SSSB 新前橋町壮年ソフトボール

最近は4代目管理人が好き勝手に野球やメジャーのことも書いています。

背番号16といえば

2021年01月20日 | 背番号の話
背番号の話、第2回目は「16」についてです。

やはり、10番台は投手番号ということで、各球団共にエース級、または中継ぎ、抑えの核となる右投手が着用。
西武は球団創設以来、松沼雅之-潮崎哲也-涌井秀章-石井一久-菊池雄星-松坂大輔の系譜。
特に涌井は「18」を経て、移籍したロッテで「16」に“復帰”、昨年も楽天に移籍し「16」に“再復帰”。
史上初の3球団での最多勝利はすべて背番号「16」。
阪急黄金時代の足立光宏からオリックスのクローザーの平野佳寿が継承し、平野はMLBへ。
また、日本ハム1年目に投手タイトルを総ナメにした木田勇や、2017年最多勝のソフトバンクの東浜巨ら好投手が。

“打撃の神様”川上哲治が永久欠番となっている「16」。
10番台では珍しく好打者も少なくないものの、多数派は投手。
川上も最初は投手で、勝利投手になりながら通算2000安打を達成した初の選手に。

阪神では、長くプロ野球記録だった700試合連続フルイニング出場の三宅秀史。
その三宅にあこがれた岡田彰布がリレー。
大洋で“スーパーカートリオ”の一番打者として活躍した高木豊はプロ1年目と日本ハムでの現役ラストイヤーが「16」。

打者の「16」で強烈なのは近鉄・ブライアント。
88年に来日し、中日の二軍でくすぶっていたところ、デービスの逮捕で緊急移籍、6月下旬から34本塁打。近鉄は伝説の“10.19”へ導かれていく。
雪辱を期した翌89年には終盤のダブルヘッダーで2試合にまたがる4打数連続本塁打を放って優勝を呼び込む。

ちなみに、シーズン最多三振のプロ野球記録は、93年にブライアントが喫した204三振。
規定打席到達者での最少記録は、わずか6三振という川上。「ボールが止まって見えた」と口にした1951年のこと。

1989年ドラフトにて史上最多8球団競合の野茂英雄。
4年連続最多勝を獲得するなど78勝を挙げ、1995年から海を渡ってメジャー挑戦。その背番号が「16」。

なお、「巨人の星」で星飛雄馬が背負ったのも背番号16と投打にスーパースターを輩出しているのが背番号「16」。
SSSBでも自らスーパースターと嘯くtajiさんが背負ってます。
これからも投打に活躍されることを期待しています。

参考記事
週刊ベースボール【背番号物語2019】
【SPAIA】「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

ちなみにスー座長の腰は中学生の時から第五腰椎分離症で、現在は第五腰椎と骨盤の間の椎間板がすり減った状態です。
年齢と共に筋肉が減少し、身体の各所に支障をきたしているようです。
恐らく46歳を迎えた後の試合で背中を肉離れしたのも、腰が原因と思われます。


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2 コメント

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Unknown (hide)
2021-01-21 21:11:26
私の世代は、星飛雄馬です。
土曜7時の4チャンネルに男子は釘づけでした。
少年野球の指導者、同級生の親父でしたが、
明子姉さんが花形と恋仲になってきたら、「つまらなくなったから、観るのをやめるように!」と、我々子供達を集めて、肩を落としてたのが、何故か記憶に残ってます。

コロナ後はバット振って無いなあ〜
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Unknown (Tam)
2021-01-23 22:59:38
中日ファンとしては試合に出さずに近鉄に渡してしまったブライアント。
あれほどHRを打つとはね。スカウトは腹が立っただろうね。
元ジャイアントのオリックス土井正三監督がイチローのバッティングを
基礎が出来ていないと二軍に落としたのと同じくらい残念な話。
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