たっきーブログ

遊び心満載の「時遊人」、さてきょうは...

「癌から奇跡の復活 ・ 第2章 ④」

2014年03月30日 | 健康・病気
たっきーです。
朝方の雨も上がり、花見に出かける方も多いことでしょう。

?今日は0のつく日、3月30日です。?0の付く日のシリーズ第二章です。
がん患者の方、その家族の方の何かの参考になれば幸いです。

「癌から奇跡の復活 ・ 第2章④」
【手術・その後・・・】

自分の体にメスを入れるのはこれまでに虫垂炎などで数回ありますが、やはり手術室に入ると寒さと恐怖心で体が震えました。手術は全身麻酔で手術台に乗って先生方に「よろしくお願いします。」といったところまでは覚えていますが、あっという間に麻酔が効いてあとは覚えていません。
手術は中咽頭癌、右頚部リンパ節転移に対し頸部郭清術です。

手術が始まったのは資料を見ると13時31分となっていました。
当初手術の時間は約2~3時間の予定でしたが、実際には約6時間に及ぶもので、家族は予定時間より大幅に長引いたことに大変心配して『ひょっとして行き違いですでに病室に戻っているのではないか』と病室と手術室の前を行ったり来たりしたそうです。

時間が長いと誰でも良い方には考えないものですので、本当に心配をかけましたが私は全く意識がなかったので・・・。

意識が戻ったのは病室に運ばれる途中のベッドの上でした。

病室に戻っても私の意識はまだ朦朧とした状態でした。家族が先生から手術の内容等を説明されていて「丁寧にやったので時間がかかりましたが、無事に終わりました。」と仰られた言葉だけは覚えています。
その後、麻酔からもはっきり目覚め家族の顔や話もしっかりと見聞き出来るようになりほっとしましたが、しばらく首を動かさないようにと、頭の両脇をタオルなどで支えて、ただ上を向いて寝ている状態で天井しか見えませんでした。

術後の痛みや辛さはこの段階ではあまり感じなかったのですが、点滴もあり手術をした首の周辺の2カ所から吸引留置のカテーテル(管)が外の袋状のものにつながっていて、ちょっと動くと抜けるのではと心配でした。
これは傷のところに血液が溜まらないように体外に排出する管が入っているもので、袋に溜まった血液の混じった黄色な液体を見ると気分はあまり良くないのですが、排液が少なくなれば管を抜くとのことで気をつけて大事に抱えていました。(笑)

それにしても最初の入院時の点滴ばかりの時以上に、身動きが自由に出来ないのはかなり辛いものがありました。
手術前の説明で顔面麻痺などの諸症状が起こるのではと心配しましたが、ハッキリ目覚めてからは至って元気で、しゃべりも普通にでき家族から状況をいろいろと聞きましたが、とにかく「無事に終わってよかった。」と思うばかりでした。
また、家族の支えは本当に大きな力になりました。

これであとは腫瘍の組織が残っていないことと首・肩周りに支障が無いことを祈るばかりでした。
看護師さんからも「よく頑張ったね」の励ましの言葉を頂き、時は順調に過ぎ夜になってトイレに行きたくなったのですが、まだ歩くことが出来ず初めてベッドの上で尿瓶を使って排尿、恥ずかしい出来事でした。

深夜に口が乾き、看護師さんから少しの水をもらって飲んだのですが数分後に気分が悪くなり嘔吐してしまいました。この時が私にとって入院中で一番息苦しく辛くこれはヤバイと思った瞬間です。
慌ててナースコールのボタンを押し、看護師さんに適切な対応をしてもらって落ち着きを取り戻し、長い一夜が明けました。

翌日からは体にはまだ管付きの袋があるので、それをポケットに入れて歩き始めました。
なかなか食事も摂れず未だ口に入れるものは少なかったのですが、とにかく口の中を清潔にするように言われていて、毎日うがいは起床時・毎食後・就寝前の5回行っていました。

首辺りはしびれと、自分の皮膚ではない感じが続き、肌着があたるだけでピリピリ痛みが走り、両手で首周りの肌着を引っ張ってあたらないようにして我慢していました。数日後排液も出なくなりようやく管を抜いてもらいましたが、抜く瞬間はちょっと怖かったですね。でも、痛みもなく簡単なもので安心しました。あとは傷跡にテープを張っておしまいです。

やっと管から開放され、自由になれたと嬉しくなりました。その後、点滴も終わりいよいよ抜糸の日がきました。

私には傷跡はどんな状況かわかりませんが、朝の診察の後すぐに抜糸が始まりました。先生がハサミとピンセットを両手に持ってスタート。
あまり痛くは無いのですが首元で「パッチンパッチン」の音が妙に恐怖感を煽るのです。抜糸の時間が結構長く感じ、先生に「何針縫ったのですか?」と聞くと取り除いたホッチキス?の針を数えて「32針」と言われたとき改めて大変な手術だったんだと認識したのでした。
先生に「傷跡はすごく綺麗ですよ」と言われ、ほっとしましたが、まぁ若くないのでシワが1本増えたと思えばなんてことないですよ。(笑)
抜糸の跡にはテープを貼って処置は終了しました。

これで、体にはテープだけとなったので首を自由自在に動かすことが出来るはずですが、残念ながら思うように動きません。また、右顎辺りがしびれたままで、さらに右腕は全く上に挙げられず、肩も前側に引っ張られたような状態となり「これが手術の後遺症か?」と思い知らされました・・・。
いつになったら、元の健康な体になるのかなと思いながら、入院して13日目に退院することになりました。

お世話になった片桐先生をはじめ看護師さんらに、二度目のお礼の挨拶をして無事帰宅しました。

当面通院によるアフターケアを受けることになります。
これで苦しんだ癌による入院生活から取り敢えず離れて、我が家でリハビリを頑張ろうと決意も新たにしました。

次回へ続く


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「癌から奇跡の復活 ・ 第2章③」

2014年03月20日 | 健康・病気
たっきーです。

雨の予想ですが朝方は未だ
降ってなかったのですが降り始めました。
今日は0のつく日、3月20日です。
0の付く日のシリーズ第二章です。

がん患者の方、その家族の方の何かの参考になれば幸いです。

「癌から奇跡の復活 ・ 第2章③」

【再入院・手術へ・・・】

抗癌剤・放射線治療終え退院して、
2週間後のCT検査の結果です。
原発であった中咽頭がんは消滅していましたが、
頚部リンパ節に転移していた腫瘍は、
頑張ってやった2つの大きな治療でも
小さくなっただけで無くなってはいませんでした。

残ったしこりの判定が難しく状態から見て
手術するのがベストと判断されました。

最初の入院時に、手術にによる治療から
抗癌剤・放射線の両治療に変更になっていたので
これで終わると信じていました。

残念ながら体にメスを入れる手術となったことに
さすがに大きなショックを受けました。

まだ、治療の副作用である喉の粘膜の炎症での
痛みや嚥下痛、咳、痰が出ていて
さらに、味覚障害と口腔乾燥も激しく、
首周りの痒みやただれもあり、
どうしたらいいのか本当に悩みに悩みました。

今までの治療で精神的には、
相当強くなったと自分では思っていましたが、
怖さと心配で落ち着きはだんだんなくなり、
自分なりに手術を受けた方のブログなど
ネットで色々調べました。

その結果、この手術は簡単なものではないと感じ、
ためらいましたが、手術にあたっては
あまり時間を空けない方が良いとのことで、
結局一月末に再入院して手術する決意をしました。

入院する前に、手術出来る体力があるかどうか?の
手術前検査がありました。
検査は、以下の順番です。
1・尿検査
2・採血
3・胸部レントゲン
4・心電図
5・肺活量
6・出血時間
(耳たぶで血の止まる時間をチェックする検査)
7・診察(検査結果の説明)
全ての検査を受け、
最終的に手術には問題ないということになり
平成24年1月30日再び入院となりました。

入院当日、外来で
手術の方法などについて先生から
手術説明書にそって事細かく説明されました。
説明書によると
頸部にあるリンパ節と周囲の組織を摘出します。
神経、血管、筋肉、耳下腺、顎下腺など可能な
限り温存しますが合併切除する可能性もあります。

皮膚はY字で切開します。

これによって、
・胸鎖乳突筋など頭を支えている太い筋肉
 →くびがやせる、肩がこる

場合によっては摘出または切除する
可能性があるもの

・内頚静脈をはじめとした血管
 → 顔がはれる、頭が重い
・副神経 → 肩が90度より上方へあがらない
・顔面神経下顎縁枝
 → 口がゆがむ、水などがこぼれる
・舌下神経 → 舌が動かしにくくなる
・舌神経 → 味覚低下、舌がしびれる
・迷走神経
 → 声がかすれる、腹部の調子が悪くなる
・交感神経 → 目がまぶしい、開きにくい

可能性は低いが損傷すると重篤な合併をきたすもの

・腕神経 → 腕が動かない
・横隔神経 → 息がしにくい
・頸動脈 → 大出血、脳梗塞

その他、起こりうる合併症と対策

・感染 
 → 抗生剤点滴、場合によっては再手術が必要
・出血 
 → 輸血、術後出血をきたした場合は、
   再手が必要なことあり
・リンパ漏
 → 脂肪制限食、圧迫、癒着剤の注射、
   無効の場合、再手術が必要なことあり
・疼痛 → 痛み止め

事前に自分なりに調べていたこともあって
理解はしていたものの、
説明をじかに受けると怖さが増すばかりでした。

特に首周りにはいろいろな神経が集まっていて、
わかりやすく言うと顔面麻痺をはじめ、
いろいろ不自由なことが起きる可能性が
あるということです。

特に、手術の方法を絵図を見ながら
右顎の下と首周りをYの字に各10センチずつ
切り開いて行うと言われたときは、
説明書に書かれてることが全て起こったら
絶対にまともに生きてはいられない。

死を覚悟した瞬間でした。

この時点で観念し、病室に入って
着替えなどを整理し手術前の準備です。

今回の入院は期間が短いので
部屋着はレンタルしました。
手術前日に、麻酔の説明、輸血についての説明など
いろいろな書類に目を通し同意書にサインして
準備万端でしたが、とても複雑な気持ちで
さすがにその夜は睡眠導入剤を飲んで寝ました。

そして翌1月31日、
朝はスッキリ目覚め、不思議と
『もう何が起きてもびくともしないぞ』
という心境になっていました。

手術は午後からとなっていたので、朝食もなく
水分だけは十分に摂るように言われており、
朝から病室に来ていた家族と普段どおり、
雑談をしながらで約500㍉リットルの
水やお茶を飲みました。

手術時間は2~3時間ということで、手術中に尿が
出る可能性があるので、管を入れると言われていて
私は経験がなく、入れたことのある人の話では
結構痛みがあると聞いていたので
管の出し入れは麻酔が効いている時に
やって下さいとお願いしました。

そして、病室で待っていたところ看護師さんからの
呼び出しがかかり、事前に買い求めていた
血栓予防用の白い弾性ストッキングを急いではき
家族と一緒に手術室の前まで歩いて行きました。

手術室の前で再度手術の本人確認などの
サインをし終わり振り返って
妻をはじめ家族の顔をしっかり
目に焼き付けました。

『これが最後とならないように!』と念じ、
つとめて明るく大きな声で
「行ってきます!」と言い、
それに呼応するように家族も
「行ってらっしゃい!」の言葉で
背中を押してくれました。

背伸びして深呼吸して・・・
自動ドアが静かに開き、手術室に入りました。

あとは運を天に任すのみ。

賽は投げられたのです。

次回へ続く


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「癌から奇跡の復活 ・ 第2章②」

2014年03月10日 | 健康・病気
たっきーです。

今日は0のつく日、3月10日です。

0の付く日のシリーズ第二章③です。

がん患者の方、その家族の方の何かの

参考になれば幸いです。

「癌から奇跡の復活 ・ 第2章②」

【放射線治療終了・退院そして・・・】


これは2年前のお話ですが、

年末年始点滴をしたままで

年を越したのは人生で初めてでした。

入院54日目、2012年1月1日 新しい年を迎え、

1日も早く元気になって退院できることを

楽しみにしていました。

治療としては抗がん剤以外の点滴がまだ残っており

放射線治療もあとわずかになりましたが、

食事は十分に取れず体調は副作用によって

徐々に悪くなり体力も落ちる一方でした。

特に喉の痛みはだんだんひどくなり、

座薬での痛み止めが常用となっていました。

入院57日目の1月4日

二年越しの放射線治療(通算33回)終了の日を

迎えました。

いつものように数分間で最終回も

終わったのですが、

放射線治療の副作用で首周りは

ケロイド状態となっており

本当に元の肌に戻るのかと心配になりました。

この時点で既に強い痛みや痒みがあったのですが、

先生から追い打ちを掛けるように

「これからさらに痛みが増していきますよ」

とのお言葉が・・・

自分がこれからの状況に果たして

精神的に耐えられるのか!?

なにか試されているような感じを持ちました。

ともかく予定回数は終了したので、

約3カ月にわたって通い続け、

お世話になった放射線科の医師や 放射線技師、

看護師さんにお礼の言葉を述べるとともに、

二度とここには通わないで済むようにと

願いながら治療室を後にしました。

これで大きな治療はひとまず終わったと思うと

少し元気になりました。

抗癌剤との併用での治療で体力の低下によって

治療の途中で車椅子で通うようになる方も

いらっしゃったので自分としては最初に決めた

「治療室へは歩いて一人で通う」を

有言実行できたのが、これから生きていくための

大きな力となった気がします。

そして常に私は「必ずうまくいく」という

モットーを持ち続けていました。

前向きな気力はあるものの、肉体的には逆方向で

いろいろな点滴はまだ続き、

両腕ともに血管がボロボロとなっていて

針を刺すのに看護師さんも苦労していました。

苦労といえばこの時期、相棒も仕事が

一番大変なときで、病人の私が言うのも

おかしな感じですがオーバーワーク、

ストレスを凄く心配していました。

この時期を乗り越えれば、お互いに必ず

明るい未来が待っていると信じ、

退院の日を待ちました。

そしてついに1月10日、

入院64日目にして退院の運びとなりました。

退院するとき看護師長をはじめ、お世話になった

看護師さんらにお見送りをいただき、

退院に当たっては親友が家族のごとく親身になって

お世話をしてくれて、無事自宅に戻ることができました。

彼にはどんなに感謝してもしきれないほどです。

感謝!感謝!感謝!

これでしばらく薬の服用と週一回の通院で

しばらく様子を見ることとなりました。

自宅に帰ると体力はないものの気分は一転して

楽になり、嬉しさいっぱいです。

帰宅後はいろいろ滞っていた書類の整理や

諸々の手続きなどで、

あちこちに出掛け結構忙しくしていました。

しかし、体力の衰えは一段と大きくなり

普通に歩くことも難しく、青信号で横断歩道を

渡るのもやっとという感じでした。

また、食事は味覚障害が続き何を食べても

本当の味が解らず、美味しく感じることもなく、

食事をすること事態が嫌になり

取り敢えず口に無理やり入れて

お茶などと一緒に飲み込むといった感じでした。

こうなると食は細るばかりで、

みるみる体重は減っていくという

負の連鎖に陥ってしまっていました。

そして退院2週間後にCT検査がありました。

検査結果は!?

次回へ続く


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「癌から奇跡の復活 ・ 第2章①」

2014年02月20日 | 健康・病気

たっきーです。

今日は0のつく日、2月20日です。

0の付く日のシリーズ第二章の始まりです。

がん患者の方、その家族の方の何かの参考になれば幸いです。



「癌から奇跡の復活 ・ 第2章①」

【抗癌剤治療第2クール】

~体力の衰えと痛みとの戦い~

第1章で入院してから化学療法や放射線治療の

副作用等についていろいろお話ししました。



第二章ではその後の治療について引き続き書いていきます。



現役をリタイヤして5ヶ月目で病気が発覚し、

入院して40日を過ぎると元の会社のことなど

全く気にならなくなっていましたが、

この日だけは会社のことが夢に出てきました。

副作用なのか睡眠不足のためなのか、ものすごく不思議でしたが、

理由はなぜかはわかりません。



この頃から放射線治療の影響で喉は、

欠伸をしただけでも痛みがあり、口の中は常に乾燥気味でした。

部屋に加湿器を置いて常にマスクを着用することにより、

痛みは少し和らぎました。


そして、化学療法の第二回目のスタートとなりましたが、

その前には吐き気止めの点滴やカプセルの服用、

そして尿の量のチェックなどいろいろなことがあります。



私は右利きですが、これまで左腕に点滴をしていたことが多く、

特に不便さを感じることはありませんでしたが今回は右腕です。

口の中は常に清潔にしておくことが大事ですので、

毎日数回のうがいや歯磨きなどで右手を使うことも多く

それが使えないということは不自由ですが、

実は左手も少しは使えるので助かりました。


しかし、病室ではベットからの乗り降りや診察を受けるには

さすがに不自由で,ベッドの向きを反対にしてもらったところ

少し楽になりました。



これも精神的にイライラしないで過ごす事ができた

大きな要素の一つでした。

ちょっとしたことかもしれませんが、自分でできる小さな改善の

積み重ねが病院でのQOL(クオリティーオブライフ)を

高める方法だと思います。



入院して44日目、放射線治療27回終了(残り6回)。


この日の体重は入院時に比べてマイナス7.3キロ。

喉の痛みで食事が十分に摂ることができず、

出てきた食事は常にお茶や水で流し込む状態で 体力は衰えていましたが、気力だけは全く衰えていませんでした。



そんな中での抗がん剤治療第2回目、

5日間(120時間)連続の点滴が始まりました。

またもや絶え間なく続く、点滴のマラソンです。

これがが始まると夜中も含めてトイレに行く回数も増え、

尿の量も計測をしなければなりません。



ちょっとした事でも点滴は落ちなくなり、 管に血が逆流してしまいます。

常に点滴に集中しているわけではないのでふと気付いて

赤くなった管を見ると心配になり、慌てて点滴中の腕を下げる始末です。


このときは利き手が使えないことが,いかに不便かを痛切に感じましたね。


抗がん剤の点滴が始まって今回も吐き気などの

副作用はありませんでしたが、

第1回目との違いは、日毎に体がだるく

何もやる気が起こらず辛くなることでした。



先生から「これで腫瘍が消えれば良いですね。

年末年始は外泊で自宅に帰れるかもしれませんよ。」と声をかけてもらいました。

自分の中に「よ~し頑張るぞ!」という強い気持ちが起こり

いつものように「必ずうまく行く」と念じながら過ごしていました。



しかし、抗癌剤治療の後半には熱も出はじめ喉の痛みは一層強くなり、

吐き出す痰には血も混じるようになっていました。



さらに白血球も減少し第2クール最後の5日目、

やっと抗癌剤を含めた点滴が終わったと思って喜んでいたら、

今度は体力の衰えがひどくなり、

続けて今度は栄養を含む抗生剤などの点滴が始まりました。



点滴をするところは、なんでも同じ場所での点滴は4日間までらしく、

今度は左腕ですがこの頃には針を刺すところがだんだんなくなり、

自分の目で見ても針の刺した跡があちこちにはっきりわかります。



「あぁ点滴はもういやだ!」と心底思いました。



この様子ではもう血管もぼろぼろになったのではと心配になります。



世の中クリスマスで楽しんでいる中、 私は食事も摂れず痛みは強くなり、

ついに痛み止の座薬を使うほどになってしまいました。



これで、楽しみにしていた年末年始に自宅に帰ることを諦めました。

この時思っていたのは、辛いのは自分だけではない!

妻も仕事が一番きつい時期で

私の面倒をも見なくてはならない状況の中で、

「弱音は吐かない!」と自分に言い聞かせていました。



入院53日目、2011年12月31日、

仕事終わりで病室に来てくれた妻と

「お互いに未来を見つめて、来年は楽しい生活を

送ることが出来るようにしょうね!」と確認し、

人生,初めて病室での年末年始を過ごすことになったのでした。



次回へ続く

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「癌から奇跡の復活 ・ 第1章⑩」

2014年02月10日 | 健康・病気

たっきーです。

東京に来て今日で4日目です。
勉強も終わり今日からは遊びです。

さて今日は0の付く日、2月10日です。
0の付く日のシリーズ第10回目、第1章最後です。

「癌から奇跡の復活 ・ 第1章⑩」

<逆進化から真の進化への考動>
「治療と副作用・経過?「治療変更&気分転換&結果」

12月に入って1日の放射線治療12回目以降から、
毎週金曜日には外泊することができるようになりました。

しかし相棒はこの年、12月に入って仕事がますます忙しくなり、
楽しみの土曜・日曜日も私のフォローに勤め、
大変な思いをさせてしまったんだということを痛切に感じていました。

そんな中でも相棒は私のために栄養たっぷりな特別なメニューを考え、
私の喉の痛みなどを考えて食べやすいものを作ってくれていました。
本当に感謝です。

また、体調の良い時はウイークデーでも日中外出が許可され
気分転換を兼ねて自宅に帰る時間も多くなりました。

外出時での気分転換では親友に送迎してもらい、お昼を一緒にあちこちのおいしいお店に
連れて行っていただくなど外の空気に触れることがいかに大切かが本当によくわかりました。

しかし、食べ物に関しては味覚障害がだんだんとひどくなり何を食べても美味しく感じられず、
食事の量もだんだんと減っていき体重は入院時に比べて7キロも減ってしまいました。
体重が減ると当然筋力も衰え、わずかな距離を歩くのも辛い状況となりました。

このような毎日を送りながらの12月半ば入院してから35日目、
治療の経過を見るためCT検査がありました。

また、放射線治療の方法も変更するとの説明があり、
どう変わるのかちょっと心配もしましたが、心配とは逆に治療は放射線のあてる部位が小さくなり、
治療中の音も変わるなどこれまでより明らかに違いました。

放射線治療を受けている最中はいつも「やっつけろ!やっつけろ!」と目を閉じて念じていました。

この方法での放射線治療はあと12回で終わりです。
首周りはひどい日焼け状態で口の中、喉の痛みは少しずつ大きくなってきましたが
順調に治療は進んでいると言うことでほっとしていました。

翌日の12月14日、入院36日目、放射線21回目終了後また外出で自宅に帰り、
ゆったりお風呂に入るなどして夕方5時ごろ病室に帰りました。

帰るとすぐ主治医の片桐先生から耳鼻科外来に呼び出しがあり、
諸々の検査の結果、「原発の癌は消えた!またリンパ腫は4.5センチから約2センチまで
小さくなっている」との説明がありました。

この説明を受けた時は飛び上がるほど嬉しく、一気に目の前が明るくなりました。

このことを夜、相棒に伝えると「涙が止まらない程嬉しい」と、電話の先で…。

ここまで来れたのも病室でいつも笑顔で接して下さる片桐先生や、優しい看護師さんらの励ましの言葉。

そして相棒や家族の支え、それに加え家族以上の心配と
いろいろなところでヘルプをしてくれた親友のおかげだと思っています。

来週から第二回目の化学療法が始まりますが、頑張ろうという気持ちが一段と強くなり、
気力だ~!足湯だ~!みんなの応援の賜物だ~!

そして「必ずうまくいく」です。

第1章終わり。

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