては葛藤の扱い方を知ることは生きるための大事な道具なのだ。
錆びないように磨き続けないといけない。今回のような勉強会はとても大事な時間。
また、継続していけそうなので、嬉しく思っています。
講師として来てくれた康太郎さん、参加してくれたみんな、
参加予定だったのに来れなくなったり、
途中で帰らなきゃいけなくなったみんなも含めて、
このプロセスに参加してくれてありがとう。
そして、このプロセスに加わってみたいという人にも、
こびとの出入口wを用意する予定です。