鬼井江の世界(gooブログ)

山陽道歩き旅② (11有年宿→12三石宿)2023年1月4日 日帰り

 新年になり、正月2日間は自宅で過ごし、3日は畑へ。トンネル栽培中の畝に水やりをして帰宅。

 1月4日早朝から、山陽道歩き旅に出た。年末(12月28日)に山陽道歩き旅をスタートさせ、日帰りでJR竜野駅から有年宿まで歩いていたので、この日(1月4日)の山陽道歩きのスタート地点は、「有年宿本陣跡」。この地点に着いたのは、午前10時10分だった。JR姫路駅までは新快速があるので便利だが、その先の山陽本線は列車がガクンと減る。有年駅は無人駅。乗降客は少ない。この日、有年駅で降りたのは私一人だけだった。

 「有年宿本陣跡」から(岡山方面への山陽道=西国街道を)しばらく歩いて行った地点に、「有年宿番所跡」の標柱があった。標柱には「寛永年間(1624~)頃、赤穂藩役人は出張の際ここに宿泊し、前庭を白洲にして番所として利用した・・・」と書かれていた。そして、集落の東端近くにある八幡鳥居の前を通り過ぎると、立派な長屋門のある建物を目にした。その建物は「有年(ありとし)家」だった。地名とは漢字は同じだが、読み方は違っていた。有年家は江戸時代、大庄屋を務めた家柄だった。白壁を伴った見事な長屋門だったので、じっくり観賞。「有年地域には立派な建物が多いなあ・・・」と。

 しばらく街道筋を進んでいくと、大避(おおざけ)神社の前を通過して、国道2号線に出た。2号線を斜めに横切って、細い道(山陽街道=西国街道)が続いていた。民家も少なくなったが、この道が山陽道だった。

 街道筋に家がなくなり、緩やかな上りの道になってきた地点に「坂折池」の土手が見えてきた。池の水面が見えていなかったので、街道筋を上っていくと、「峠入り口のゲート」があった。そのゲートのかたわらに古い「西国街道の案内板」が設置されていた。(山陽道にゲートか・・・、困ったぞ? 開けてもいいのだろうか?)と思案しながら、ゲートに近づいた。そしたら、「開けたら、閉めること」と注意書きがあった。

 (ははーん、街道だから、開けてもいいらしい。元の状態になるように閉めればいいのだろう)と、判断して、ゲートの扉を開けることにした。ところが、これがなかなか難しかった。開けることは簡単にできたが、閉めるのに苦労した。金網の目が狭くて、手が入らず、締め切り棒を元に戻せなかった。困ったなあ…と、思案し、扉によじ登り、上から手を伸ばし、締め切り棒を元の穴に入れようとしが、なかなか入らない。あれこれと試みたが、うまく元の状態にならない。15分ぐらい悪戦苦闘していたら、(偶然?)スパっと入った。よかった!!

 安心したら、上着の一部が破れていた。どこに引っ掛けたのだろう? 必死だったので、破れたことに気づくのが遅かったらしい。とにかく、閉めることに必死だった。

 悪戦苦闘して、ほっとして・・・。ゲートが閉まっていることを確認してから、ゲート内の山陽道(西国街道)を歩いて行った。しばらく、上りの道が続いていた。

 あとで資料を調べて分かったことだが、ゲートは猪除けに設置されたものだった。3月15日まで狩猟可能とのことで、ハンターが入って猪を撃つとのことだった。たまたま1月4日はハンターが入っていなかったらしい。銃声は聞こえなかったから。それにしても、そういうことは入り口に書かれていなかったので、「動くもの(私)と猪とを間違われたら、恐ろしいことになるかも)と、その資料を読んで再認識した次第です。一人歩き旅において、ゲートを開けるときは、判断を慎重にしなければ・・・と自覚しました。近年、熊や猪などの出没は全国的に増えていますから。(岡山の友人の畑でも、猪の被害が多くて・・・と嘆いていましたよ。幸い私がお借りしている堺市の畑では、猪の被害はなさそうですが、アライグマの被害はありますね。)

 ゲートを開閉した後、坂道(はじめは車が通れる幅があり、途中から、人しか通れない道に狭くなった)をどんどん上っていった先に、有年峠らしき場所にたどり着いた。地形的には「有年峠」に違いない場所ですが、どこにも「有年峠」という表示や標柱はなかった。もうほとんど人が通らない道になっているからでしょうか、「峠」の表示はまったくありませんでした。山道で、字のごとく「上り」から「下り」に代わる地点が「峠」なのですから、一般的には「○○峠」という表示または標柱があることが多いのですが・・・。

 有年峠地点で、持参していた昼食用のサンドイッチを食べて、休憩しました。休憩中に、持参していた資料に目を通した。有年峠についての記述があり、読んでみた。その記述によると、

【 有年峠は、急峻さゆえに「播磨箱根」と呼ばれていたという、難所であるが、篤姫の嫁入りの際にも通ったという由緒ある峠道である。明治になって、明治天皇西国行幸の折り、北方に現在の国道2号が造られ、通る人もいなくなって、廃道になってしまった。しかし、山陽道の旧道なので・・・・・・云々  】

 と、書かれていた。(そうか、廃道になっていたので、歩く人は激減したらしい。)

 昼食休憩を終え、峠道を下って行った。下りになると、滑らかな歩行ができ、特に問題もなく、枯葉だらけのフカフカした道だった。ほぼ下りきった地点に、「出口のゲート」があった。ゲートは太い針金で閉じられていたが、開けることも閉めることも簡単にできた。(簡単で、よかった!)

 出口のゲートを出た後、しばらく行った地点に、「梨ヶ原・宿遺跡」という案内板があった。案内板によると、中世から近世の集落の後で、「宿」という字名から、中世山陽道(近世西国街道)沿いにおこった「宿」とよばれる町の一つ(=梨ヶ原宿)として、山陽道を行きかう人々でにぎわった、との説明があった。

 梨ヶ原宿は、山陽道51次の中には含まれていないのですが、江戸時代以前には栄えていた地域のようです。梨ヶ原の集落の中を通っていくと、山陽道(西国街道)沿いに「明治天皇駐輦之碑」が建っていた。*駐輦(ちゅうれん)=天子の乗る車を止めて、一時滞在すること。 明治18年の西国巡幸の際、休憩された記念碑。大きくて立派な碑でしたね。

 碑の前を通過して後、一度国道2号線に出て、しばらく行き、JR山陽本線の踏切を渡った。短期間の国道歩きから山陽道歩きにもどった。線路にほぼ並行していて、緩やかな坂道(山陽道で、車が通れる幅の道)を上って行った。どんどん歩きやすい坂道を進んでいくと、船坂峠に到着した。ここには、県境碑があった。しっかりとした石柱には『 縣界 東宮殿下行啓記念 岡山縣 』と書かれていた。船坂峠が、兵庫県と岡山県との県境だった。船坂峠を越えて、岡山県に踏み入れた地は、備前市だった。午後1時40分ごろになっていた。

 船坂峠から下りの坂を下っていき、国道歩きを700メートルぐらいした後、国道の道路標識には「岡山 39km」とあり、その標識を見ながら、国道2号線近くの山陽道を歩いて行った。山陽道は国道歩きよりも気が楽である。車の量が少なく、のんびり歩けるから。

 歩きやすい下り坂の山陽道。人家があるところに来たなあ…と思ったら、すぐにJR三石駅が見つかった。駅への階段を上ると、時刻表があった。約30分ほど待てば、姫路方面行きが来る。昼間は1時間に1本ぐらいの本数だった。(えっ、山陽本線なのに、この駅は昼間、1時間に1本か?!)

 (30分待ちなら、いいことにしよう!)と、3時前の列車を待つことにした。三石宿中心部ををうろうろしていて、列車に乗り遅れたら、たいへんだと思い、無人駅のホームで、ゆっくりすることにした。(三石宿散策は次回にしようと計画)

 3時前の列車に乗り、三石駅→相生駅(乗り換え)→姫路駅(乗り換え)→大阪駅(乗り換え)→堺市駅へ。帰宅は午後6時前に。

 歩数計は、28536歩(約16km)を指していた。この日は20km以下だったので、楽だった。

 三石駅から先の山陽道歩きは、青春18切符残り1回分(冬季利用最終日1月10日に)利用で、実施するつもりです。1月10日、いよいよ岡山県の山陽道歩きです。次回の訪問コースは、12三石宿から13片上宿へ。   

以上

有年宿番所跡

八幡神社 有年山城の麓にある神社

有年(ありとし)家の長屋門 石垣の基礎の上に建てられていた。

「峠入り口のゲート」 ゲートを閉めてから写真を撮った。向かって左の道が山陽道で、右が坂折池の土手。池が壊れないようにコンクリートで補強。大きな池でしたが、水は少なかった。梅雨頃には満たされるのだろう。

悪戦苦闘して締め切り棒(鉄製)を穴に収めて、元通りにしておいた。(二人だったら、簡単にできたかもしれないが、一人だったので、大変でした。) 

車では通れない箇所がありましたが、人間は通れました。

西国街道(中国地方では、ほぼ山陽道=西国街道) 街道案内表示がありました。

(山陽道=大阪~下関・門司  西国街道=京都~下関・門司 ) 

峠出口のゲート 扉右手に太い鉄線があった。斜めの写っている鉄線で、抜き取れば、外せた。また元通りにもしやすかった。

 

有年峠と思われる位置から下り坂の道を写した写真

船坂峠 石柱の県境碑があった。

山陽本線のレールが見えていた。山陽道から下をのぞいたら、レールが見えていた。足が滑りそうだったので、注意して写真を撮った。急峻だった。写真手前のレールと向こうのレールとで、山陽本線はやはり「複線」だった。

この駅を利用したのは初めてでした。人生、岡山駅までは何十 回も乗っていたのに・・・。山陽道歩き旅をする機会に、「人生、初めて利用する駅」になりそうな駅がいくつもあることでしょう。今年は、中山道歩きを終え、来年からは山陽道歩きに力を入れるつもりです。甲州道・奥州道・日光道などは、いつになるやら・・・

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「山陽道歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事