今朝は、スッキリピカピカの夏空が広がっていますね~~!!
CATVのお天気チャンネルで確かめたところ…
「関東地方で梅雨明け!?」…の文字と
気象庁の人が悩んでいるイラストが出ていました!!
それにしても…久しぶりの水色の鮮やかな夏空の出現は、
夏生まれの私にとっては…最高の贈り物をいただいた気分です!!
kirikouの育てている稲も、おかげさまですくすくと伸びてきて
近所で畑をなさっているYさんから「そろそろ『中干し』していいよ~。」と
声をかけていただいて…日曜日に、私も手伝って水を抜きました。
kirikouもどこで調べてきたのか「分けつが…ナントカカントカ…」と説明してくれました。
今朝は、お日さまの光もあふれんばかりに降り注いで…
稲もニコニコ、ほんとうにうれしそうに見えてきます。
ちょうどタイミングよく今日の「プロフェッショナル」は
「アイガモ農法」の古野隆雄さんのお話とのこと。
実際の農業となると、それはそれはたくさんの難しいことやご苦労があると思いますので
また、kirikouと一緒に観るのが楽しみです!!
と言いながら…実は、今朝早くから・・・kirikoの体調がよくなくって
先ほどからようやく、静かに眠っています。
原因は…分かりませんが、夏風邪でしょうか…
吐き気があって、おなかの調子がよくありません。
夏休みに入って、せっかくお天気がよくなったので
早く元気になりますように~~~!! と祈りつつ…
軽めのお話をするのも心地よくって…このまま終わるのもいいんですけれど…
実は、先ほど22日に放送された「河合隼雄先生」の追悼番組の録画を観ました。(以下引用)
河合隼雄さんをしのんで
「年越しトーク 文化共存の道 」-河合隼雄の四つの対話-
▽近年頻発する紛争の原因の一つは多様な文化の衝突ではないかと考えた
臨床心理学者・文化庁長官の河合隼雄さんが、
問題解決のヒントを求めて国内外の賢人たちと語り合う。
はたして、人類は価値観や文化の違いを乗り越え、共存できるのだろうか。
出演:河合隼雄(臨床心理学者・文化庁長官)J.アタリ(作家・元仏大統領特別顧問)、
イ・オリョン(元韓国文化大臣)、山折哲雄(宗教学者)、山崎正和(劇作家)
河合先生のお姿を、目にすると・・・ほんとうに、今すぐそこにいらして
やさしい表情でお話していらっしゃるような気がしてなりませんね…
日本人のもつ寛容性について、また宗教性ということをあらためて問い直してみること、
そして「個人の体験を深めていくこと」で普遍性につながっていくこと
多様性を活かしつつ共存することを、自覚しながら「対話する」ことによって
つながっていこうと努力することで、これからに希望が持てるのでは…
というお話が、強く印象に残りました。
自分の身の回りや自分自身について、考えたり実際にできることは、
ほんとうにささやかで小さなものかもしれません。
けれど、そのささやかな人としての私にできることを
往ったり来たりしながらも、ささやかな自信とともに、進んでいけたなら…
そんな、一人ひとりのつながりが、きっと大きな流れになるように想えてなりません…
最後に、河合先生の「こころの処方箋」の中のことばを、一部書き写しておきます。
『すべての人が創造性を持っている』
(前略)
人間が生まれてくるということは、そのなかに「創造の種子」を持っている、ということであろう。その種子から芽が伸びていくときに、その人の属する集団の持つ価値観と一致する部分の多い人は、それを伸ばしていくのが容易であろう。しかし、その場合その人の創造性は他に見えにくいし、つい安易になって、全体の傾向に合わせてしまって、その中にある自分の創造性を見いだすことを怠るかもしれない。
これに反して、自分の「創造の種子」が、その人の属する集団、つまり、家庭、地域、社会、国家などの傾向とことなる場合は、なかなか困難が大きい。生きてゆくためには、その人は、一応は集団に適応しなくてはならない。時には、自分の「創造の種子」を強く圧迫することによって、それを成し遂げ、本人もそれでよいと思っているときさえある。そのようなときに、その人は神経症の症状をはじめいろいろな「困難」や「苦悩」に出会って、われわれのところに相談に来られる。
もちろん、その人たちの願いは、早くその苦しみから逃れたい、ということである。それに対しても応じようとしつつ、一方では心理療法家はその人の「創造の種子」が発芽し伸びていくのを援助したい、という気持も持っている。これは実は非常に難しいことである。創造の種子を発芽させてゆくことは、その人にとって、その人の所属している集団、家族とか社会とかに反する生き方をすることにもなってくるから、それはむしろ苦しみを倍化させることにもなる。
ここに書いてしまったことを実際に行うには戦ったり妥協したり、方向転換をしてみたり、といろいろなことが生じ、その人なりの「創造の作品」ができあがってくる。ここで言う「作品」とはその人の人生そのものなのである。このような方向を見出し、自らの力で創造活動を続けられるということになったときに、その人とわれわれは別れることになるが、それまでは数年、あるいは十年を越える年月を要する時もある。
この経過の中で既に述べたように、芸術作品を生み出してゆき、それが一般的にも評価されるようなものになるときもある。しかし、私が大切にしているのはそのようなことも含めて、その人の生き方全体の創造であり「私が生きた」と言えるような人生をつくり出すことなのである。創造には犠牲がつきもので
そこには何らかの犠牲が生じるだろう。そのことも明確に意識し、そのような犠牲の責任者としての自覚をもって、「私が生きた」と言えることが必要である。
「私が生きた」という実感をもったとき、それはいつ誰によっても奪われることのないものであることが明らかで、「創造」の実感も伴うはずである。それが明確なものになればなるほど一般的な社会的評価はそれほど気にならなくなるし、それはもっともっと普遍的な存在の一部としての責任を果たしたと言う自己評価につながってゆくだろう。
(引用ここまで)
私にとって「創造」ということも、さらには「私」というものさえ
まだ、しっかりとつかめていない気がしますし、私の勝手な解釈にすぎませんけれど
河合先生の言葉から私が受け取ったメッセージは…
殊更に名前を残すことのない、ささやかなひとりの人生のなかにも
意識して生きていくことで花開く可能性のある「創造の種」が、隠されている…
そして、困難や苦労に見舞われるなかでも、
それらをエネルギーに代えていく力のようなものが、きっと備わっている…
それを信じていくことで、希望を持って生きていける…ということでしょうか…
澄み切った夏空に、白い雲がゆったりと流れていくのが見えます…
変わりゆくものの流れに、ただ身を任せつつ…
いま、ここにある意識とともに…
CATVのお天気チャンネルで確かめたところ…
「関東地方で梅雨明け!?」…の文字と
気象庁の人が悩んでいるイラストが出ていました!!
それにしても…久しぶりの水色の鮮やかな夏空の出現は、
夏生まれの私にとっては…最高の贈り物をいただいた気分です!!
kirikouの育てている稲も、おかげさまですくすくと伸びてきて
近所で畑をなさっているYさんから「そろそろ『中干し』していいよ~。」と
声をかけていただいて…日曜日に、私も手伝って水を抜きました。
kirikouもどこで調べてきたのか「分けつが…ナントカカントカ…」と説明してくれました。
今朝は、お日さまの光もあふれんばかりに降り注いで…
稲もニコニコ、ほんとうにうれしそうに見えてきます。
ちょうどタイミングよく今日の「プロフェッショナル」は
「アイガモ農法」の古野隆雄さんのお話とのこと。
実際の農業となると、それはそれはたくさんの難しいことやご苦労があると思いますので
また、kirikouと一緒に観るのが楽しみです!!
と言いながら…実は、今朝早くから・・・kirikoの体調がよくなくって
先ほどからようやく、静かに眠っています。
原因は…分かりませんが、夏風邪でしょうか…
吐き気があって、おなかの調子がよくありません。
夏休みに入って、せっかくお天気がよくなったので
早く元気になりますように~~~!! と祈りつつ…
軽めのお話をするのも心地よくって…このまま終わるのもいいんですけれど…
実は、先ほど22日に放送された「河合隼雄先生」の追悼番組の録画を観ました。(以下引用)
河合隼雄さんをしのんで
「年越しトーク 文化共存の道 」-河合隼雄の四つの対話-
▽近年頻発する紛争の原因の一つは多様な文化の衝突ではないかと考えた
臨床心理学者・文化庁長官の河合隼雄さんが、
問題解決のヒントを求めて国内外の賢人たちと語り合う。
はたして、人類は価値観や文化の違いを乗り越え、共存できるのだろうか。
出演:河合隼雄(臨床心理学者・文化庁長官)J.アタリ(作家・元仏大統領特別顧問)、
イ・オリョン(元韓国文化大臣)、山折哲雄(宗教学者)、山崎正和(劇作家)
河合先生のお姿を、目にすると・・・ほんとうに、今すぐそこにいらして
やさしい表情でお話していらっしゃるような気がしてなりませんね…
日本人のもつ寛容性について、また宗教性ということをあらためて問い直してみること、
そして「個人の体験を深めていくこと」で普遍性につながっていくこと
多様性を活かしつつ共存することを、自覚しながら「対話する」ことによって
つながっていこうと努力することで、これからに希望が持てるのでは…
というお話が、強く印象に残りました。
自分の身の回りや自分自身について、考えたり実際にできることは、
ほんとうにささやかで小さなものかもしれません。
けれど、そのささやかな人としての私にできることを
往ったり来たりしながらも、ささやかな自信とともに、進んでいけたなら…
そんな、一人ひとりのつながりが、きっと大きな流れになるように想えてなりません…
最後に、河合先生の「こころの処方箋」の中のことばを、一部書き写しておきます。
『すべての人が創造性を持っている』
(前略)
人間が生まれてくるということは、そのなかに「創造の種子」を持っている、ということであろう。その種子から芽が伸びていくときに、その人の属する集団の持つ価値観と一致する部分の多い人は、それを伸ばしていくのが容易であろう。しかし、その場合その人の創造性は他に見えにくいし、つい安易になって、全体の傾向に合わせてしまって、その中にある自分の創造性を見いだすことを怠るかもしれない。
これに反して、自分の「創造の種子」が、その人の属する集団、つまり、家庭、地域、社会、国家などの傾向とことなる場合は、なかなか困難が大きい。生きてゆくためには、その人は、一応は集団に適応しなくてはならない。時には、自分の「創造の種子」を強く圧迫することによって、それを成し遂げ、本人もそれでよいと思っているときさえある。そのようなときに、その人は神経症の症状をはじめいろいろな「困難」や「苦悩」に出会って、われわれのところに相談に来られる。
もちろん、その人たちの願いは、早くその苦しみから逃れたい、ということである。それに対しても応じようとしつつ、一方では心理療法家はその人の「創造の種子」が発芽し伸びていくのを援助したい、という気持も持っている。これは実は非常に難しいことである。創造の種子を発芽させてゆくことは、その人にとって、その人の所属している集団、家族とか社会とかに反する生き方をすることにもなってくるから、それはむしろ苦しみを倍化させることにもなる。
ここに書いてしまったことを実際に行うには戦ったり妥協したり、方向転換をしてみたり、といろいろなことが生じ、その人なりの「創造の作品」ができあがってくる。ここで言う「作品」とはその人の人生そのものなのである。このような方向を見出し、自らの力で創造活動を続けられるということになったときに、その人とわれわれは別れることになるが、それまでは数年、あるいは十年を越える年月を要する時もある。
この経過の中で既に述べたように、芸術作品を生み出してゆき、それが一般的にも評価されるようなものになるときもある。しかし、私が大切にしているのはそのようなことも含めて、その人の生き方全体の創造であり「私が生きた」と言えるような人生をつくり出すことなのである。創造には犠牲がつきもので
そこには何らかの犠牲が生じるだろう。そのことも明確に意識し、そのような犠牲の責任者としての自覚をもって、「私が生きた」と言えることが必要である。
「私が生きた」という実感をもったとき、それはいつ誰によっても奪われることのないものであることが明らかで、「創造」の実感も伴うはずである。それが明確なものになればなるほど一般的な社会的評価はそれほど気にならなくなるし、それはもっともっと普遍的な存在の一部としての責任を果たしたと言う自己評価につながってゆくだろう。
(引用ここまで)
私にとって「創造」ということも、さらには「私」というものさえ
まだ、しっかりとつかめていない気がしますし、私の勝手な解釈にすぎませんけれど
河合先生の言葉から私が受け取ったメッセージは…
殊更に名前を残すことのない、ささやかなひとりの人生のなかにも
意識して生きていくことで花開く可能性のある「創造の種」が、隠されている…
そして、困難や苦労に見舞われるなかでも、
それらをエネルギーに代えていく力のようなものが、きっと備わっている…
それを信じていくことで、希望を持って生きていける…ということでしょうか…
澄み切った夏空に、白い雲がゆったりと流れていくのが見えます…
変わりゆくものの流れに、ただ身を任せつつ…
いま、ここにある意識とともに…
どう自己評価をあげていくか、何歳になっても難しい課題です。
RAM さま
コトバにしてしまうと・・・なにやらしっくりしない気もしますが・・・
僭越ながら・・・私の思うに
RAMさまは想定している基準値が、とっても高いのではないでしょうか?
そんなRAM様も、私にはとっても素敵な方だと思いますし・・・
自分で自分にOKを出すというのは・・・どうすればいいのでしょうね~?
「いい加減」や「折り合い」というのが、人によっては解決にはならないのかも知れませんし・・・
私の場合は・・・できない自分に気づいてから・・・
かえって楽になってしまったところがあります。
それに甘んじてはいけないのかもしれませんが・・・
できるところをやっていけばいいし・・・周りに、迷惑をかけているかもしれないけれど
そのことも含めて「これが今の私なんだ・・・それでもがんばっているよね~」って
安易に、想ってしまったというところでしょうか?
こんな自分でも、ほめてもらえたりすることがあると…
認められていると感じるのでしょうか…
何やら、ありきたりのことしか思い浮かびません・・・
ただ、周りの基準もさることながら
自分自身の基準を見直してみると・・・
何かが見えてくることもあるような気がしますけど・・・
(ムズカシイデス・・・)
それはさておき、河合さんから風待人さんが得た「創造の種」…私もそのとおりだと思います。
人生の中で歩む一歩はすべて次の道を作るための過程。振り返れば今まで築き上げてきた一足の連続で、道が出来ている…。
そんなことを意識すると、過去にしてきた創造の大きさに自信となるでしょう。また”今””ここ”という文脈から先に行くときにも、今までの生きてきた証がすべて創造の種(⇒道標)になっている…なんてことが言えるのかもしれませんね。
まだ河合さんの番組は録画したものを観ていません…早く観たいです!!
「こころの処方箋」私もまた読み返してみることにします。
お気遣いいただいて・・・ありがとうございます!!
どうも、夏の暑さに弱いのは・・・赤ちゃんの頃からで・・・
まだ、体調管理ができないようです。
その上ついつい夜更かし朝寝坊・・・してしまうので。
無理しないように自分でコントロールできると良いのですけれど・・・
(自分を振り返ってみるに・・・
それって、大人になっても意外に難しいことのようです・・・)
ところで、北海道での集まりは、とても楽しくお過ごしのようでしたね~!
ぜひ、いつかこちらでも・・・と想います。
菫 さま
ご心配いただいて、ありがとうございます。おかげさまで、大丈夫です。
菫さまは、もう、具合はよくなりましたか~?
実家にお帰りになって・・・ほっとなさっているところでしょうか?
札幌の夏は・・・さわやかな風が通り過ぎていくのが感じられるような・・・
ところで「こころの処方箋」は、短いエッセイですけれど
読んでみると・・・とても深いこと、大切なことをさりげなくおっしゃっていると思いました。
モチロン、専門的なご本もすばらしいのでしょうけれど
普通の会話のような、やさしい文章のなかで、大切なお話をしてくださって
河合先生のほんとうに素敵でいらっしゃることを、あらためて感じますね~!
「人の心などわかるはずがない」・・・
「ふたつよいことさてないものよ」・・・
人の心によりそうことに、人一倍心を砕いていらした先生の言葉と想うと・・・
その意味の重さを、なおさら強く感じてなりませんね・・・