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⑬携挙について

2021-02-22 12:13:06 | 携挙

携挙の13回目です。13という数字なので、携挙(空中再臨)と悪魔勢力が関係している話をします🐍👿🦎

実は、以外にも関係しています。ディスペンセーション思想が拡散されたのは、政治的なパトロンがあったと以前書きましたが、

その詳細について、タイムリーで、神様からある情報を示されました。

 

携挙について、詳しくない人は、以下が豆知識です。

携挙と言えば、通常、艱難時代前携挙 (別名:空中再臨)のことを指しています。

ニューエイジやスピ系が言う、アセンションとは全く別物です。携挙はこの世から取り去られるということです。

艱難前携挙説を信じる人たちを、ディスペンセーション主義者と呼びます。

携挙という特別な用語は聖書にはありません。聖書には、イエスを信じ、生き残った者が、終わりの時代の最後に、 天に引き上げられると書かれています。

天へ引き上げられることを、“携挙” として、キリスト教の専門用語を作り、名付けただけです。

 

映画レフトビハインドのように、艱難時代前に携挙 (空中再臨)は起きません。

携挙が起きるのは、終わりの時代の最後です。イエスが再臨される時です。反キリストが神殿に座り、“俺が神だ!”と世界を統治し始めてから数え 約 3~3.5年後です。

(再臨の時期が少し早まる可能性も書かれています。)イエスの再臨の時は、突然ですので神のみぞ知るタイミングです。

艱難時代の最終にしか起こらないというのがとても重要ですです。

ですので、携挙は起きますが、反キリストが台頭した後のイエスの再臨時までは起きません!!!

聖書を正しく読めば理解出来ます。艱難前携挙説に踊らされないようにしましょう。

 

以下にとても詳しい情報がありました。同じような暴露は、英語や多言語で検索すればあります。

ラプチャー(携挙)のプロパガンダは、こうして仕掛けられた

画像:http://www.preteristarchive.com/dEmEnTiA/1975_macpherson_incredible...

 

 

 

米国に留学し、ディスペンセーション思想・艱難前携挙説を受けた牧師たちが、艱難前携挙説を信じて帰国します。

その後、そういう牧師に学んだ弟子の牧師・教師・信徒たちは、更に、ディスペンセーションの嘘の教えを拡散していきます。

自分で調べず考えようとせず、牧師・教師から聞いたことを鵜呑みにする人たちは、とても単純に騙されます。

Qに騙されたQアノン信者となんら変わりません。

ディスペンセーション思想も、同じ勢力による、サイオプなのです。

Qのターゲットはキリスト教右派でしたが、ディスペンセーション思想のターゲットもキリスト教右派です。

多くのクリスチャンは、まんまと騙されています。

その教会が艱難前携挙を教えるなら、教会が騙されています。

その教会に行ってはいけません! とは言いませんが、私なら行きません。

聖書の教えではない教えに洗脳されないよう、自分の心を護り続ける必要があります。

 

 

 

 


⑫携挙について

2021-02-22 00:07:48 | 携挙

そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。

不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。Ⅱテサロニケ2:6-7

 

6今、彼を抑えているものがあることは、あなたがたも知っているとおりです。それは、定められた時に彼が現れるためなのです。 

7不法の秘密の力は既に働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです。 Ⅱテサロニケ2:6-7

 

反キリストが現れるのを、“阻止している・抑えている”のは誰なのか? と、正体についての論争が、携挙のタイミングにもかかわっています。

正体の候補としては、ローマ帝国、大天使ミカエル、悪魔、神、教会、地上の政府、福音伝道 など、様々な説があります。

艱難前携挙説を信じる人たちは、阻止する者が教会=キリスト教徒=聖霊 だと考えます。 Ⅱテサロニケ2:6-7 に書かれているのは、 

「今、阻止している教会が携挙で取り除かれた後に、反キリストが現れる」ことだと信じています。

私も、阻止しているものが、 “教会”なのかどうか色々考えてみました。

 

長いキリスト教の歴史の中で、阻止しているものは“ローマ帝国”だという説が一番多かったようです。 であれば、仮に現代のローマ帝国はどこなのか?というふうに考えてみました。

そして、ローマ帝国 ≒ 現代の米国では?と思ったので、検索してみると、“抑えているものは米国だ”という 説も存在しました。 

(今、反キリストを抑えているものが、国や政府であって、必ずしも霊的な存在でなくてもよいという考えもあります。)

現在、米国が世界の覇権の中心ですが、米国が覇権を牛耳っているため、反キリストが支配していく世界政府の樹立が現在、抑えられている という解釈です。

実際、米国を弱体化し4分割する計画があると聞いてます。米国は聖書の中のミステリーバビロンという説もあり、米国の覇権がC 国に移動して行く可能性は大です。

 

“抑えているもの”の話に戻りますが、私は、それは 大天使ミカエル のことかも?とも推測し始めました。

また、悪魔自身だという説も可能性ゼロではない気がします。

 

ある時、抑えているものが“教会”であるという説について、疑問が湧きました。

なぜなら、ローマ帝国時代の反キリストとたとえられる皇帝ネロの台頭と迫害を、クリスチャンたち(聖霊)が “阻めなかった”“抑えれなかった”のは、どうしてなのかという疑問が湧きました。

ちなみに、ネロの名前はゲマトリアで666になるようです。ネロの霊が復活して反キリストになるという説もあるほどです。

聖霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制 とあり、また聖霊は神様の想いを知らせて下さるのだと私は理解していますが、

聖霊が、悪魔や反キリストを抑えれる役目があるかどうか?には疑問を感じます。もし、そのような強力な力が聖霊にあるなら、天使がクリスチャンを護る必要はありません。

私たちは、聖霊を宿していても、自分自身の罪と闘うのさえ手こずります。

神やイエスと三位一体である聖霊は、悪魔を抑えたり闘えたり出来るとに違いない!と、一見、考えてしまいそうですが、どうでしょうか? 

水は、まるで三位一体のように、氷や水蒸気へと形を変えます。 しかし、水の上でスケートは滑ることは無理で、氷が必要です。雨が降った後、水(雨)は水蒸気として蒸発します。洗濯するのには水が必要であり、氷では選択できません。

神様も霊の存在なので、霊のままでは人間の目に見えません。神様は、この世に来るため、イエスとして受肉してから現れました。 イエスは復活後、天に昇る時、この世から不在になる代わりに、私たちの心に聖霊を残して下さいました。

神様とイエス様と聖霊様で、それぞれ役割が違うのではないかと感じます。 ですので、果たして、聖霊が反キリストを抑えれる力を備えているのでしょうか?

 

そして、こういう説明もありました:

Paul told them that the apostasy had to happen first and then the restrainer had to be taken out of the way before the Day of the Lord could come. Only then could the Son of Perdition be revealed with all lying signs and wonders from Satan. And that is why Paul was admonishing them saying, “I told you these things and you know what restraineth.

Obviously then, it was not the Church that restrained the Antichrist because the Church was still around. If they believed the Church was the restrainer they had nothing to worry about because they could just continue with their restraining. So the restrainer was not them. It was someone that Paul had already told them about.

パウロは、“主の日が来る前に、先ずアポスタシー(背教)が起こり、“抑えているもの” が取りさられると教えています。その後、不法の者(反キリスト)が悪魔から力をもらい、不思議な印や奇跡を行い始めるというのです。

だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。Ⅱテサロニケ2:3

そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。 Ⅱテサロニケ2:6

不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者取り除かれる時までのことである。 Ⅱテサロニケ2:7

そうであれば、“教会”(聖霊)が反キリストを抑えているとは、考えれません。なぜなら、パウロの時代に教会は存在し、教会が抑える力があるのなら、存在しているだけで抑え続けれるので何も心配する必要はないのです。   

あなたがたが知っているとおり” とあるのは、パウロが信者に以前から話に出していた、教会以外の他のものなのです。

ここで、目に留めるべきは、6節の阻止しているものと、7節の阻止している者の字が違います。阻止している“もの” と 阻止している “者”と表現されています。 前回、ギリシア語の冠詞の話をしましたが、6節は中性名詞、7節は男性名詞になっているようです。 

わたしは、神 ・ 悪魔 ・ 大天使ミカエル の内の誰か 2人が、6 説の阻止しているもの と 7節の阻止している者 のどちらかに、当てはまるのではないかと考えました。

阻止しているもの(阻止している者)について、通常は英語の冠詞には性別の区別がつかないので、 “the restrainer ” とだけしかなく、コイネ・ギリシア語を学んでない限り、別物だとは思ってない人もいると思われます。

もちろん、ギリシア語のこれらの箇所が曖昧で、別物なのかもハッキリわかりませんが、6節と7節で、名詞の性別が違っているというのは確かです。

 

ここでパウロは、前者の「抑えているもの」” 

でワード検索をすると、検索結果の上部に、終末・黙示・抑制 というタイトルの PDF が現れます。

Ⅱテサロニケ の“抑えているもの”(the restrainer) について書かれています。

アウガスティヌス、カール・シュミットなどの見解についての短い論文のようなものが読めます。

これを読めば、この“抑えているもの”についての正体を理解するのは、かなり厳しいことが推測されます。

単純に、“抑えているもの”が教会(聖霊)だと言い切ってよいのかが問題です。

そして、艱難前携挙説を信じるアメリカ人たちが、ギリシア語の冠詞の性別の違いに気付いているか謎です。

Ⅱテサロニケの の“抑えているもの”(the restrainer) の冠詞の違いについて、米国人が説明している動画を見たことががありません。

英語訳は、the とあるだけなので、何も気付いてない人が大半だと思われます。

 


⑪携挙について

2021-02-20 19:38:28 | 携挙

携挙について、さぁ、どこまで続くんでしょうか?(?_?) 

調べるのに、一番苦労しているのは語源です。携挙については新約聖書にしか書かれてませんので、原語はギリシア語(古代ギリシア語の方言であるコイネ・ギリシア語)になります。

聖書関連の注解書・参考書を1冊も持ってないので、調べるのに時間がかかります。

 

調べていくうちに知ったことは、ギリシア語の冠詞には、女性名詞・男性名詞・中性名詞があるようです。

ちょっくら冠詞の話をします。 "冠詞"は、名詞の前につく a 、an、the の事です。

更に、冠詞は2種類に別けれます。定冠詞 (a, an) と不定冠詞 (the) です。

●定冠詞:数えられる名詞につけて、その名詞が不特定のものであることを表す。英語 a, the /  仏語 un /  独語 ein。

●不定冠詞:名詞につけて、それが特定のものあるいは一般的なものであることを示す。英語 the /  仏語 le, la, les / 独語 der, die, das。

※但し、文脈次第で、名詞に冠詞をつけない場合もあります (無冠詞・無定冠詞のケース)。

 

ギリシアは、イタリアやフランスの近くに位置しますが、ギリシア語はロマンス原語の仲間ではありません。中性名詞もあるならドイツ語と同じようですが、ゲルマン言語( ドイツ語、オランダ語・北欧諸語、英語)の仲間でもありません。

ギリシア文字は北フェニキア文字のアルファベットのルートで出来ました。アラム文字、ヘブライ文字、アラビア文字、ラテン語、キリル文字(露語)もフェニキア文字から派生したようです。ギリシアと言えばヨーロッパのイメージがありますが、言語的には、アジア圏の言語であるセム系言語に関係します。

古代ギリシャ語(コイネ語含む) は、定冠詞のみ使ったようで、不定冠詞 (the など特定なものを意味する冠詞 )は 存在しなかったようです。コチラの方のブログを読むと、古代ギリシア語を理解・翻訳することの難しさが伝わって来ます。不定冠詞(the)が存在しない言語なので、何を指しているのか判りにくいと思われますが、特定するためには焦点を合わせる判断力が要るようです (;´Д`)💦 ちなみに、現代ギリシア語は不定冠詞が存在します。ということは、古代ギリシア語である新約聖書を、完璧に他言語に訳そうとするのは難しいというこです。言語の性質が違うからです。これは旧約聖書(ヘブル語)についても同じだと言えます。

>>ギリシャ語の冠詞   ( https://chrismichaelmoore.com/greek )

冠詞は新約聖書の約14万語中、約2万語あります。すなわち、7語に一つは冠詞です。冠詞は英語の「the」の由来ですが、ギリシャ語の冠詞は英語の冠詞よりも、多くの働きがあります。大きく分けると、冠詞は①何でもを「名詞化」する→②その中で場合によって、名詞化したものに対してさらに「名づける」ことや、「主格化」する機能もあって→③そして最終的に英語の「the」のように「特定」する機能もあります。特定しようとしている程度、言い換えたら【ピントを合わせる】程度は数段階があって、焦点を当てていきます。ですので、ギリシャ語の冠詞の基本的な意味を覚えましょう。

焦点) 不定?→①名詞化→②主格化→③特定

※冠詞がなくても特定である場合もありますので、ないからと言って不定ではなく、ただ、あると焦点を当てる方向性があります。このたった24語を完全に覚えたら、聖書の1割以上だけではなく、まだ分からない単語について多くの情報が分かり、文書を解くカギになることは多くあります。ギリシャ語の冠詞は名詞の【①格、②性別、③数】と合わせます。

 

例えば、ギリシア語を別のコトバに訳すのに難しいと思われる点は、このような聖句箇所が示されました。マルコ9:3を例に取ります。

KJV欽定訳: And his raiment became shining, exceeding white as snow; so as no fuller on earth can white them.

NIV(New International Version):  His clothes became dazzling white, whiter than anyone in the world could bleach them.

GNT(Good News Translation) :  and his clothes became shining white—whiter than anyone in the world could wash them. 

口語訳:その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。

新改訳:その衣は非常に白く輝き、この世の職人には、とてもなし得ないほどの白さであった。

新共同訳:服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。

文語訳:其の衣かがやきて甚だ白くなりぬ、世の晒布者を爲し得ぬほど白し。

 

数日前、"雪のように白く"と訳されてなければ、改竄聖書、悪魔の書 である。ラックマン訳だけが正しい!と仰る日本人の方から返事が来ました(韓国語のアクセント動画ですので、韓国人の方かも知れません?)

他にも、ルカ 9: 41の “曲がった時代よ”の訳は 間違いで、“曲がった世代よ” が正しい訳であるから原語が改竄されている、という動画など多々ありました。 

それでも、私は、調べないうちは先入観や偏見持たず、自分の目で確かめたいタイプなので、ラックマン氏とラックマン訳について3晩連続で調べました。ラックマン氏は嫌いじゃないです。日本で住まれていた時、一度、禅にハマられたようで、多文化に偏見を持ってなかった方だと思われます。 でも、大事でないことにばかり拘割り過ぎると本筋からズレてしまいます。イヴが食べた“知恵の実”は、果たしてリンゴなのか桃なのか?もし、リンゴなら、サン富士?ジョナゴールド?蜜入り? という拘りとよく似ています ( ´艸`)💦

 

私が思うに、どうして"雪のように白く"と訳される場合や訳されないケースに別れるのかは、ギリシア語は繊細であり、不明瞭・不透明な場合もあるということです。また、ギリシア文化の慣習を表現するのにピッタリと当てはまるコトバが見つからないからだと思います。ですので、こういうケースは改竄とは無関係です。 例えば、「生殺しの蛇に噛まれる」という諺は、災いの根源や悪者の息の根を完全に取り去らなかったため、自分の身に害が及ぶことです(類義語:蛇の生殺しは人を噛む)。でも、この諺を英語でワンフレーズで直訳しても、根本の意味が理解されません。

ラックマン氏の言うことだけを鵜呑みにする前に、自身がギリシア語や各言語の特徴・特異性を知ならいと勝手な思い込みになります。

色んな説を自分で調べることなく、有名牧師の教えを鵜呑みにして受け身になっているクリスチャンが日本にも多いです。自分だけの想い込みなら良いですが、牧師や教師という立場の人が、携挙が艱難前に起こると堂々と公言して拡散するのは、未信者に対しても間違ったことを扇動していることになります。

現在、艱難前携挙説を信奉する信者の多くが自分では徹底して調べてないです。テレビ伝道者の中川牧師・自分の教会・好きな牧師がそう教えてるから信じた。なんていう人が殆どだと思います。アメリカでも人気な説でもあるし、レフト・ビハインドの映画を観たから、益々、艱難前携挙が確信できた!なんて理由もあると思います。でも、これって、私から見るとミーハーだとしか感じられません。

私はアメリカという国を “セロリーの国”と思ってます。韓国もよく似ています。様々な新セオリーが誕生しやすい国です。米国人も韓国人も、自分自身に自信を持っている人が多いです。傲慢な自信でないなら、自信は良いことです。目立つことが好きなので、成功者・セレブ・開祖・元祖になりたいという想いの強い国民性です。成功欲だけでなく一攫千金願望も強い分、努力もします。新しく自分のビジネスをスタートしたい・開祖したい人が多いので、ある意味バイタリティがあります。ただし、国民性的なマイナス点として、これらの国では、多くの新セオリー、異端グループが生まれてきました。もちろん、日本の仏教・神道にも新興宗教はありますが、これらの国と比較したら、数は全然少ないです。

さて、艱難前携挙説に戻りますが、どうしてそのセオリーを信じてしまったのでしょうか? 自身の動機を見つめなおして下さい。

日本のQアノン信者は、アメリカQアノン現象に釣られました。今は、サイオプだと完全にバレてしまっています。自分で考えたり調べる前に、感情やノリで追随するのは危険です。

また、初めから先入観を持っているなら、答えに聖霊の導きがありません。神様の声は、自分の好き嫌いや感情ではなく、still small voice(動かない小さな声)です。

オープンマインドになって、他の説も徹底して調べて下さい。私は、今でも比較するために、艱難前説も聴いたり読んだり継続しています。昨年、中期説も調べましたが、やはり腑に落ちませんでした。ただ、中期説についても再度、徹底して調べようと思います。

牧師という立場の人たちが、他の説を徹底して調べずして艱難前携挙が起こります!などと動画を出すのは無責任ではないでしょうか? 携挙のタイミングについて間違ったことを拡散するのは、後に大きな責任となります。ホントに聖霊の導きから来た答えなのでしょうか?先入観なしで徹底的に調べたのでしょうか? 牧師であるなら、私の何倍も何倍も調べる必要があると思います。携挙の時期については、艱難前に起こらなければ、牧師生命も絶たれます。信頼されなくなります。もちろん、中川先生も例外ではないです。 ですので、“携挙について真実だけを教えて下さい”と、神様に祈り始めてみて下さい。

私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。ヤコブ3:1

私だって、こんな嫌われることを言うのは嫌です! 特に縦社会の日本では、教会であっても違う意見を言うと、牧師でないのに傲慢なヤツ、女のくせに、信徒の立場で生意気な!と思われますから。でも、この事に限っては、「顔を火打石のように頑固にして シッカリ伝えなさい」と神様から言われました。嫌われても何と思われても、言いなさいということです。

私は、7年前に神様から、「私のために、嫌われる準備は出来ていますか?」と3回聞かれました。その都度、「はい、出来ています。」と応えました。何だか、嬉しいような悲しいような心境になりました。その時は何のことか判りませんでしたが、その翌月に、何のことだかスグに判りました。そして、今でも、嫌われることを言わざるえないというのが、自分の役割だと感じます。 日本人はおしとやかな人が多すぎて、牧師に意見出来ない人が多いです。だから、私のような性格の者が選ばれたのです。ただ、私は教えているつもりではなく、神から頂いたコトバをシェアしているだけです。私の一番多く頂いている聖霊の賜物は教える事でなく discerning です。

 

主なる神が助けてくださるから わたしはそれを嘲りとは思わない。

わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている わたしが辱められることはない、と。
わたしの正しさを認める方は近くいます。誰がわたしと共に争ってくれるのか われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか わたしに向かって来るがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる。誰がわたしを罪に定めえよう。 イザヤ50:7-9

 

PS すみません、今回書けなかったアポスタシー(Ⅱテサロニケ 2: 3)については、数日内に書きます。


⑩携挙について

2021-02-20 19:27:03 | 携挙

携挙について、まだ続きます。

でも、同じテーマで続けていると、だんだん飽きてきます (´Д`)

携挙について調べたり訳してると、脳疲れになってきます。

違う話題を途中で入れるとは思いますが、携挙については、書かなくてはいけない内側からのうめきみたいなものを感じます。

 

実は、私が、携挙の時期・タイミングに拘る事には、理由があります。私が拘るというより、聖霊様です。

 

その、大きな理由は・・・

近い将来、大いなる欺き(great desception) が起こるからです。小さな欺きではなく、 GREAT だとあります。 

そして、以下の御言葉は、偽救世主がアチコチに出没するだけでなく、偽携挙がカモフラージュされ偽イエスが現れる事も含んでいます。

わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わします。マタイ24:5

そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、

大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」 マタイ24:23-24

 

人を視界から消す錯覚に陥らせるホログラムやブルービームなどのテクノロジーが、ずいぶん前からあります。

数年前、法王が会衆の前で堂々とホログラムを使っています。

他にも、違う都市の空に空中にビルのようなものが浮いています。C国では2回も同じことが起きたようです。人も浮いています

特に、こういう情報が行き届きにくいお年寄りや小さな子供、家事で忙しいママさん、仕事で忙しい男性たちは、騙され易いと思います。

いや、もう、アンテナ張ってないと、こういう現象を見た時、誰でも騙されますね!

もう、なんでも起こっているように見せれます。

 

最先端テクノロジーを使い、人々が消えるシーンがニュースででっち上げられたり、人々の目の前で錯覚を見せるでしょう。

携挙が起こっていないのに、携挙が起きた、イエスが現れた!とデマゴーグが拡散されるでしょう。

 

また、エイリアンに連れ去られたという話も宣伝するでしょう(エイリアン・アブダクションはイルミカードにもあります)。

携挙が起きていないのに携挙が起きて人が消えた、エイリアンが現れアチコチで人が誘拐されたなど、色んな不自然なことが世界中で起こっていると世界中の人が洗脳されます。。

フェイク・エイリアン・インベージョンの話もあります。

ただ、政府機関のUFO話を鵜呑みにしてはいけません。ヤラセもあります。

でも、本物のエイリアンは地球外生命体のことであり、堕天使が正体です

 

Q. では、携挙が起こった、イエスが現れたというデマゴーグや現象を見極めるには、どうしたらよいのでしょうか? 騙されない方法は?

 

A. 見極める方法は、およその時期です。反キリストが神殿に座り、大艱難時代に突入し、約3年半前後まで、携挙は終末まで起こらないと聖書に示されています。

どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まずアポスタシー(背教)が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。Ⅱテサロニケ 2: 3

誰がどのような手段を用いても、だまされてはなりません。まず、アポスタシー(離反)が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が現れなければならないからです。Ⅱテサロニケ 2: 3

神様は、私たち人間が、現象や嘘に流されやすい性質であるのをご存知です。だからこそ、携挙は最後の時期まで起きませんよ!と御言葉に残して下さいました。

携挙は反キリストが現れ、大艱難時代を通過しないと起きません。 それ以前に、携挙が起きた噂・携挙の映像・偽イエスの出現に 引っかかってはダメです。

でも、携挙は最後まで起きないので、取り残されたなんて信じないで下さい!

※次回、アポスタシー(背教= falling away) 部分について、“携挙” ≒ 身体が離れ去ること” だと訳せない理由を説明します。

 

もちろん、艱難時代で生きていればこそ携挙されるという話です。大艱難時代に命が護られ、イエスの再臨される栄光に自分の目で預かりたい人は、

今からサバイバルを求めて真剣に祈って下さい! 生きたい!という想いは人間の存在するための活力であり、ポジティブでヘルシーな生命力の意思です。

この身体は仮住まいであるし、主の御心なら殉教死も覚悟してるという人は、どんな死に方をしようとも、死ぬ時に痛みがないように、どうか痛みの感覚を

取って下さい!と祈り始めて下さい。私は、痛みは無理です遠慮します😓(-_-;) と正直な気持ちで神様にリクエスト始めています。

ドバーっとバシャーと血が流れても、首ゴ口ゴ口であっても、痛くなければオッケー! ではないですか?😅(;^ω^) 楽しい方向に考えましょう。
 
神様は悪いようにされません! 全能者に任せましょう!
 
わたしは、クリスチャンになったばかりの人、これからなる人たちに、神様が特別な護りの計らいをなさることを感じます。
 
人間の赤ちゃんは、親に特別に目をかけてもらうのと、同じ原理です。
 
一番試されるのは、長い間クリスチャンである人、献身者である人なんじゃないかなと思われます。
 
でも、艱難時に試されるということで、護られないということではありません! 
 
 
<どんな時代であっても不変である神の約束>
 
🌻善を求めよ、悪を求めるな。そうすればあなたがたは生きることができる。またあなたがたが言うように、万軍の神、主はあなたがたと共におられる。アモス5:14

🌻信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、

ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。 へブル11:6

🌻まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。

あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。マタイ6:33-34

🌻しかし、彼に対する御告げはなんであったか、「バアルにひざをかがめなかった七千人を、わたしのために残しておいた」 ローマ11:4

🌻いと高き者のもとにある隠れ場に住む人全能者の陰にやどる人主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。詩編91:1-2
 
🌻主よ、あなたの道をわたしに教え、わたしのあだのゆえに、わたしを平らかな道に導いてください。詩編27:11
 
🌻どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って
わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。Ⅰテサロニケ5:23

 

 

 


⑨携挙について

2021-02-17 19:24:20 | 携挙

こんな動画を観ました! 

前半は、携挙説は英米をはじめとする英語圏で取り入れられた説であり、諸外国では流行ってないとの説明。

(諸外国で信じている人がいれば、それは、英米のキリスト教思想の影響を受けているからだということです)

 

そして、私が気になったのは、後半部分。

214~

OGPイメージ

Robert Morris Exposes the Ignorance of the Pre-Trib Rapture Theology

Robert Morris Exposes the Ignorance of the Pre-Trib Rapture Theology a...

youtube#video

 

1 テサロニケ4:17 は艱難時代前携挙説を信じる人たちが、空中携挙の聖句だと主張しますが、

上記の動画の牧師は、1テサロニケの 4:17について、「この箇所が艱難時代前の携挙を意味するのであるなら、alive and remain (残されている者) なんて表現がされるのはおかしいと思いませんか?

自分なら、“生き残っている者” “残された者” などと書かない。」

と指摘している。確かに単純なポイントですが、会衆も初めてこの点に気付いたようで笑っている。

 

色んなバージョンの訳を覗いてみましたが、全ての訳が共通して、“その時、まだ生きており、残った(残されている)者を” という意味に訳されてました。意味は同じです。

英語の違うバージョンの訳も調べてみました:

the living ones who remain [on the earth] 地上に生きて残されている者

who are still alive まだ生きている者

who are still alive and remain on the earth  地上にまだ生きており残された者

who are alive, who are left  生きている者、残された者

who are still alive and are left  まだ 生きており残された者

who are still alive at that time  その時 まだ生きている者

who are alive, who are left behind  生きており とり残された者

who are alive and who have been left behind  生きている者で とり残された者

 

私も気付かなかったけど、“その時、まだ 生きており 残されている者”とは、艱難時代を通過し、生き残った人たちのことだとしか考えられない。艱難時代前に、“生き残り”をかけるほどの相当に顕著で激しいサバイバルがあるなら、

艱難時代前 携挙にも当てはまるかも知れませんが…  ただ、それは、情況的に当てはまらない気がします。

日本語訳では、“その時、生きており” “まだ生きており” “わたしたち生き残っている者” “なお生きて地上に残っている私たち” などと訳されていました。

 

昨夜、読んだある記事の中で、なぜ神様は携挙の時期についてハッキリした表現を残されていないのか?という記事を読みました。 

1つは、色んな意見が違っても、お互い兄弟姉妹を受け入れる練習をさせているということではないか?と書かれていました。ナイス!な考えだと思いました。

携挙説について色んな動画や記事をみますが、ある牧師は、自分の説はシッカリ主張しつつも、「僕の親友の牧師で艱難前携挙を信じる○○君と、○○君と、○○君が

いるんだけど・・・」と写真付きの動画で彼らを友人だと紹介しはじめました。

他にも、以前は艱難時代前を信じていた人で、今は艱難時代後を支持している人ですが、彼は「今は、艱難時代後を信じるけど、昔、よく聴いていた艱難時代前を支持する○○牧師や○○牧師のことは、今でもファンだし とても尊敬してます。彼らのメッセージも聴きます!でも、携挙については、彼らは間違ったことを教えてるので譲れません。」と発言していました。

いやぁ、意見が違っても、こういう風に割り切る人たちは美しいです。

そうかといって、英語のスレで携挙説のことで強硬にやり合ってる人たちも沢山います。昨年の夏から、そういうやり取りを見てきました。

でも、皆が真実を伝えたいと、真剣なんだと思います。

何が正しいかは、反キリストが現れるのを 目にするか しないかで、まず、艱難前携挙説が、正解かどうかが 決定されます。

 

私が心配していることは、終末時代にクリスチャンが嫌われ迫害されるとありますが、もしかしたら、艱難前携挙を宣伝したのに携挙が起きないから、嘘つき呼ばわりされ迫害されるのも一つの理由になりえるかもしれないということです。 ネロの時代、クリスチャンは放火の濡れ衣を着させら、ライオン競技場に放たれました日本もキリスト教迫害では有名な国です。

 

私は、これから来る時代のことを考え、迫害が起こってもくじけない心構えで行きたいです!! 

人に認められたいと思ったら罠にかかります。

人より神に認められたいと思ったら、嫌なことがあっても大した失望になりません。