Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

画家の、そして作家の視線・・・

2008-12-03 11:37:00 | 表現すること
眩しい朝の光が、銀杏の葉っぱを透過して…

黄金色に輝いているところと、影になっている部分の薄い抹茶色のコントラストも
なぜか心地よく、躍っているように見えています。


朝の目覚めは、いまひとつアヤシゲだったkirikouも、驚異的な復活ぶりを見せて
お日さまに向かうようにして、登校していきました。


ヤレヤレと胸をなでおろしてから、

手元にある「日本の伝統色」という本の色見本のページをめくりながら
目の前の銀杏の葉っぱと「青朽葉」やら「鶸(ひわ)茶」やら
「青白橡(つるばみ)」などと見比べておりました。


そうそう昨日、目にした上野公園の銀杏の葉っぱも
灰色の空を背景にして、黄色い輝きを放っていましたっけ。

人の歩くところは、きれいにお掃除されていますけれど
銀杏の植え込みのあたりは、黄色の絨毯を広げたみたいに鮮やかです。


昨日は…平田オリザ作演出のお芝居「冒険王」を観にいくことにしていましたので
その前に、時間があったら「絵を観よう!」と想っておりましたが

何を観ようかしら・・・と、アレコレ迷っておりました。



…とここで、一旦お話は、一気に時間軸を遡り


2か月ほど前の、9月28日のシンポジウムに東大まで向かう日のことです。

夏の名残と秋の訪れが微妙に混在する…上野公園を通り抜けて行こうと想っていました。

(その日は、時間を見計らって、珍しく少々早めに家を出られましたので)

ちょうど、公園内で開かれていた陶器市を覗いてみたり
お弁当を食べている子ども連れの若い家族に混じって、木陰に座って

出店で買ったサツマイモの入った蒸しまんじゅうを、お昼ご飯代わりに頂きました。

その後、向かった先は、東京芸術大学のキャンパス内で開かれていた『イチケン展』です。

正木記念館という左右に別れた(?)白壁の建物の、まずは左側の2階に上がると
畳の部屋に作品が展示されていました。

(今となっては、すっかり記憶がぼやけていますけれど…)扇をモチーフにしたものや
大きな日本画で、クレマチスを描いたもの、蝶の描き方などが印象に残っています。

建物や階を移って、いろいろな作品を見せていただきました。

色の使い方や様々な表現方法など、
皆さんそれぞれにいろいろな工夫と研鑽を積み重ねていらしゃることが
とても良く伝わってくる作品ばかりでした。

受付にいらした女性に「ここから東大の方へ行きたいんですけれど・・」と
プリントアウトした地図を見ながら、方向を教えていただきました。

寄り道やら回り道が大好きなタチなので、大きな通りには出ないで…

上野高校やら、根津やら
古くから残っているらしき町名と所番地を頼りに、路地を歩いていきました。

大きめの通りを一つ越えて、右側にあった古本屋さんで道を尋ねて
界隈のマップをいただいて、お寺の前を通り
大体の当たりをつけて歩いていくと、小学校の運動会が行われていました。

ちょうど保護者の方が、門の前にいらして
もう一度道を尋ねたついでに、しばし立ち話をさせていただきました。

東大病院のある側の門は…なんて言う名前でしたっけ?

初めて通ったところでしたから、今はすっかり忘れてしまいましたけれど
石畳の坂を上っていくと、ほんとうに古い煉瓦作りの建物が続いていて

グラウンドのあたりから、何かのスポーツ競技をしているような声援が聞こえてきました。

安田講堂あたりまで来て、道行く人の数人に目的地の理学部の建物の事を聞きましたが
どうも、良く分かりません。

(実は、肝心の東大内の建物の地図をプリントアウトするのをすっかり忘れていて)

赤門近くにいらした警備の方に聞いて、ようやくその建物にたどり着き

(何やら、昔の私の学生時代の記憶がよみがえるような…)

雑然とした研究室の前を抜けて、由緒あるらしき階段の風情にドキドキしながら
4階の講堂へ向かいました。


シンポジウムの詳しい内容については、
先日ご紹介した『進化心理学中心の書評など』を書いていらっしゃるshorebird様の
お書きになった記事を、是非ご覧下さい。


私自身は、シンポジウムの内容もさることながら…正直に申しますと
講演者の方々に、大きな興味があって伺ったようなところがありますので

それぞれの方のご様子を感じながら、とても意義ふかいお話を伺うことができました。

「戦いや戦争をしてきた生き物」としての人間について

人類学という分野で扱う領域も対象も、ほんとうに様々のようですし

それらを解釈したり、研究したり…考察していく研究者の方々も
ほんとうに多様性に満ちているんですね!

そのような、多面的なアプローチと様々な方々のご研究の行く先に

人類の明るい未来が、きっときっと見えてきますように~!!

切なる願いが、大きく膨らんでまいりました。



そして、ふと思い出したのは、昨日のお出かけにと持参した
堀田善衛著「空の空なればこそ」の中の文章です。

この本は、宮崎駿さんの講演の中でお話もありました
堀田氏の最晩年のエッセイ集で

1995年1月から1997年12月までに
雑誌『ちくま』に連載なさったのを、纏めたものとのこと。

「極端なる世紀」の中で、イギリスの史家Eric Hobsbaum氏の
訳すとすると「極端なる時代、短かかりし二十世紀」となるであろう
二十世紀現代史の著書について、お話は、始まっています。(以下引用)

『 かくて私もこの世紀を顧みてみるとき、やはり〝短かかりし二十世紀〟との思いを禁じえないのであった。(中略)
 かつての戦争では、私自身、中学生のときの同級生の半分をこの戦争で失わなければならなかったが彼等のことを思うと、いまでも胸が痛むのであって、それが50年も前のことであったとは到底思えないのである。時間だけが盲滅法に早くたって行ったとしか思えないのであった。〝短かかりし二十世紀〟であった。
 私自身は、この異様な世紀に生きて来て、前記のバーリン氏同様に「個人的には悲道なめに遭わずに生きて来た」と思うのであるが、人間の全体としての今世紀を考えてみるとき、やはりゴールディング氏とともに「二十世紀は人間の歴史のなかでも、もっとも兇暴な世紀であった」と考えざるをえないのであった。
 カーター元大統領の特別補佐官であったブレジンスキー氏の一九九三年の計算によるとこの世紀に、人による命令、あるいは決定によって殺された人々のその数が一億六千七百万人にのぼるというのであったから、これはもう過去のいかなる歴史にもありえなかったことであった。もはや戦闘員と市民の区別などもなく、この世紀の戦争の残虐さに比べれば、過去の歴史にあらわれた戦争などは、どこかの町か村か横丁での喧嘩のようなものであった。
 しかも、戦争や虐殺はいまもなお各地で続いていて、終わりは見えて来ず、前記のブレジンスキー氏の著書の題名は
“OUT of CONTROL,Global Turmoil on the Eve of The Twenty-First Century”というものであった。 
 メニューヒン氏の言うように、「すべての構想と理性」は破壊されてしまったのであろうか。
 たとえそうであったとしても責任ある個人というものだけは絶対に残っているのであったから、再出発は可能である、と私は思っている。(一九九五年七月)』(引用ここまで)


ついつい引用が長くなってしまいましたが…

二十世紀の80年間を、ほぼ同時代人として生きていらした
作家の視線の先に見えていたものは…

一体、どんな世界だったのでしょうか?

連載を締めくくる一九九七年十二月の文章は、旧約聖書の中の『伝道の書』の

「ダビデの子、エルサレムの王、伝道者の言(ことば)」を称して引用なさっている
「空の空なればこそ」です。(以下引用)


『…いずれにしてもきわめて具体的であり、次に現実論に入って行く。

   我この空の世にありて、各様(もろもろ)の事を見たり。義人(ただしきひと)の義(ただしき)を行いて滅ぶるあり。悪人(あしきひと)の悪(あしき)を行ひて長寿(いのちながき)あり。汝、義(ただしき)に過ぐるなかれ、また賢きに過ぐるなかれ。汝、何ぞ身を滅すべけんや。汝、悪(あしき)に過ぐるなかれ、また愚(おろか)なる勿れ。汝、なんぞ時いたらざるに死(しぬ)べけんや。

 …現実に存在する矛盾を、かくまでも率直に直視し得る目というものも稀な筈である。 そしてこの矛盾にみちた世にあっても、一つの救いは与えられているのであった。

  人の智慧は、その人の面(かほ)に光輝(ひかり)あらしむ。
  又その粗暴面(あらきかほ)も改変(あらたまる)べし。

かくて、あるいは、されば、人は如何に生くべきか。


  汝、往て喜悦(よろこび)をもて汝のパンを食ひ、楽き心をもて汝の酒を飲め。其は、神久しく汝の行為(わざ)を喜納(よみし)たまへばなり。汝の衣服(ころも)を常に白からしめよ。汝の頭(かしら)に膏を絶しむるなかれ。日の下に汝が賜はるこの汝が空なる生命(いのち)の日の間、汝、その愛する妻とともに喜びて度生(くら)せ。汝の空なる生命(いのち)の間しかせよ。これは汝が世にありて受くる分、汝が日の下に働ける労苦によりて得る者なり。全ての汝の手に堪ふることは力をつくしてこれを為せ。其は汝の往かんところの陰府(よみ)には、工作(わざ)も計謀(はかりごと)も知識も智慧もあることなければなり。』(引用ここまで)


そして作家は、その言葉を心に留めつつ、ベートーヴェンの第九交響曲を聴きながら

そこに「きわめて具体的な人生賛歌」を、想い描いていらしたのでしょうか?


私に想像できることは、ほんとうにささやかですけれど

そのいくばくかでも、共有することが出来たらなぁ…と想うばかりです。



窓越しに感じられる陽射しのぬくもりは、ことのほか心地よく

風も、かすかに銀杏の葉を揺らすのみ。



皆様も、お心も晴れやかな、お健やかな佳き一日をお過しくださいね…



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