子供の可能性を大人は知りたがる。
でも、分からない。
だから自分の価値観に当てはめて、予測値を決める。
価値観は、自分の経験と学習と情報によって築かれる。
母親の身長や、足の大きさ、膝下の長さなんてのがよくある。
中一の時に前から2番目だった小林君が、185センチになるとは思わなかった。
ご両親ともに大きくないし、足も大きくなかった。
小学生の現象からその子の未来を予測することは難しい。
だけど、
だから、おもろい。
どんな風に育つのか楽しみだ。
価値観は与えられるべきではなく、自分で築くもの。
我々大人がすべきは、「躾(しつけ)」 に尽きる。
おはようございます。
こんにちわ。
こんばんわ。
おやすみなさい。
ありがとうございます。
ごめんなさい。
いただきます。
ごちそうさまでした。
人の話を聞く。
弱い者いじめはしない。
嘘はつかない。
約束は守る。
仲間の役に立つ。
家族のために働く。
親を助ける。
社会に貢献する。
布団の上げ下げ。
玄関掃除。
花の水やり。
犬の散歩。
教えなきゃ分からない事がある。
身が美しく育つために、躾る義務がある。
与えすぎては、我慢が出来ない人に育つ。
そんな個が将来、高収入を得る事が出来なかったらどうなるのだろう。
どんな人に成長するか分からないから、
ちゃんと躾けておかないと。
子供の頃の 「早熟スター」 と 「晩熟の原石」 を勘違いさせてはいけない。
双方共に結果が分からない 「成長の過程」 にある。
果物なら、どっちがより甘く育つかで価値が決まる。(早さじゃない)
例えば、小学生でも 「サッカー」 や 「勉強」 で選択するケースがある。
ここで、寄り添う大人の価値観が問われる。
競技スポーツだけが、サッカーをする意味ではない。
偏差値を上げるだけが、学ぶ意味ではない。
大人で 「金の無駄」 や 「ばからしい」 と言う言葉を使う人がいる。
その言葉の向こう側には、「大人の思う」 成果が存在する。
そんな 「思い」 も、その人の価値観によって生産される代物。
我々の価値観の囲いに閉じ込めることなく、彼らの成長を楽しめる保証は、
するべき 「躾」 を疎かにしなかったか次第だと思う。