今朝は、kirikouが遅刻モードで、先ほど登校して行きました。
ギリギリセーフで駆け込めそうなタイミングの時と
今日のように、ある一点の分かれ目を過ぎてからは…
野球の試合で言えば、大差のついた「敗戦処理モード」といいましょうか
できるだけ傷口を広げずに、かつ「明日への前向きモード」に切り替えて…
言うべきことは言い、あとは背中を軽く押してやるように…
明るい声で「行ってらっしゃ~い!」と見送ることくらいが
私にできるせめてものこと…かもしれません。
(とはいえ、親の想いとはウラハラに
kirikouといえば、いたってノンキに稲の様子を見たりして…
もうすぐ一時間目が始まるというのに、
こちらを振りかかえって「行ってきます。」とか言っているんですから…
「一体全体、どういう神経をしているのかしら~?」と思わずつぶやいてしまいます。)
ふぅ~~っと、ひとつ深呼吸をして…
ココロ(またはアタマ)に浮かんでくることをアレコレ眺めていると…
どうも、鳥の声が気になります。
窓の外は明るめのグレーの空が広がって、空気もまだ涼しくって心地よく…
ただ、目の前の銀杏の木のあたりで鳥の声が「ピ~~ッピ~~ッピ~ッ」と
今朝は、ずいぶんとやかましいくらいに響いています。
どこかに飛んでいったのか、急にその声が静まると
今度は、遠くのほうから風に乗って、別の鳥の声が小さく聴こえてきます。
そういえば、その声に混じって不意に「ホ~~ ホ ケキョ 」という
お馴染みのウグイスの声が聴こえました。
昨日は…気づきませんでしたので、
ひょっとしてどこからか、やってきたのでしょうか?
それとも、私に聞こえていなかっただけでしょうか?
このあたりは、わずかながらも緑の木や畑も残っているので
空気もそれなりにきれいで…
生きものたちも、まだ間近に棲むことができているのかもしれませんね…
そんな中、書いておきたいことが、いくつもあるのに
なかなか時間が取れないことは、私にとっては「落ち着かないこと」ですけれど
誰に叱られるわけでもなく、誰に催促されるわけでもないので
ほんとうに「自分の楽しみ」や「やりたいこと」の一つとして
ノンビリとマイペースで書いていけるというのは…
贅沢すぎるくらい、幸せなことかもしれません…
ということで、もう少しテレビで観た気になることのお話をしていきます。
平日に家にいるときは、何かをしながらPCを開いて
たいていNHKの番組をチェックします。
午前中のお気に入りは「知るを楽しむ」のアンコール放送で、
新聞のテレビ欄をみると、作曲家の武満徹さんとのこと。
「私のこだわり人物伝」で、映画監督の篠田正浩さんが
「武満徹 音の森への旅」についてお話している最終回「宇宙から聴こえてくる音」でした!!
(3月にやっている時には、気になりながら観られなくって…)
現代音楽のすばらしい作曲家だったことは、
あれこれと読んでいる本などから、聞いたことはありましたが
これまで、その人物そのものに真っ直ぐに興味を惹かれることはあまりなかったので
番組で流れた短い映像とことばから受ける印象は、とても新鮮に感じました。
作曲をする様子やご本人の言葉が紹介されて…
ほんとうにささやかなものに過ぎませんが、「こんな方だったんだなぁ…」という
私にとっての「武満徹さん」の印象が、どこかに立ち上がってきたような気がします。
印象的なシーンは、森の中を歩きながら…
きのこを手にとって、やさしく目を向けて…
森の音…樹々の葉の揺れる音や…もしかすると、そのささやきに耳を澄ませ…
きっと、鳥の声や風のそよぎも、ハーモニーを奏でていて…
それらを、音として捕まえようとしていらしたのか…
すでに音楽として、耳元にその調べが聴こえていらしたのか…
その深くて静かな表情から、
目には見えない「いのちにつながるなにものかの声」に耳を傾けて
樹々のやさしさやきびしさを見つめ、その自然の奏でる響きやリズムを
音楽として表現しようとなさっているように、私には見えました。
晩年には「私は海のような音楽を作りたい。」とおっしゃって
大海をすべるようにゆったりと泳いでいく鯨のような音楽を
作ろうとしていらしたそうです。
西洋と東洋の出会い…
そして、それらの区別をも乗り越えた大きな宇宙につながるような
「音の世界」を作り上げた方だったんですね~!
そういえば…つい先日、サントリー音楽財団の企画する
「TRANSMUSIC 対話する作曲家 江村哲二~脳科学者 茂木健一郎を迎えて」が
大阪いずみホールであったそうです。
第2部のコンサートでは、
武満徹/ノスタルジア~アンドレイ・タルコフスキーの追憶に~(1987)
江村哲二/ハープ協奏曲(1997)
江村哲二/≪可能無限への頌詩≫語りとオーケストラのための~茂木健一郎の英詩による
が演奏されたそうです。
(クオリア日記の5月27日「濃密で有機的な」に、茂木先生がお書きになっています。)
おふたりによる≪可能無限への頌詩≫の初演に立ち会うことができた方から(Cafe 情報です…)
演奏する方も皆さんを含めて、ほんとうに素晴らしいコラボレーションだったと聞いています。
ぜひ!ぜひ!!東京のほうでも再演して欲しいですね~!!
(モチロンお忙しい最中で、とうてい難しいこととは思いますが…いつの日にか…)
また、さらに進化した…表現を期待しています!!
お話は、まだまだ尽きないところですけれど…
昨晩の番組から、気になるものについて少しお話しておきます。
6月からの「知るを楽しむ」のシリーズで
月曜日は「この人この世界」で、金田一秀穂さんの「日本語のカタチとココロ」が
始まりました。
コトバをめぐるアレコレは、とっても興味のあるところです!!
火曜日は「私のこだわり人物伝」で、重松清さんの語る「開高賢 悠々として急げ」です。
重松さんが、東京・大阪・ベトナムと実際に作家が見つめた現場を訪ね、
開高健の世界とその時代背景を紐解いていく。とのこと、期待できそうですね~!
開高健さんの作品を読んだことがないので…勝手に想像するに
何だか「男が惚れる(?)憧れる(?)男の人…」やら
「薄暗いカウンターバーに佇む男…」というイメージがありますので
(キビシイ現場に身を置き、素に戻っていく時の表情に興味があって…)
ちょっと気になる人物です~!
この時間は「プロフェッショナル」と重なってしまうので…
ツイツイ見逃してしまうんですけれど
朝の5時5分からの再放送か、再々放送をお見逃しなく~!!
もうひとつ夜中の放送で、
(録画も我が家では手動になってしまうので、かなりマイッテいますが)
BS世界のドキュメンタリーで、今週は<シリーズ地球は訴える>というなかで
「映像詩プラネット」が、昨日から4回シリーズで始まっています。
人が地球に生きている生物として、いかに他の生物や地球そのものと共存していけるのか?
という、現在直面している課題について、真剣に考えていくきっかけになる番組として
関心を持って観ようと思っています。
今日の深夜、 6月 5日(火) 翌日午前0:10~翌日午前1:00(50分)
第2回 地球が燃え尽きる
明日は、第3回 傷つけられた生態系の逆襲 あさっては、第4回 残された選択
金曜日には、温暖化から地球を救うための「世界を救う5つの作戦」を放送する予定です。
私が、まだ把握できていないので、忘れないように放送時間を書いておきます!)
BS1 : 火曜~土曜 午前0時10分~0時59分(月曜~金曜深夜)
日曜(隔週) 午後10時10分~10時59分 午後11時10分~11時59分
月曜~土曜(随時) 午前10時10分~10時59分(再)
さて…
ウグイスは、いつの間にかどこかに飛んでいってしまったようで
名前も姿も知らぬ小鳥たちの声だけが、しきりに響いています。
風向きのせいでしょうか、遠くから時おりゴ~~ッという電車の走る音や
飛行機のエンジンの音が聴こえてきます。
私の目に映っているもの…耳に響いている音…
手に触れ、頬や身体に伝わってくる空気の流れやあたたかさ・心地よさ…
何のことはないようなものでありながら…確かなものなのかもアヤフヤで…
「何か」と問われると…コトバで捉えることも、コトバで伝えることも…
どうにも、儚いような…曖昧なものに思えます…
そんなことを、つらつらと書き連ねるうちに…
日も高くなって、明るいひかりが射してきましたね…
ギリギリセーフで駆け込めそうなタイミングの時と
今日のように、ある一点の分かれ目を過ぎてからは…
野球の試合で言えば、大差のついた「敗戦処理モード」といいましょうか
できるだけ傷口を広げずに、かつ「明日への前向きモード」に切り替えて…
言うべきことは言い、あとは背中を軽く押してやるように…
明るい声で「行ってらっしゃ~い!」と見送ることくらいが
私にできるせめてものこと…かもしれません。
(とはいえ、親の想いとはウラハラに
kirikouといえば、いたってノンキに稲の様子を見たりして…
もうすぐ一時間目が始まるというのに、
こちらを振りかかえって「行ってきます。」とか言っているんですから…
「一体全体、どういう神経をしているのかしら~?」と思わずつぶやいてしまいます。)
ふぅ~~っと、ひとつ深呼吸をして…
ココロ(またはアタマ)に浮かんでくることをアレコレ眺めていると…
どうも、鳥の声が気になります。
窓の外は明るめのグレーの空が広がって、空気もまだ涼しくって心地よく…
ただ、目の前の銀杏の木のあたりで鳥の声が「ピ~~ッピ~~ッピ~ッ」と
今朝は、ずいぶんとやかましいくらいに響いています。
どこかに飛んでいったのか、急にその声が静まると
今度は、遠くのほうから風に乗って、別の鳥の声が小さく聴こえてきます。
そういえば、その声に混じって不意に「ホ~~ ホ ケキョ 」という
お馴染みのウグイスの声が聴こえました。
昨日は…気づきませんでしたので、
ひょっとしてどこからか、やってきたのでしょうか?
それとも、私に聞こえていなかっただけでしょうか?
このあたりは、わずかながらも緑の木や畑も残っているので
空気もそれなりにきれいで…
生きものたちも、まだ間近に棲むことができているのかもしれませんね…
そんな中、書いておきたいことが、いくつもあるのに
なかなか時間が取れないことは、私にとっては「落ち着かないこと」ですけれど
誰に叱られるわけでもなく、誰に催促されるわけでもないので
ほんとうに「自分の楽しみ」や「やりたいこと」の一つとして
ノンビリとマイペースで書いていけるというのは…
贅沢すぎるくらい、幸せなことかもしれません…
ということで、もう少しテレビで観た気になることのお話をしていきます。
平日に家にいるときは、何かをしながらPCを開いて
たいていNHKの番組をチェックします。
午前中のお気に入りは「知るを楽しむ」のアンコール放送で、
新聞のテレビ欄をみると、作曲家の武満徹さんとのこと。
「私のこだわり人物伝」で、映画監督の篠田正浩さんが
「武満徹 音の森への旅」についてお話している最終回「宇宙から聴こえてくる音」でした!!
(3月にやっている時には、気になりながら観られなくって…)
現代音楽のすばらしい作曲家だったことは、
あれこれと読んでいる本などから、聞いたことはありましたが
これまで、その人物そのものに真っ直ぐに興味を惹かれることはあまりなかったので
番組で流れた短い映像とことばから受ける印象は、とても新鮮に感じました。
作曲をする様子やご本人の言葉が紹介されて…
ほんとうにささやかなものに過ぎませんが、「こんな方だったんだなぁ…」という
私にとっての「武満徹さん」の印象が、どこかに立ち上がってきたような気がします。
印象的なシーンは、森の中を歩きながら…
きのこを手にとって、やさしく目を向けて…
森の音…樹々の葉の揺れる音や…もしかすると、そのささやきに耳を澄ませ…
きっと、鳥の声や風のそよぎも、ハーモニーを奏でていて…
それらを、音として捕まえようとしていらしたのか…
すでに音楽として、耳元にその調べが聴こえていらしたのか…
その深くて静かな表情から、
目には見えない「いのちにつながるなにものかの声」に耳を傾けて
樹々のやさしさやきびしさを見つめ、その自然の奏でる響きやリズムを
音楽として表現しようとなさっているように、私には見えました。
晩年には「私は海のような音楽を作りたい。」とおっしゃって
大海をすべるようにゆったりと泳いでいく鯨のような音楽を
作ろうとしていらしたそうです。
西洋と東洋の出会い…
そして、それらの区別をも乗り越えた大きな宇宙につながるような
「音の世界」を作り上げた方だったんですね~!
そういえば…つい先日、サントリー音楽財団の企画する
「TRANSMUSIC 対話する作曲家 江村哲二~脳科学者 茂木健一郎を迎えて」が
大阪いずみホールであったそうです。
第2部のコンサートでは、
武満徹/ノスタルジア~アンドレイ・タルコフスキーの追憶に~(1987)
江村哲二/ハープ協奏曲(1997)
江村哲二/≪可能無限への頌詩≫語りとオーケストラのための~茂木健一郎の英詩による
が演奏されたそうです。
(クオリア日記の5月27日「濃密で有機的な」に、茂木先生がお書きになっています。)
おふたりによる≪可能無限への頌詩≫の初演に立ち会うことができた方から(Cafe 情報です…)
演奏する方も皆さんを含めて、ほんとうに素晴らしいコラボレーションだったと聞いています。
ぜひ!ぜひ!!東京のほうでも再演して欲しいですね~!!
(モチロンお忙しい最中で、とうてい難しいこととは思いますが…いつの日にか…)
また、さらに進化した…表現を期待しています!!
お話は、まだまだ尽きないところですけれど…
昨晩の番組から、気になるものについて少しお話しておきます。
6月からの「知るを楽しむ」のシリーズで
月曜日は「この人この世界」で、金田一秀穂さんの「日本語のカタチとココロ」が
始まりました。
コトバをめぐるアレコレは、とっても興味のあるところです!!
火曜日は「私のこだわり人物伝」で、重松清さんの語る「開高賢 悠々として急げ」です。
重松さんが、東京・大阪・ベトナムと実際に作家が見つめた現場を訪ね、
開高健の世界とその時代背景を紐解いていく。とのこと、期待できそうですね~!
開高健さんの作品を読んだことがないので…勝手に想像するに
何だか「男が惚れる(?)憧れる(?)男の人…」やら
「薄暗いカウンターバーに佇む男…」というイメージがありますので
(キビシイ現場に身を置き、素に戻っていく時の表情に興味があって…)
ちょっと気になる人物です~!
この時間は「プロフェッショナル」と重なってしまうので…
ツイツイ見逃してしまうんですけれど
朝の5時5分からの再放送か、再々放送をお見逃しなく~!!
もうひとつ夜中の放送で、
(録画も我が家では手動になってしまうので、かなりマイッテいますが)
BS世界のドキュメンタリーで、今週は<シリーズ地球は訴える>というなかで
「映像詩プラネット」が、昨日から4回シリーズで始まっています。
人が地球に生きている生物として、いかに他の生物や地球そのものと共存していけるのか?
という、現在直面している課題について、真剣に考えていくきっかけになる番組として
関心を持って観ようと思っています。
今日の深夜、 6月 5日(火) 翌日午前0:10~翌日午前1:00(50分)
第2回 地球が燃え尽きる
明日は、第3回 傷つけられた生態系の逆襲 あさっては、第4回 残された選択
金曜日には、温暖化から地球を救うための「世界を救う5つの作戦」を放送する予定です。
私が、まだ把握できていないので、忘れないように放送時間を書いておきます!)
BS1 : 火曜~土曜 午前0時10分~0時59分(月曜~金曜深夜)
日曜(隔週) 午後10時10分~10時59分 午後11時10分~11時59分
月曜~土曜(随時) 午前10時10分~10時59分(再)
さて…
ウグイスは、いつの間にかどこかに飛んでいってしまったようで
名前も姿も知らぬ小鳥たちの声だけが、しきりに響いています。
風向きのせいでしょうか、遠くから時おりゴ~~ッという電車の走る音や
飛行機のエンジンの音が聴こえてきます。
私の目に映っているもの…耳に響いている音…
手に触れ、頬や身体に伝わってくる空気の流れやあたたかさ・心地よさ…
何のことはないようなものでありながら…確かなものなのかもアヤフヤで…
「何か」と問われると…コトバで捉えることも、コトバで伝えることも…
どうにも、儚いような…曖昧なものに思えます…
そんなことを、つらつらと書き連ねるうちに…
日も高くなって、明るいひかりが射してきましたね…
私は朝が早いので、出勤のたびに雀の歌声を聴いています。
もっとも、彼等にとっては、歌声として歌っているのではなく、メスを呼ぶためのラブコールであったり、テリトリーの主張だったりするわけですが…。
これは自分が過去に何かの本で読んだことなのですが、歌は何も人間だけの専売特許ではないといった人がいたそうです。
その人によると、クジラも歌うし、魚も歌う。犬も、猫も歌い、もちろん、鳥も虫も歌う。歌は人間だけが歌うものではなく、生きとし生けるものみなが歌うものだということなのだそうです。
これを聞いて、音楽とは何かを考えて見るに、そもそも、音楽とは、生きとし生けるものの生命の叫びであり、また響きあいだったのかもしれないと思うのです(妄想かもしれませんが…)。
私達人間は音楽を「音楽」という「芸術」に昇華できたわけですが、他の生物の歌声を聞くたびに、そうなる前の、歌(音楽)の源流というものはこのようなものなのかなぁ、と仮想したりしています。
コメントありがとうございます!!
人のコトバも、起源までさかのぼると・・・
やはり危険を知らせたり、求愛だったり・・・
様々なコミュニケーションに由来したのでしょうか?
そう思うと、人も生物の一員であって
その進化(?)の先にコトバや複雑な音楽や芸術の表現があるのでしょうか?
考えるほどに深いものがありそうですね~!
そして、思考とはどう関連付けられるのかもわかりませんが
「感性や情緒」・・・などの、もっと複雑な「人を人たらしめている」・・・
何かが、そこにはあるのでしょうか?
吉増さんと茂木先生の「たまには手紙で」を読みました。
響きあう感性のやりとり・・・は、
コトバにできないくらいの深さと真摯なものを醸しだしていましたね・・・