18時過ぎの電話。
もう滅多になることのない家電話、こんな時間に鳴るなんて施設から?と思ったら的中。
熱もあるので救急車を呼んでいるとケアマネさんから電話。
病院決定次第、向かう準備をしておいてほしいとのこと。
特養施設の提携病院があり、そこに行くはずなんだけど、
救急からの連絡で先方の先生の受け入れOKがないと動けないらしい。
こちらも一気にピリリとしつつ、支度しながら続報を待つ。
こういうときに、電車で一時間以上かかる場所はやはり不便…
運ばれるのも施設から車で10分ほどの予定通りの病院と確定し、電車で行く方が早いか迷ったけど、
こちらも初めて行く病院なのでタクシーで向かうことに。
つい3、4日前に母と夕食をとりながら、祖母のことを話していたところだった。
けんかも多かったし、これまでの衝突だって相当だったし、それでもいなくなるとさびしい、と泣いていた母。
小さい頃から、ずっと祖母の愛情を欲していたんだよね。
もちろん愛情がなかったわけではなく、兄や弟に向く愛情とはまた違くて、
でも母は女の子でも対等に接してほしかったんだろうな。
何も説明できないままに、本入所の契約をしてしまったという後悔なのかもしれない。
本当に、こんなに早くとんとん拍子に進むと思ってなかったから。
それは私も胸が痛む。
私の骨折だけで、こんなに一気に祖母の生活が変わっていいんだろうか、と。
周りからは、99まで家で暮らせてよかったじゃないかと言われることもある。
ここまでよくお世話されましたよ、とケアマネさんたちも言ってくれる。
でもこれからも叶うことなら、ここまできたら家族のもとで過ごさせてあげたいという気持ちで揺れる。
でもそれには家族の支えという時間の犠牲もあるんだよね。
プロに任せられて安全な暮らしを提供していると思いたい。
でも家族といるほうがいいと口に出さずに祖母は我慢してるんじゃないかな、と
思うことで迷いが生じる。
またそんなことをタクシーで話しながら、病院へ。
連絡した叔父も先に来てくれていた。
結局19時前に家を出て、タクシーでも1時間くらいかかって、20時前に到着したかな。
30分ほどして、診察してくれた当直の先生から説明。
まあよくそんなにばっさり言えるな…という感じの先生だったけど、処置には感謝して。
誤嚥性肺炎を起こしているので、当面入院が必要とのこと。
何度ももう99でしょ?とどうなっても仕方ないと言わんばかりの口調にかちんときたけど、これまで誤嚥はしたことなかったのよ。
家で好きなだけ時間をかけてゆっくりとれていた食事、施設で時間通りに、10人にひとりの介護士さんが
ケアしてくれるのはきっとわけが違うから…
うちにいたときも促されないとなかなか箸が進まなかったし、
何かちょっと急いでしまったのかもしれない。
そう思うと、ごめんねばあちゃん、という気持ちがまた湧いてくる。
しかし、本入所からまだ2週間でこんなことになるなんて。
コロナ禍の病院は本当に本人との対面が一瞬で。
また月曜に入院手続きと主治医になる処置室からベッドのまま出てきた祖母の顔をエレベーター前で見ることができた。
衝立で距離をとられた先のベッドに向かって呼びかけたら
顔を向けて、手をあげて少し振ってくれた。
なんかもう、すごいね。苦しかっただろうに、よくその気力がある、と思ってしまう。
施設から付き添ってきてくれていたヘルパーさんから、タクシーを呼ぶ間の時間で日頃の祖母の様子なども聞けて、ありがたかった。
21時頃に病院を出て、最寄駅までタクシー、今度は電車で帰宅。
なんだかせわしくて落ち着かないけど、家に着いてどっと疲れが出た…おなかすいた…
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