2024年、バイデンが頼りないからと、トランプに引き継がれます。
その前に、トランプは更なる力をつけ、民の味方であるように振舞うでしょう。
民を解放してくれるかと思えば、民を支配する恐ろしい人物として台頭します💦
世界を動かしている支配層は、右も左も、どちらのチェスの駒も動かします。
どちらからもファシズム体制に誘導出来ます。
イルミカードに、左派も右派もそれぞれが、金の動物の像を拝んでいるカードがあります。
これは、モーセがシナイ山から降りて来た時、民が金の牛の像を拝んでいた偶像礼拝を象徴します。
右も左も、実際には偶像礼拝しておりマモン(おカネ、利権)に仕えているのです。
どちらも正義ではありません。
一歩下がって、彼らのケンカ論争と思想誘導に巻き込まれないように・・・
訳) 我々の政治体制は主に2つに分かれている。左派が民主党、右派が共和党である。リンカーンは共和党の初代大統領であり、1852年以降、すべての大統領は共和党か民主党のどちらかから選出された。しかし、ここ数十年、左派は更に左傾化し、右派は更に右傾化し、両党の意見の相違はますます激しくなり、互いに対する寛容さがなくなっている。共和党は保守的な価値観の保持者として自らを擁護し、民主党は常に変化し続ける進歩的な社会のために誇りを持って戦っています。そのため、どちらかを罵倒することは、どちらかを怒らせる最も確実な方法であり、私がここで言いたいことはまさにそれについてです。
私が「共和党と民主党は同じだ」と言うのは、政治思想が根本的に異なるわけではない、という意味です。政治的な問題に対する意見が違うということではなく、社会問題に対する解決策の意味合いから、政府の機能に対する考え方が同じ分類に入るということです:実は、どちらも国家主義者です。両党ともが国家主義者です。両党とも政府を自分たちの自己利益のために用い、自分たちの道徳観を強制するための道具とみなしています。両者の違いは、政府の役割をどのように理解するかではなく、あくまでも価値基準においてです。共和党は宗教、ナショナリズム、個人主義を重視する傾向があり、民主党は世俗主義、グローバリズム、共同体を好むことが多い。このため、彼らのレトリックは、しばしばスタイルは同じでも内容が異なっており、同じ目的のために戦うと主張しながら、常に互いにケンカをしているのです。
共和党は自由のために戦う。銃を所有する自由と同性婚を認めない自由です。民主党も自由のために戦っています。中絶する自由です。保守派は貧しい人々への援助を嫌うが農業補助金は大好き。一方、進歩派は単一支払い医療制度を支持すると同時に石油産業への削減を要求。保守派は、トランプが国際貿易を規制し「雇用を創出」すると言うと大興奮し、民主党は賃金を規制すると喜ぶ。民主党は麻薬産業の規制に熱心なのに、共和党が大麻の取引を規制すると嫌がる。
左派も右派も政府が安全を保証することを望んでいる。右派は自国民の情報を集め、敵らしきものには即座に宣戦布告し、左派は福利厚生の確保と環境保護に熱心になっている。
両政党が事実上すべての問題に対処する方法において偽善的である理由は、政治が哲学という根源から遠ざかってしまったからです。
建国の父たちは学者であり、弁護士であり、哲学者でした。今の政治家は...そう、政治屋さんです。政府は人民のための人民によるものだったのですが、そうでなくなって行ったため人民は政府にうんざりし始めた。そのため、政府が何をしているのか理解するようにした。もはや、ある問題が自分の政治哲学とどう関係しているのかを自問することはない。今は、ある問題が自分をどう感じさせるのか、もし自分が最高の独裁者だったら物事をどう動かすのかという個人の好き嫌いと、個人的な利権を気にするだけ。人々は問題を一つ一つ解決していき、その解決策が自分たちのイデオロギーの残りの部分に与える影響を考慮せず、また知的な一貫性があるかどうかを考慮することなく、恣意的に解決策を割り当てていくのです。今日の最大の問題は「政府はどのようにこれを行うべきか」と己の党の要求実現のために強引な政治を行っていますが、我々の祖先は「政府はこれを行うべきかどうか」と、そう問うことから始めていました。
このような考え方(というか欠如)の結果、政府は個人の生活に干渉するなと主張する一方で、自分たちの宗教的価値観を他者に押し付けるために手段を選ばない共和党と、率直に言うなら、矛盾をひとつだけに特定するのが難しいほど思想的に複雑で多様な人たちが集まる民主党が存在しています。
だから、このたび、共和党員が小さな政府を支持すると言いましたが、それは嘘をついているか、嘘をついた共和党員によって洗脳されているかのどちらかだと感じます。また民主党が自らを進歩的と呼ぶとき、彼らも先祖の古い部族主義にしがみついていることを思い出してほしい。
そして、一方が他方を侮辱するときはいつでも、どちらもが同類であることを思い出してほしい。