〈モーツァルトの手紙 岩波文庫版〉
少年時代から晩年にかけて書かれた、モーツァルトの書簡集。
始めの頃は主に父宛の手紙が多く、時折お姉さんやお母さん宛のものが入ります。
少年の頃のイタリア滞在中のモーツァルトからザルツブルグへのものには、「お母さん(お姉さん)のお手に10000回キスを…」などと書いてあり内容も、無邪気で可愛らしいです。
ときどきふざけて右から左へ、左から右へ・…とつづった手紙があり、日本語版では上から下へ、下から上へと書いてあり「読みにくいよ!!」と思いながら一行読んでは本をさかさまにして一行読み、また元通りにして一行読み…。
(その手紙は姉宛のものなので)お姉さんもさぞかし読みづらかっただろうな。
「さようなら、僕の肺臓さん。僕は姉さんにキッスします。僕の肝臓さん。そして、いつまでもあいかわらず僕の胃袋であって下さい。不肖の弟ヴォルフガング。」
…てなことを書かれても、姉さんもさぞかし困った事でしょう。
ふざけて、馬鹿なことばっかり書いてある手紙もあり、「ふざけすぎだよ!!」と思いながらもこういう面もありだろうな、書いてあること汚いけど…と思いながら読んだ。
モーツァルトの、大まかな伝記などは何冊か読んだが、やはり本人が書いた手紙を読むと、モーツァルトという人間の人となりがもっと詳しく鮮やかに、目の前に現れて来たような気がした。
21~2歳の頃、マンハイムやミュンヘン・パリで職探しをしている時。
女の子の事で頭がいっぱいでろくに職探しもせず、父親からの手紙で怒られていたり。
(モーツァルトの手紙だけではなく、少ないけれど父や母が書いた手紙も載っています)
ザルツブルグの大司教とほとんどケンカ別れの様になってから、ウィーンで始めの内は活躍し、名声を得ていたが、だんだんと斜陽ぎみになり…。
晩年は同じ人…プフベルクという実業家…に、借金の申し込みの手紙ばかりになり。
妻は何の病気か知らんが、温泉治療にばかり出掛けていて独りぼっち。
きっと楽譜に音符を書くことが唯一の楽しみだったんじゃないのかな。
また、下巻の204~205ページに載っているダ・ポンテ宛らしい手紙、訳者の方も注で書いてありますが、これはモーツァルトが書いたものではないと思う。
他の手紙の書き方とかなり違うし。
内容や表現が悲観的すぎてモーツァルトらしくないし、モーツァルトなら、『これ(レクイエム)は私の葬送の曲です。なんとしても仕上げなければ…』なんて、こんな暗い、じめっとした事なんか、書かないと思う。
他の手紙にもそんな雰囲気で書かれた物はない。
モーツァルトはあくまで楽天家でそのくせ頑固、音楽に関しては自信が有り余るほどあり、それを身分の高い人の前でも隠さず、(隠したほうがいいのに…)、おべっかを使って近付いて来るずるい人はみんな『いいひと』と思い簡単に騙され利用され、それでも音楽に対しては手紙の上でも真剣そのもの、そして気位が高いくせに世間知らず、とりわけ人を見る能力はほとんどゼロに等しい、だから妻やその家族からホイホイとおだてられ利用されても気づかない。夢にもそんなことは思わない。
死後、やっと回りのみんながモーツァルト音楽のよさに気付いたとしても、富を得るのは彼を利用した妻と、忘れ形見の二人の息子だけ。
モーツァルトの生きた時代が、ちょうどモーツァルトには合わなかった、ってこともあるだろう。
それでも、天才にはこういう人生もありなんだろうな。
私はこれからもこの人の曲を少しずつ聴いていきたいと思っています。
少年時代から晩年にかけて書かれた、モーツァルトの書簡集。
始めの頃は主に父宛の手紙が多く、時折お姉さんやお母さん宛のものが入ります。
少年の頃のイタリア滞在中のモーツァルトからザルツブルグへのものには、「お母さん(お姉さん)のお手に10000回キスを…」などと書いてあり内容も、無邪気で可愛らしいです。
ときどきふざけて右から左へ、左から右へ・…とつづった手紙があり、日本語版では上から下へ、下から上へと書いてあり「読みにくいよ!!」と思いながら一行読んでは本をさかさまにして一行読み、また元通りにして一行読み…。
(その手紙は姉宛のものなので)お姉さんもさぞかし読みづらかっただろうな。
「さようなら、僕の肺臓さん。僕は姉さんにキッスします。僕の肝臓さん。そして、いつまでもあいかわらず僕の胃袋であって下さい。不肖の弟ヴォルフガング。」
…てなことを書かれても、姉さんもさぞかし困った事でしょう。
ふざけて、馬鹿なことばっかり書いてある手紙もあり、「ふざけすぎだよ!!」と思いながらもこういう面もありだろうな、書いてあること汚いけど…と思いながら読んだ。
モーツァルトの、大まかな伝記などは何冊か読んだが、やはり本人が書いた手紙を読むと、モーツァルトという人間の人となりがもっと詳しく鮮やかに、目の前に現れて来たような気がした。
21~2歳の頃、マンハイムやミュンヘン・パリで職探しをしている時。
女の子の事で頭がいっぱいでろくに職探しもせず、父親からの手紙で怒られていたり。
(モーツァルトの手紙だけではなく、少ないけれど父や母が書いた手紙も載っています)
ザルツブルグの大司教とほとんどケンカ別れの様になってから、ウィーンで始めの内は活躍し、名声を得ていたが、だんだんと斜陽ぎみになり…。
晩年は同じ人…プフベルクという実業家…に、借金の申し込みの手紙ばかりになり。
妻は何の病気か知らんが、温泉治療にばかり出掛けていて独りぼっち。
きっと楽譜に音符を書くことが唯一の楽しみだったんじゃないのかな。
また、下巻の204~205ページに載っているダ・ポンテ宛らしい手紙、訳者の方も注で書いてありますが、これはモーツァルトが書いたものではないと思う。
他の手紙の書き方とかなり違うし。
内容や表現が悲観的すぎてモーツァルトらしくないし、モーツァルトなら、『これ(レクイエム)は私の葬送の曲です。なんとしても仕上げなければ…』なんて、こんな暗い、じめっとした事なんか、書かないと思う。
他の手紙にもそんな雰囲気で書かれた物はない。
モーツァルトはあくまで楽天家でそのくせ頑固、音楽に関しては自信が有り余るほどあり、それを身分の高い人の前でも隠さず、(隠したほうがいいのに…)、おべっかを使って近付いて来るずるい人はみんな『いいひと』と思い簡単に騙され利用され、それでも音楽に対しては手紙の上でも真剣そのもの、そして気位が高いくせに世間知らず、とりわけ人を見る能力はほとんどゼロに等しい、だから妻やその家族からホイホイとおだてられ利用されても気づかない。夢にもそんなことは思わない。
死後、やっと回りのみんながモーツァルト音楽のよさに気付いたとしても、富を得るのは彼を利用した妻と、忘れ形見の二人の息子だけ。
モーツァルトの生きた時代が、ちょうどモーツァルトには合わなかった、ってこともあるだろう。
それでも、天才にはこういう人生もありなんだろうな。
私はこれからもこの人の曲を少しずつ聴いていきたいと思っています。