Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

9月24日(水)のつぶやき その6

2014-09-25 01:42:55 | つぶやき・・・?



昨晩、いつものうたた寝のあと・・・片づけをしながら


ぼんやりと、BSのドラマや


「植物男子ベランダー」という番組を観ていました。



最終回のテーマは「ハス」の花、とのこと。




ハスと言えば・・・「蓮子さま」・・・



そういえば、今年は、


光則寺でピンクの蕾を観たなぁなどと、つらつら想いつつ


      



なぜかしら・・・



須賀敦子さんの「古いハスのタネ」という文章のことを想い出しました。



ふと、気になってしまい、雑誌『考える人』2009年冬号を探しだして



特集『書かれなかった須賀敦子の本』の

ページをめくってみました。(以下引用)



p62「文学と宗教は、ふたつの離れた世界だ、


  と私は小声で言ってみる。

  
  でも、もしかしたら私という泥のなかには、


  信仰が、古いハスのタネのようにひそんでいるかもしれない。」(引用ここまで)




もう何年も前に、その言葉を読んだ時から


普段は、記憶の底に静かに沈んで、その姿を観ることもないままに


けれど、私のなかに、ずっとひそんでいる


どうにも気になって仕方のない「フレーズ」に想われて


その方にとっての「信仰とは・・・」どんなものでいらしたのかが


私が須賀敦子さんを気にかかってやまない理由の


ひとつなのかもしれません。



     

 





自分には詩しかわからない、散文はなにも語りかけてくれない、自分がほんとうに理解できるのは自然にかかわる抒情しかない、そんな思いに囚われて、ながいこと手足を縛られたようになっていたころのことを、エルマンのイェイツと、イニスフリーの詩とが、思い出させてくれた。


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こんな詩を書く人になれたら。私はかなり本気でそう思った。


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何冊かの本が、ひとりの女の子の、すごし大げさにいえば人生の選択を左右することがある。その子は、しかし、そんなことには気づかないで、ただ、吸い込まれるように本を読んでいる。


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自分をとりかこむ現実に自信がない分だけ、彼女は本にのめりこむ。その子のなかには、本の世界が夏空の雲のように幾層にも重なって湧きあがり、その子自身がほとんど本になってしまう。


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やがて自分がものを書くときには、こんなふうにまやかしのない言葉の束を通して自分の周囲を表現できるようになるといい、そういったつよいあこがれのようなものが、あのとき私の中で生まれたような気もする。


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私の中には、旅に出たいと、遠くの土地にあこがれつづけている漂泊ずきの私と、ずっと家にいて本を読んでれば満足という自分とが、せめぎあって同居しているらしいのだが、私が「巡礼」ということばに目覚めたのは、たしかにあの『新子供十字軍』だったように思う。


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自分にとってまるで異質なこの街の思想や歴史を、歩くことによって、じわじわとからだのなかに浸みこませようとするみたいに、勉強のひまをみては、地図を片手にあちこちと歩いた。


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夜、寝つくまえにふと読んだ本、研究のために少し苦労して読んだ本、亡くなった人といっしょに読みながらそれぞれの言葉の世界をたしかめあった本、翻訳という世にも愉楽にみちたゲームの過程で知り合った本。それらをとおして、私は自分が愛したイタリアを振り返ってみた。


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「自分で読んでみる」という、私たちの側からの積極的な行為を、書物はだまって待っている。


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記憶のなかの本。むかし読んだ本を、まるで反芻するようにおもいだして、一日のふとした時間のなかで、その感動にひたることがある。


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