流星のきずな☆彡

2009.8月からの〜雑記~最近はボャッキー気味

母 ④

2010-12-07 17:07:17 | 父 母
6月に入り妄想・幻覚が酷くなった

父の事を
「じいちゃんそっくりの男の人が戸口に立ってこっちをジーと見てる。怖い」

実際、父が戸口に立っていたんだけど何にも言わずに
見守るって感じだから、あながち間違いではない

「ごみの回収の人が部屋まで入ってきて早くゴミを出せって言うの。怖い」

それも、父がゴミの日だからとゴミを取りにきたんだけど…

ある日いつものようにお昼ごろ行くと
父が「お前もっと早く来てくれよ」と言う

これでも精一杯早くきたつもりだったんだけど…

母がトイレに行きたいと言うので連れていったけど
便秘で出ないのに何度も何度もトイレに行きたいと言うので
介助するのに疲れてしまったようだった

この時父は「富士の樹海にでも行って二人で死んでしまいたい」と言った

兄嫁にも夜のトイレは連れて行くのが大変だから夜だけオムツにすると言い
夜1回おむつの交換を頼んだ

後にも先にも嫁が母の介護をしたのは夜のおむつの交換…これだけ…
これだけでもやってくれたんならいいじゃんと思いますか?

私は思わない…もっと、もっと協力して欲しかったわ

6月の中旬に、ある施設からショートステイの空きが出たからと連絡が来たので
5日間お世話になることに…

送って行き、次の日お昼前に行くと母が泣いている

どうしたの?と聞くと
「何でこんなキ○ガイ病院に入れたの?私はキチ○イじゃない」

周りをみたら奇声をあげている人、エレベーターの前で帰る帰るとブツブツ言っている人
母の部屋(この時は個室の一人部屋)に勝手に入って来る男の人が一番怖かった
部屋にいきなり入って来たと思ったらつきあたりの壁まで行き無言でUターン
母はベットの上で「ここには何も無いよ!出て行きな!気味悪いやつだな!」と罵っている

初めてのショートスティでそれも重篤な精神病棟に入れられてしまい私もショックだった
その日すぐに相談員の人に言うと
「空いている部屋がそこしか無かったので、本来は個室代を戴かなきゃいけないんですが
私の裁量で特別に(入れてやったんだ的な)…

えっ…。その恩着せがましい感じは何?と思いましたが
とにかく初めての事なので5日間だけだからと母に我慢してもらった

3日目のエレベーターの中で偶然にも親戚の叔母とその娘(私にとっての従姉)に会う
脳梗塞を患っていたおじさん(ショートステイ)のお見舞いに来たという

叔母が母の様子を見たいと言うので帰る所だっが母の所へ案内する

母の病室に入るなり「何でこんなことに」と二人で手を取り合って泣いていた
父方の伯母と、従姉の事は覚えていたようだ(複雑な心境だった)

5日目の朝お迎えに行くと母は部屋で待っていた
介護士さん達は忙しそうにしていてお礼もそこそこに帰ることに
(って言うか退院のようにお見送りとか無いのね。当たり前か?)

駐車場に行き車に乗せる時?あれ?体温が高い?と気になった
車で10分の自宅に着き。熱を計ると38度もある

驚いていつもの医者に電話
事情を説明したら診察してくれるというのですぐに連れて行く

環境の変化が原因で熱が出たということ(そんな事あるんだ…)
その後、一向に下がらなくて心配したが4日目には37.5℃前後になる

幻覚も多く見ているようだったが
「あそこに誰かいるよ」と言うと「そんなもんはいねぇー」と父が言うので
萎縮してしまい、幻覚を口にしなくなる
「今日は?ネコちゃんいる?可愛い?」と私が水を向けると
「可愛いの。こっちみてじーとしているのよ」と何も無い所を見てにっこりしていた

嫁に(私がいない時)
「お金貸して欲しい」と言うので
「何に使うの?」と聞いたら
「死にたいから電車に飛びこむ為のお金」と言ったそうだ

私にも「何でこんな病気になっちゃたんだろうね。死にたいよ」と度々口走るようになる

その都度
「お母さん。人間って天命があるのよ。神様が決めた寿命がね…
お迎えが来るまで待っていようよ」と言うと
天井に向かって
「神様早く迎えに来てください」と拝んでいた

7月に入りケアマネから介護度の見直しをしたらどうかと言われ申請する

見なおした結果 3か月しかたってないのに 介護度①→⑤になる

ここまで急速に悪化したのは私のせいかな…


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母 ③

2010-12-07 16:19:49 | 父 母
5月に入って毎週のように診察

医者も母に合う薬を探っている感じで毎回違う薬

5月の終わりには手を引いても歩行が困難になる
この時点ではまだ車椅子を使用していない

病院のトイレがとても狭い為頻尿な母をトイレに連れて行くにはとてもしんどい

たった1月で母の状態が非常に悪くなった

お医者さんも「自分が今までに診た患者さんの中で一番悪いケース
アリセプトはほぼ効果があるのだが稀に効かない人もいる
その10%の中に(母は)入ってしまったようだ」

今後の母の行く末を聞くと
緩やかな曲線をだんだんと下降するのだが母の場合は急降下してしまったようだ

あとは完全に歩行が困難になり寝たきりその後嚥下障害…

家族が出来ること…母の不安を取り除き穏やかに暮らせる環境を整えてあげること

この時点では無理でした
何しろ、父が母のこういう症状を知られたくないので親戚や近所の人に内緒にしろと言う
だが、ほぼ全面的に娘である私が母の面倒を見ることになる
兄は「今までさんざん母ちゃんに世話にしてもらったんだから親父が見ればいいんだ」

(おいおい。あんただって27歳の時に髄膜炎で生きるか死ぬか時にお母さんに面倒診てもらったよね)

私一人でケアマネだヘルパーだと色々な手続きが母の病状に追いつかない状態なのに…
そんな中1週間、私の自宅で面倒を見ることにした
医者には普段から泊りとかしているなら良いけど年に数回遊びに行くくらいなら
お母さんの精神的には良く無いのでお勧めしませんと言われた

だが、私も毎日のように通うのも大変なので1週間交代で診たらどうかと提案した


これは失敗に終わった

医者の言うとおりだった…

和室に布団を2つ敷いて母と寝たけど
トイレに連れて行ったり、妄想を口にしたり、なかなか寝付けない等して私の方が参ってしまった

3日目の時だったと思うがお昼を食べたあと…
嫁の事を褒めちぎる母に堪忍袋の尾が切れた

母に「何で?何にもしてくれない兄嫁のことばかり褒めるの?私は?私はあんたの娘でしょ?
何で?私の事忘れちゃったの?私との思い出よりも介護拒否した兄夫婦の方がいいの!酷い!」

もの凄い剣幕だったと思う
その後、頭が痛くなるほど泣いたのは覚えている

傍らで母が「ごめんなさい。ごめんなさい。堪忍してください」と震えていたのを知っている

たぶん1時間くらいは泣いていたと思うがその間リビングに行き母のいる和室には行かなかった
ドターンと大きい音がしたので行ってみると母が布団から立ち上がろうとして転んでいた

「大丈夫?」と声をかけると
「トイレに行こうとして…立てたんだけど転んじゃった(笑)」

さっき罵った私の事をもう忘れていた

酷い事を言った。言ってしまったという罪悪感が…今でも残っている

1週間の予定を5日間にして実家に戻り
次の診察の時に相談した

部屋の改修もいいが同時にショートスティを利用したらどうかと提案される
だが、色々申し込みするには予約(施設の見学含む)しなければならなかった
見学・申し込み6箇所・特養は別に3か所申し込んだ

どこも面接・見学してくれた人は良い感じだった
ただ、ある施設の担当者は
「アリセプトは当施設では薬として認めていないので入所の際は代わりになる薬にしてもらいます」
と言われたこと。

認めていない薬って…そんなことあるんだ…と驚いた
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母の介護 ②

2010-12-07 15:34:24 | 父 母
病院からの帰り道の道路は

片側4車線(合計8車線)もある広~い横断歩道を渡らないといけません
足がおぼつかないので青になったらすぐに渡り始めないと間に合いません

この時初めて母と渡ったけど
よくもまぁこんな足取りで渡っていたんだと感心よりも
事故にならなくて良かったなと思いました

母は「歩行者優先なのにブーブー(クラクション)鳴らしやがって!」
と怒っていたり
「うるせよー」と怒鳴った事もあったらしい
(温厚でとにかく優しい性格だったのに…)

2月には
「ほらこれ!」と父にタバコをワンカートン買ってきたという
「とっくにタバコ止めたのに、なんだ?」

母に聞いたら買った覚えは無いと言う…

「どうしたんだろう…(黙って)取ってきちゃったのかな?」と不安一杯の様子
「そんなはず無いよ。ちゃんとスーパーの袋に入っていたよ」とフォローした

父が買い物に出かけた時少し遅くなったようで帰宅するなり
「今までどこほっつき歩いていたんだ!」と激高したらしい
私がお昼頃実家に行くと
「あぁ○子お前からもじいちゃんに謝っておくれよ。じいちゃんを怒らせちゃったんだよ」と半べそ

「お母さんは病気なんだから許してあげなよ」
「いくら病気だからって。ふざけるな!」(ふざけてないし…とは言えなかったけど)

夜寝ると
「真っ黒い人間が来て枕元で死ね 死ねと言うんだ。怖い」と言いだした
部屋の隅にネコがいる。とか子供が座っているとも

最初は何言っているの!と全否定していた
こちらはそういう症状の病気とはまったく解らなかったから

整形外科に通院していたので先生に相談
軽いうつ病かもと言われ、精神安定剤を処方される

だが「人をキ○ガイ扱いしやがって!」と勝手に薬を処分してしまう

2月下旬 市役所の介護保険課と老人福祉課に行き相談・申請
3月の初めには認定調査員が訪問聞き取り調査
昔で言うマダラ呆け、2週間後には介護度1の判定(今なら支援だったと思う)

容態は特に進展しなかったが
4月に入った水曜日だったと記憶してるが
父から電話がきた「おかあ(母)をどうにか病院に連れて行けないか?」

それまでPCで色々検索調べていたけど水曜日はどこも休診の所が多かった
その中で唯一診察している病院に電話
すぐに診てくれると言うので連れて行く

母もゆっくりだが歩いて行けていた
先生はとても上手に診察を進めて(患者のプライドを傷付けないように)
「これは認知症の病気の中でもレビー小体型認知症と言うものです。
まだ初期の段階なので進行を遅らせる良い薬がありますよ」と言って
「アリセプト」と処方してくれた

この薬の名前。PCで見ていたものと同じだ!良かった~と喜んだ

不安や幻覚をやわらげるセロクレル?も同時に処方

2週間後の経過観察…特に変わりなし…
ただ、この時歩行が難しくなってきた
トイレにも介助が無いと行けなくなった

5月に入ってからだが廊下とトイレに手すりを付ける
お風呂の椅子も購入
ベッドサイドに置くポータブルのトイレも薦められたが父が部屋が臭くなると嫌がったので止める

愛知県の病院のお医者さんのレポートには
「アリセプトは一番少ない量から始めて様子を見た方が良い」とHPに記載されていた

患者さんの娘さんが薬を包丁で半分にして(減らしていて)飲ませていた
そして歩けるようになったと

父にそのことを言うと
「素人が勝手に薬の量を調節しない方が良い」と言う
自分だって睡眠導入剤とか下剤とか勝手に量を増やしたりしているくせに…と思った

今でも無理してこの病院に連れて行けば良かったとの後悔がある
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荒木由美子さん

2010-12-07 13:59:26 | テレビ
湯原昌幸さんと結婚してすぐに義母さんの介護生活が始まり20年にも渡ってお世話していたと言う

素晴らしいですね

義母さんが亡くなる時に言った言葉
「ありがとう。これからの貴女の人生には悪い事は起きないよ」

…羨ましいです。

大変だったと思います。地獄に等しい時もあったと思います。

私の母の最期の時にもそう言ってくれるでしょうか

娘の(私)事覚えてなくてもいいの
一言でいいの

「ありがとう」って…言ってくれたら私は救われるの。

兄夫婦にも介護を手伝って欲しいの。

なんでもかんでも私に押し付けないで。

荒木さんを見て羨ましく思ったのは
荒木さん一人じゃなかった事
旦那さんの湯原さんと2人いたと言う事。

身内に一人でも話ができるって良いな。
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ZEROで

2010-12-07 10:57:10 | テレビ
認知症の方やその家族のレポ

グループホームにしても老健、特養とか施設を利用したくても先立つお金が必要ですよ。

利用料が安い特養は待機者が多くて3年5年待ちは普通だし…

介護サービス
例えばヘルパーさんをお願いしても当たり前だけど、お金がかかる。

独りで抱え込まないで…って…言うけど
地域包括支援センターや相談員の人との相性もあります

一度決めたら
「合わないから代えて欲しい」って言いにくいです。

介護の現状を身近に感じて貰うと言う主旨でしょうが
経験してない人が言っても当たり障りの無いいつものコメントで終わるけど…

なんだやっぱり
「世の中、金!じゃん」…と思う。
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