のらりくらりSEVEN ART☆

40歳からのぼちぼち人生

抜粋☆

2016-02-22 12:26:27 | 日記

自主性の考え方について考えた。

先日発行した本に書いたことと関連する。

教える必要がない事
教えるべきでない事
教えなければ気付きにくい事
教えるべき事
教え方

肯定する時と、否定する時と、意思表明しない時がある。
それが同じプレーでも。。。
矛盾は存在する。

Tシャツを、売る人と買う人。
立場が変われば、意見が変わる。

物事を画一的に管理するべきではない。
「時と場合」と先人は表現し、今もその言葉が残っている真実。

「自主性に任せる」とは、「丸投げ無責任」の可能性がある。
物事の良し悪しは、親の価値観を押し付ける事から始まる。
だから親は、間違った価値観を持ってはいけない。(責任がある)

成長と共に、
尊敬できる親の価値観を、子は生かしたまま発展させる。
尊敬できない親の価値観を、子は否定し反面教師として活かす。

感情ではない「自分の考え方」を子に示す。
父は男の子に、母は女の子に、同類として影響を与える。

ダメなものはダメだと、教える。
君は間違っていると、否定する。
間違っていると思い込む子に、君は正しいと否定する。


子は、自分のルーツを知ってから行く先を選ぶのだ。
初めに自覚すべきルーツは、親の価値観と育った環境。

道を選ぶ前に、自分の育った環境と価値観を自覚することが重要なのだ。

「どこに行きたいのか」 「どんな人になりたいのか」は、
「今の自分はどこにいるのか」 「自分は誰なのか」と関係している。
そこから目指すべき場所を決め、目標に向かって選択していくのだ。

訳の分かっていない幼い子に、「自分で決めろ」は、失敗ありきの経験として提案する。
自立心の無い子を信じて「丸投げ」は無謀であり、「見守らなければ」無責任と言える。

否定・矛盾・理不尽によって込み上げてくる感情から、自分の価値観と自立心が生まれる。
その責任を父親は果たさねばならない。
自分で決めろと言って決めた直後に、「それはダメだ!」と堂々と却下して良いのだ。

これを少年期に実践することが、「任せられる人」を育て、その子は自主的に生きていくのだ。


私はこう考える。