「赤頭巾ちゃん気をつけて」の次に
お祭騒ぎになった受賞作といえば、
昭和51年(1976年)75回受賞作
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」です。
選考委員
井上 靖
瀧井 孝作
中村 光夫
永井 龍男
丹羽 文雄
安岡 章太郎
吉行 淳之介
この作品を受賞した時、村上龍は美大在学中
の学生でした。
内容は、福生(米軍基地)での女と薬の日々を描いた
反道徳的(大時代的言い回し)ということで、
群像新人賞を受賞したときから、彼をとりまく
状況はまるでカーニバルのような騒々しさでした。
が、
芥川賞選考委員の積極的支持は過半数をとるうえ
選評も非常によいものでした。
芥川賞受賞作品の中で「赤頭巾ちゃん」にならぶ
好意的選評です。
例えば吉行淳之介は
「この数年のこの賞の候補作の中で、その資質は群を抜いており、
一方作品が中途半端な評価しかできないので、困った。」
「どこを切っても同じ味がする上にやたら長く、半ばごろの
「自分の中の都市」という理窟のような部分に行き当って、
一たん読むのをやめた。」「作品の退屈さには目をつむって、
抜群の資質に票を投じた。この人の今後のマスコミとの
かかわり合いを考えると不安になって、「因果なことに才能がある」
とおもうが、そこをなんとか切り抜けてもらいたい。」
と言い、丹羽文雄は
「芥川賞の銓衡委員をつとめるようになって三十七回目になるが、
これほどとらまえどころのない小説にめぐりあったことはなかった。
それでいてこの小説の魅力を強烈に感じた。」
「若々しくて、さばさばとしていて、やさしくて、
いくらかもろい感じのするのも、この作者生得の抒情性のせいであろう。」
「二十代の若さでなければ書けない小説である。」
と、褒めています。
そして中村光夫にいたっては、
「無意識の独創は新人の魅力であり、
それに脱帽するのが選者の礼儀でしょう。」
とまでのべています。
ここまで言われると、三島由紀夫や
川端康成の選評をきいてみたかった
ものですが、すでに泉下の人です。
この後、村上龍は村上春樹さえも憧憬する
「コインロッカー ベイビーズ」を出し
才能をあますところなくみせつけます。
その頃の村上春樹は「風の歌を聴け」で龍に
遅れること3年で群像新人賞を受賞したにも
かかわらず芥川賞をのがし、次作の
「1973年のピンボール」がまたも芥川賞を
のがすというヤレヤレ的騒動の渦中でした。
ヤレヤレ・・・だいじょうぶマイ フレンド・・・。
前回/次回
*芥川賞あれこれ 1/2/3/4/5/6/7/8
参考文献・参考ウェブ
芥川賞90人のレトリック 彦素 勉
/芥川賞の研究―芥川賞のウラオモテ(1979年) 永井 龍男
/文藝春秋/週刊文春/ウエブ 芥川賞のすべて・のようなもの
*「芥川賞のすべて・のようなもの」はとても優秀なサイトです。
興味のある方は是非ご覧下さい。
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いたします。
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