Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

「自分へのラブレター」・・・

2008-06-03 01:54:26 | 表現すること
今は、曇り空。

朝の空気は、ややしっとりと…心地よい涼しさをまとっています。


実は今週は、訳あって夫が家におりますので
いつものように、ノンビリとブログを書く…という生活は、できそうにありません。

それでもなお…「書きたい気持が湧いてくる」というのは

「書きたがる脳」のなせるワザなのでしょうか?

「ほんとうに、困ったなぁ…」と思いつつ

無意識の内に観ないようにふたをしていた
「自分を見つめなおす」いいチャンスかもしれませんね。

書くことで見えるもの、書かないで(言葉にしないで)見えることもあるのでしょうか?

皆様もご存知のように、ひとつ懸案事項を抱えたまま
(自分の中に整理できていなかったり、昇華しきれない感情を抱えた状態で)

そのことは、そのままにしておいて、アタマのスイッチをくるりと入れ替えて
お話をしてみようかと思っております。

元来、不器用なタチの私ですけれど

出かけに夫婦ゲンカをしたからといって、それを引きずってお仕事をするわけにもいきませんし
子どものことで気がかりがあっても、「お仕事はお仕事」と割り切ることも必要ですし。


ということで、まずは一昨日の「課外授業ようこそ先輩」を、もう一度見直して
改めて気になった言葉を挙げておきます。

(書き出したのは、昨日の朝。

お昼過ぎには雨がぱらついて、いよいよ関東地方も「梅雨入り」とのこと。

先ほどまでつよい雨音が響いておりましたが、続きは、深夜になって書いています。

ということは…
私にしては珍しく「夜の文章」なので、どんな展開になるのやら…?)


一回目は、ドチラかというと私自身が中学生の立場になって
「自分へのラブレター」を書くことを想定しながら見ていたようです。

二回目に観た時は、先生のあさのあつこさんの
「子どもへの声かけや作文の指導」が、とても気にかかって
非常に面白いなぁと感じました。


「自分の好きなところを、どんどんメモする。」『文字スケッチ』

「具体的なものを置く」「自分の思いを出す。」「自分が広がる」「開放感」

「自分の輪郭をハッキリさせる」「自分がナニモノなのかを探る」

「自分と社会とか世界とどうつながっていくかを確かめていく作業」

「書くという作業を通して、みんなチョッと変わったような気がする。」

「書くことで、二度と戻ってこない『今』を感じてもらいたい。」などなど。


私自身が、「書くこと」について
ブログを書きながら、同時進行でアレコレと悩んできて

結局、今もその最中にあって、おそらくちっとも分からないままかもしれませんが

何かが、ほんの少しは変わったのかもしれないなぁ…と思っています。


そういえば、ブログを始めたばかりのころの「文章を書くこと」を読み直してみると

皆様から、ほんとうに素敵なお話を伺っていましたね!

『初心忘れるべからず』でした…

『書くことで人を傷つけない』

『共感もあれば反感もあります。そうした中から自分を磨いてゆく。』

という道草様の言葉が…身にしみて、心に響いてきました。

愛があればこそ…その言葉の重みを噛みしめて
真摯に受け止めなくっちゃいけないなぁと、深く反省いたしました。


ところで、このところ気にかかっていた「文体」というものについて

幻冬舎の「ポンツーン」6月号の「ミステリーの書き方」の中に
小池真理子さんのインタビュー記事を見つけました。(以下引用)

(因みに小池氏の小説は、私自身は読んだことがありませんけれど…)

●文体の獲得
  毎日エクササイズするように、好きな作家の文章を書き写すのがいいという人もいますが、わたしは疑問に思っています。自分の文体を作ろうとする場合、確かにテクニックで半分はクリアできますが、それ以上は難しい。それは書き手自身の「身体感覚」が欠けているからです。例えば悲惨な現場に行き会わせた自分を表現する場合、紋切り型でない言葉で紡いでいかなければなりません。本当に自分の言葉かどうかを見極めるためにはどうしたらいいか。書き手自身の身体感覚が必要になってくるのです。正しい言葉を選択していれば自然と身体に響いてくる。そういう訓練をしていけば比喩もはまるようになるのではないでしょうか。
 若い世代には「KY」という言葉に代表されるような、仲間内しか通用しない言葉を使う人がいるかも知れません。でも、自分の心情を自分の言葉で伝えていく鍛錬なくして、自分の文体を確立させることはできないでしょう。そういうわたしも、これが小池真理子の文体だと手応えを感じられるようになったのは、本当に最近のことですが。』(引用ここまで)

「文体」というのは、作家の方のこんなにも厳しい鍛錬を経て
確立されるものなんですね!!

またひとつ、文章や本を読む楽しみと奥深さを見せていただいた気がします。


さて、同じく「ポンツーン」(という雑誌のタイトルも面白いのですが…)

新連載の平安寿子氏の「神様のすること」「第一話 母の死を待って」も

そのタイトルから受ける印象より、ずっと軽妙でユーモア(?)やペーソス(?)といわれるものが
そこはかとなく染み出てくるような、私の大好きな感じのお話になっていて

この後の展開も、とっても楽しみです。

この作家さんも初めて読む方でしたが、お話のリズムといいましょうか
会話のやりとりに流れている空気の感じが…

以前、読売ウィークリーで読んでいたコラムの…島村洋子さんでしたかしら?

あの方の文章の感じをふと思い出させて、良いなぁって思いました。

なるほど…こんな感じ、あんな感じが好きだなぁと思っても
実際に、そんな風に書けるとは限らないということなのでしょうね。

(私自身は「人に、想いが伝わるような文章を書けるようになりたいなぁ」というのが夢ですけれど
そのムズカシさは、ほんとうに良く分かります。)


出来れば、パステル調の色合いの軽いタッチで描かれた水彩画のような雰囲気が
お気に入りなんですけれど。

そう思いながらも、どうもドタバタとした
「サザエさんかちびまるこちゃん」のオウチみたいな暮らしをしているので

想い描くようなオシャレなイメージには、収まりそうもありません。


まぁ、それもそれ…

そんなオッチョコチョイでアワテンボーで

時には、カッカと沸騰寸前の「おこりんぼ」に変身してしまう

私の「自分へのラブレター」の結末は、いかに…?


もう少し寿命が残っている間は、完結しそうにもありませんので悪しからず…



そろそろ眠くなってまいりましたので、お話を終わることにいたします。


皆様のもとにも、心安らかな楽しい夢が届きますように~!!


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