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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

「ミッドナイトスワン」

2020-10-05 00:18:15 | 音楽・映画・アニメ
今日、映画館で「ミッドナイトスワン」を観た。


以前から演技力に定評の高い草彅剛がトランスジェンダーの凪沙(なぎさ)という非常に難しい人物の役を演じており、その哀しくて美しい「母性愛」が描かれていた。


凪沙は東京で一人暮らしをしており、郷里広島に住む従妹の早織(水川あさみ)の娘の一果(いちか)を一時的に預かることになる。


母子家庭で娘を育てている早織が娘に対しネグレクトと虐待をしている場面を近所の人に目撃されたことで(児相に)通報され、母子で暮らせなくなったためだったようで、暫くそこにおいてくれ、と凪沙の母からの電話で映画が始まる。


草彅くんはトランスジェンダーの凪沙役




物語のはじめの方では、草彅剛演じる凪沙がトランスジェンダーであることを郷里の母親や親戚の人々は知らないわけだから、親戚とはいえ(作中)もうすぐ40歳になろうという(設定の)男性に、中学生の少女を預けるというのはやや不自然な流れなのではあるが、「凪沙」は女性としその少女の目の前に現れ、少女(一果)はやや不審げな表情で、凪沙のあとに従う。


迷惑そうで冷淡で高圧的な態度をとる凪沙と、無口で表情のない少女一果。


凪沙は一果に向かって「自分は子供が嫌いなのだ」と言いながらも、道端で母親から叱られている小さな少年を愛おしそうにながめている表情などが描写されており、根底には温かい「母性」のようなものがあることが垣間見られる。


一果は母親に虐待を受けていたため、自傷癖があり、他人に無関心、ときに攻撃的ですらある。


広島にいたころから元々バレエを踊ることが好きだった一果は吸いよせられるように、とあるバレエ教室に足を踏み入れ、レッスンに通い始めるようになり、次第に講師の目を引く存在となる。 



バレエ教室の講師片平の役は元宝塚81期生花組の真飛聖(まとぶせい)。彼女は一果の長い手足、しなやかで強靭な身体能力と、美しいバレエポーズやポジション、ダンスと「水を得た魚」のような吸収力の速さに心をうばわれ、他の生徒そっちのけで一果に対する指導に熱がこもっていく。


一果は微かな笑顔や言葉が出るようになり、凪沙にも次第になついていく。バレエ教室に通っている同級生の友人が出来る。


あるとき、凪沙は自分が働いているショークラブ「スイートピー」に一果をたまたま連れて行くことがあり、酒を飲み暴れる客と凪沙たちが争っている場面で、一果がステージの上でバレエを踊り始め、凪沙は彼女が踊る姿の美しさに心を震わせ、この子を守ってやりたい、才能を伸ばしてやりたい、と考えるようになる。


真夜中の公園で「白鳥の踊り」を踊っている二人は「ミッドナイトスワン」


ラストの方の海辺のシーン


この映画のキャッチコピーは「あなたの母になりたかった」。


「母になる」ということ「母である」ということはどういうことなのかがテーマの作品だった。


少女がバレエを踊る姿が大変美しく、この映画のいくつかのクライマックスシーンは彼女がバレエを踊っているシーン。


一果役は新人の服部樹咲(みさき)


争っていた客までもが思わず固唾をのんで見入ってしまうほどの迫力がある「美しさ」


踊っている一果をみつめている凪沙の瞳の中に「美しいもの」への絶対愛と憧憬、「母性愛」という形で自己よりも他者を心から思う気持ちが芽生えた瞬間として表現されていた。


映画のラストに一果は凪沙の着ていたベージュのコートとそっくりなトレンチコート、長い髪、赤い靴で歩いている(一瞬凪沙かと見まごう)後ろ姿が描かれたあとに、国際コンクールの舞台で「白鳥の踊り」を踊るシーンが描かれている。


つまり、一果は凪沙が心底なりたかった、望んでもなれなかった存在そのものだった。彼女の代わりに一果がたった一人で大きな翼を広げて白鳥のように世界という大空に向かって飛び立っていったというラストシーンだった。


トランスジェンダー役を演じた草彅剛の細かいしぐさや表情の変化なども、流石の演技で、本人も「代表作になるかもしれない」「映画で役を演じるときには毎回そう思いながら演じているが」と感想を述べている。



15分の予告映像

参考:




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2 コメント

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こんにちは (kamakuraboy)
2020-10-05 12:25:13
>井頭山人(魯鈍斎)さんコメントをありがとうございます。「性同一性障害」とトランスジェンダーとは厳密には違っており、その違いは、「心と身体の性別を一致させたいと思っているかどうか」ということのようです。 心と体の性別に差があるトランスジェンダーのひとつに、「心と身体の性別を一致させたいと望んでいる「性同一性障害」があるといったところなのだそうで、例えば「マツコ・デラックス」はトランスジェンダーかもしれないが、「性同一性障害」ではない。

この映画の主人公も最終的には母親になるために「性転換手術」を受けるのですが、それは最初から望んでいたことだったわけではないようです。結果は悲惨だったのですが。

英国のロックグループクィーンのボーカリストのフレディ・マーキュリーなどはバイセクシャルですが、ときどき女装してみたり、後半生はマッチョになったり不思議な人物でしたね。

日本では人口におけるLGBTの割合は、「1.6%から8.9%」(100人に1人から13人に1人)といわれているそうですが、国によって割合が様々で、スペインなどでは14%ともいわれているそうです。

「体内ホルモン説」などもありますが、私は不勉強なので、必ずしもそうなのかどうかはわかりません。
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こんにちは (井頭山人(魯鈍斎))
2020-10-05 12:09:48
映画を見る機会が殆ど無いのですが、私の在所は田舎とはいえ、15分も車で行けば、大きなショッピング街にムービックスという映画館があります。シアターが3部屋ほどあり、子供連れの母親、若いカップル、映画好きの老夫婦などが、各好みの出し物を見ているようです。今回の映画は、一種の障害を抱えた中年の男と若い少女のラブ・ストーリーなのですね?
性同一性障害は、昔も今もある割合であったはずですが、あまり問題にもされませんでした。昔は少し変わった人かな?くらいで生活をしていたはずです。ご存じのように遺伝的性は受精の瞬間に決まるが、行動傾向を決める脳の性差は胎児期のアンドロゲンやエストロゲンのホルモンの照射量で決まる。世の中には女のような男から男のような女の人まで、よく観察すれば必ず段階的に見られます。ある程度の理想的な結婚はこの対応がヒントになるのかも知れませんね。日本の過去である江戸時代は如何していたのでしょうね。少なくとも今のような宣伝は無かったはずです。映画のストーリー鑑賞とはまるで異なる話題で済みません。
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