SSSB 新前橋町壮年ソフトボール

最近は4代目管理人が好き勝手に野球やメジャーのことも書いています。

背番号39といえば

2021年01月25日 | 背番号の話
背番号の話、第3回目は「39」についてです。

「名捕手」が輩出される番号であり、古くは阪神の山本哲也、
そして大洋・秋山登の相棒・土井淳が2年目から「39」を背負って司令塔に定着。
なお、土井と秋山は岡山東高校、明治大学と一緒にプレーし、入団5年目の球団初優勝に貢献。
その後、横浜では法政での“江川の教育係” 高浦美佐緒や岡本哲司、
“大魔神”佐々木主浩が全幅の信頼を置いた秋元宏作ら個性的な捕手が並び、現在は嶺井博希が着用。

「39」から巣立った名捕手も散見され、阪急の黄金期を支えた岡村浩二と中沢伸二、
“江夏の21球”を受ける広島・水沼四郎もプロ入り5年間は「39」、若菜嘉晴も西鉄、阪神で「39」を背負っている。
中村武志は中日-横浜-楽天で21年間、一貫して「39」。
中日で星野仙一監督に“もっとも殴られた男”だが、その“期待”に応えて二度のリーグ優勝に貢献。
阪神で星野監督の優勝を支えた捕手も「39」の矢野輝弘。
中日で中村から定位置を奪えず、阪神へ移籍し正捕手に。やがて星野監督と“再会”して優勝の美酒を。

80年代から劇的な変化が訪れ、日本ハムでは“サモアの怪人”ソレイタがシーズン二度の4打数連続本塁打で衝撃を。
89年にはデストラーデが西武に加入し、秋山幸二、清原和博と“AKD砲”を形成、
左右両打席から本塁打を量産する五番打者は、西武の黄金期を盤石のものにした。
翌1990年シーズンから三年連続本塁打王を獲得、チームの優勝に大きく貢献。
眼鏡をかけた優しそうな風貌とは裏腹に、破壊力十分の打棒の持ち主で、
スイッチヒッターの本塁打王は日本プロ野球史上初。弓を引くようなガッツポーズが独特だった。

しかし、一方でMLBの大物が「お騒がせ」して帰国しており、
SFジャイアンツで本塁打王、打点王、MVPに輝き、ダイエーに入団したケビン・ミッチェルと、
ボストン・レッドソックスから阪神に入団し「神のお告げ」帰国したマイク・グリーンウェルはともに「39」である。

なお、MLBの「39」はドジャースをWシリーズに5回導き、MVP3度の名捕手、ロイ・キャンパネラが永久欠番であり、
また現役最高中堅手と名高く“ジ・アウトロー”の異名を持つタンパベイ・レイズのケビン・キアマイアー外野手の番号である。

SSSBでは鬼の三塁コーチ“トトロマスター”ことshunさんです。

参考記事
週刊ベースボール【背番号物語2019】
【SPAIA】「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」
コメント (2)
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