SSSB 新前橋町壮年ソフトボール

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背番号17といえば

2021年02月06日 | 背番号の話
背番号の話、8回目は「17」についてです。

「11」や「18」が王道のエースナンバーとすると、「17」は“実力派”の投手ナンバー。
陽の当たる道のド真ん中を、大手を振って歩いているわけではないのですが、
確かな実力で、やがて覇権を奪ってしまう、そんな好投手たちの系譜。

その筆頭はやはり史上最強のサブマリン・山田久志。
アンダースローでは史上最多284勝をマークした阪急の黄金時代の名投手。
「25」で現役生活をスタートし、2年目から17年連続2桁勝利を達成。
1971年「17」に変更し22勝6敗、防御率2.37の好成績で最優秀防御率を獲得。
最多勝3回など数々のタイトル、76年から78年まで3年連続リーグMVPを受賞。
これは日本プロ野球タイ記録(もう1人は94年から96年のスーさん)。

大洋で大エースとして活躍し、60年初優勝時に大貢献した秋山登も「17」。
1年目に25勝、防御率2.39の成績で新人王。
その後9年連続で50試合以上に登板し、2桁勝利をマーク。
1960年には21勝10敗、勝率.677、防御率1.75の成績で
最高勝率、最優秀防御率を獲得し、チーム史上初の優勝に大きく貢献。
67年に現役を引退するまでに通算193勝、引退後は「71」で監督も。
秋山以降、「17」は斉藤明夫、盛田幸希らが受継ぎ、現在は三嶋一輝が背負ってます。

ヤクルトのエースとしてチームを支えた松岡弘も「17」。
2年目に「25」から「17」へ変更し、8勝をマークし、その後通算191勝。
優勝した78年には16勝11敗、119奪三振、199回1/3、11完投(4完封)、防御率3.75の成績で、
タイトルはなくとも沢村賞を受賞。
その後は川崎憲次郎が受継ぎ、Gキラーとして活躍、通算88勝。
新人王を獲得した川島亮、ロッテから移籍した成瀬善久、清水昇に受継がれています。

着けた期間は短いが、阪神を追われて南海で復活した江夏豊も「17」。
無冠ながら日本シリーズで輝いた広島-西武の山根和夫も「17」。
浪商から中日で守護神として君臨した牛島和彦も「17」。
「17」には敗れたエピソードですら似合う、ある種のダンディズムが漂いますね。

「17」の系譜で興味深いのは、王道のド真ん中を歩んでいるような巨人。
MVP2回、プロ野球記録の42勝、プロ野球初の通算300勝を残しても、
通算83完封が現在も破られないプロ野球記録であっても、エースと呼ばれないスタルヒンが「17」。
スタルヒンの逸話は尽きず、100勝目、200勝目、300勝目の所属チームがすべて別とか、
ロシアから亡命し、交通事故で亡くなるまで無国籍のままだったとか、
戦時中はスパイ疑惑もあり「須田博」という登録名で投げていた等々。
なお、当初は沢村栄治が「17」でスタルヒンが「18」だったが、それぞれ「14」「17」に変更。

戦後、「17」を継承したのが、スライダーの先駆者と言われる藤本英雄。
戦時中のシーズン19完封、防御率0.73はプロ野球記録。
通算防御率1.90、通算勝率.697もプロ野球記録。
更にプロ野球で初めて完全試合を達成したレジェンドでもある。
そして、現在最後の完全試合を達成した槙原寛己も「17」。
ただ、完全試合よりも85年の阪神戦での“バックスクリーン三連発”の印象が強い。

このようにエース級の好投手の印象が強い「17」に新風が。
それは北海道からカリフォルニアへ渡った二刀流・大谷翔平。
エンゼルスで選んだのは「17」。この番号を選んだことを訊かれて、
「本当は27にしようかなと思ったのですが、埋まっていたので17にしました」
この言葉に集まった1,000のファンが、どっと沸いた、とニュースに。

「27」はリーグMVP2回受賞したチームの大スター、マイク・トラウト。
大谷の茶目っ気たっぷりのジョークはでファンの心をつかんだ。
当のトラウトは、週末に結婚式を挙げたため会見には出席できなかったが、
大谷は彼への敬意を示すことを忘れず、6度のオールスター選出を誇るトラウトの結婚を祝福。

実際の理由は高校時代、花巻東高校では将来のエース候補に「17」を与える習慣があり、
先輩の菊池雄星も1年時は「17」、大谷自身も1年時に「17」を着用しており、
初心に帰る意味も含まれていると思われます。

投手のイメージが強い「17」ですがSSSBではTamさんのナンバーです。
このブログの発起人であり、初代管理人、名スコアラーでもあります。
Tamさんのおかげで、SSSBをこのようにしらしめることができています。

参考記事
週刊ベースボール【背番号物語】
【SPAIA】「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

20:00追記
そういえば、Tamさんが「17」を選んだ理由について考えてみました。
当初、「17」は投手の背番号だし、誕生日とも結びつかないし、
“永遠のセブンティーン”なのかな、とも思いましたが、
昇竜命のTamさんと「17」を結び付けたら、一つ浮かんできました。
第1回WBC優勝時、中日から参加した福留孝介の背番号は「17」でした。
きっとこれが理由ではないでしょうか、と勝手に考察しました。


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3 コメント

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Unknown (hide)
2021-02-06 13:48:30
tamさんが17番を選らんだ理由を知りたいですね。
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Unknown (Tam)
2021-02-07 06:07:41
自分のラッキーナンバー「17」を取り上げていただき
ありがとうございます! 沢村栄治と山田久志、エンゼルスの
大谷翔平がメジャーでしょうか。
サッカーでは元日本代表のキャプテン長谷部誠ですかね。
息子も高校サッカーでは「17」でした。
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Unknown (Tam)
2021-02-07 06:42:56
hideさんへ
中学生の頃、航空機(プロペラ)のプラモデルを沢山作りました。
デザインが秀逸だったのが戦闘機は英国バトルオブブリテンの英雄、
「スピットファイアー」爆撃機でヨーロッパ戦線で活躍したB-17
「Boeing B-17 Flying Fortress」でした。
それから「17」という数字をラッキーナンバーになりました。
単純ですみません。
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