習近平夫妻の招きに応じて娘二人と母を伴い、大統領を残して中国に約1週間プライベートなVIP待遇の旅行を楽しんだミシェル・オバマ(2014年3月)
■ミシェル人気
2008年11月に行われた米国大統領選挙でバラク・オバマ氏が第44代大統領に当選した100日後、米誌NYタイムズとCBS放送が共同で行った世論調査では、ファーストレディ、ミッシェル・オバマの支持率は 84%に達し、オバマ大統領本人の支持率68%を上回る人気だったそうだ。
傾向として、「政策に直接関係ない大統領夫人の支持率は、夫の大統領より高く」、近年の大統領夫人の平均支持率では、ミシェル・オバマ(65%)は、バーバラ・ブッシュ(81%) とローラ・ブッシュ(72%)に続く3番目の人気なのだそうだ。この数字は政策に口を出したヒラリー・クリントン(56%)やナンシー・レーガン(55%)より高かった。
ファーストレディとして大統領に対し「(表向きは)政策に直接の口出し」しなかったとしても、ミシェル・オバマは嘗ては同じ弁護士事務所内で先輩弁護士としてオバマの「メンター」だった人物であり、大統領と直接会っている時間が最も長い人物。
彼女の個人的な好悪の感情や認識、行動、発言などが、大統領に与える影響が全くないはずはなく、大統領自身が判断する外交政策、外交姿勢などに少なからぬ影響を与えて、ひいては米国のその時々の外交姿勢や外交政策によってとその後の世界情勢に間接的な影響を及ばし得ることは否定できないのではないだろうか。
引用:
■選挙活動で「黒人奴隷の子孫を妻に持つ男」と自らが言及
バラク・オバマ氏は米国史上、初めての黒人大統領ではあったけれど、彼は米国白人女性と、非米国人のケニア人の留学生というカップルの間に誕生したハーフであって、「奴隷貿易」でアフリカから米大陸に連れてこられた「黒人奴隷」をルーツをもつ米国黒人社会から生まれた人物というわけではないのだ。
「奴隷の子孫」ではないということで、(しかも大統領選出馬当初はそのおかげで、「オバマは奴隷の子孫じゃない、自分たちの仲間じゃない」という反発さえ、一部のアフリカ系米国人にはあったそうなのだ。
実際に、彼は2000年には、連邦議会下院議員選挙に出馬するも、オバマを「黒人らしくない」と批判した他の黒人候補に敗れている。
だからこそオバマ氏は、民主党予備選を戦っている最中の2008年3月、米国の人種問題について触れた「A More Perfect Union (より完璧な連邦のため)」演説の中で、妻であるミッシェル・オバマの出自をわざわざ引き合いに出して、「I am married to a black American who carries within her the blood of slaves and slave owners(私は、奴隷と奴隷主の血を受け継いでいる黒人のアメリカ人と結婚しています)」と語った。
つまり、オバマ本人ではなく、「アフリカから奴隷として連れてこれた先祖をルーツにもつ黒人」はミシェル夫人がそうであった、ということなのだ。
ミシェル・ロビンソン・オバマは、シカゴの黒人家庭に生まれた、「生粋の」アフリカ系米国人で、父方のロビンソン家は、かつて奴隷制の盛んだった南部アメリカのサウスカロライナ州ジョージタウン出身。
米マスコミが掘り起こしたロビンソン家の歴史によると、ミシェルの直接の最も古い記録に残っている先祖は、1850年にジョージタウンの巨大な米作農園の奴隷として生まれた、曾々祖父のジェームズ・ロビンソンという人物。
ミシェル・オバマの評伝 ”Michelle Obama, An American Story”(David Colbert著)によると、ジェームズ・ロビンソンの息子と結婚した女性はローザ・エレン・コーエンという女性で、ユダヤ系の姓を名乗っているが、このローザという人物はおそらく、ジョージタウンに入植したユダヤ系家族に仕えた奴隷女性と、奴隷主の間に出来た子供の末裔である可能性が高いということらしい。
■「ケープコーストの女王」ミシェル・オバマ
「奴隷海岸」とはアフリカ西部、ギニア湾沿岸のうち、ガーナとトーゴの国境付近からニジェール川に至る海岸の旧植民地時代の通称であり、15~19世紀に奴隷貿易が最も盛んであったことに由来する名称。
ミシェル・オバマ夫人の先祖が、アフリカのどの地域からいつ、アメリカ大陸に運ばれたのか詳細不明であるが、2009年にイタリアのラクイラで開かれたG8首脳会議に出席後、オバマ夫妻は二人の娘達を連れて、アフリカ西海岸のギニア湾に面するガーナを訪れて、ガーナ港町にあるケープコースト城を見学したのだそうだ。
17世紀に築かれたこの城は、嘗てアフリカ―ヨーロッパー米大陸を結ぶ「三角貿易」という黒人奴隷貿易の拠点だった悪名高い場所だった。
オバマ大統領(当時)の家族がこの地を訪れた際、タイムズ紙によると、地元のガーナの人たちはミシェル夫人を「She's one of us (彼女は私たちの仲間です)」と大歓迎し地域の伝統的な族長たちはミシェル夫人を「ケープコーストの女王」と命名。
そうした大歓迎の中、ミシェル・オバマ夫人は心の内で何を思っていたのか、必死で「涙をこらえて(fight back tears)」いたのだそうだ。
このようなルーツをもったミシェル・ロビンソン・オバマ夫人は人権派の弁護士であったのだが、オバマ夫妻が出会ったのは、バラク・オバマがハーバード大学ロー・スクールを修了後、シカゴに戻り「有権者登録活動」に関わった後、弁護士として勤務したシカゴのシドリー・オースティン法律事務所だった。
ミシェル・ロビンソンはプリンストン大学とハーバード・ロー・スクールを卒業後、シドリー・オースティン法律事務所でに勤務していた先輩弁護士で、2人が勤めた法律事務所には黒人がほとんどいない時期で、バラクが夏期学生インターン(Summer Associates)として事務所で働いた際、ミシェル・ロビンソンが彼の「メンター」に割り当てられた。
交際はビジネスランチから始まり、最初のデートではスパイク・リー監督の映画「ドゥ・ザ・ライト・シング(Do the Right Thing)」、1992年に結婚。
こういうカップルであれば、家庭内でのミシェル夫人の発言はオバマ氏にとって、単なる妻の発言であろうはずがなく、嘗て彼の「メンターであった先輩格の人権派弁護士」の発言であり、それなりに尊重されていたのではないだろうか。
■韓国が政府ぐるみで行った「卑日工作」
習近平の操り人形・朴槿恵前韓国大統領(2015年9月、中国戦勝軍事パレードで韓国の首脳が天安門の城楼に上がったのは初めてだったそうだ)
朝日新聞という「中国共産党の意向に沿う記事しか書かない」(朝日新聞社広岡知男社長発言1970年10月21日新聞協会主催研究会)国内主要紙による「日本軍による強制連行」という捏造記事に始まり(のちに朝日は記事を撤回して謝罪)、帰化人弁護士の福島瑞穂らが自称「旧日本軍従軍慰安婦」を韓国で募集して訴訟を起こしたのがはじまりだった。
後に捏造記事だとわかった朝日新聞の記事をそのまま鵜呑みにした謝罪を、「河野談話」という形で当時の日本政府の内閣官房長官によって発表してしまったことがまさに韓国による罠だったわけだが、「河野談話」(1993年8月4日)で勢いを得た韓国政府や挺対協(現:正義連)が、国連人権委員会(「クマラスワミ報告」)まで巻き込んで「日本軍慰安婦は性奴隷だった」などの虚構の卑日キャンペーンを大々的世界中で展開。
世界中に「(日本による人権侵害の象徴)である少女像」なるものを立てに立て始めていたのがその当時の状況だった。2011年に日本大使館前に立てたのを皮切りに世界中に増え続けている「日本による人権侵害の象徴=少女像」(注)。
中国共産党が恐らく企画立案し、韓国が国家ぐるみでやり続けている卑日キャンペーンと国連人権委員会なる組織の「クマラスワミ報告」の中にある「性奴隷」という言葉は「黒人奴隷と奴隷主をルーツに持つケープコーストの女王」である「人権派弁護士」のミシェル夫人にとってどれほど「おぞましいもの」としてイメージされ、効果的であったか。
「性奴隷」という言葉を通して、ミシェル・オバマ夫人が日本に対してどのような感情を抱いていたか、それによってオバマ大統領に及ぼしたであろう影響が決して小さくなかったことは容易に想像できる。
2014年に韓国を訪れたオバマ大統領は朴槿恵大統領(当時)との会談終了後の会見で、いわゆる従軍慰安婦問題について「おぞましい人権侵害と認識されなければならない」という発言をしている。
一方で、オバマ夫妻は朝鮮戦争の際やベトナム戦争の際に、「洋公主(ヤンゴンジュ)」という韓国人米軍慰安婦が多数いたことをご存じなかったのだろうか?
そして、「洋公主」と呼ばれ、「国の輸出品」という扱いを受けた韓国女性達が、日本軍慰安婦ほどに人権について語られることも、韓国政府からの丁寧な謝罪や慰労の言葉をかけられたこともなく、いまだに韓国政府に賠償を求めて裁判を起こしている経緯がいかなるものであるのか、ご存じないのだろうか?
「洋公主」については口を閉ざしてきたのは米国政府も韓国政府と同様であるのだが、彼らがこれらの女性の「人権」という言葉を用いて問題視しないのは、「洋公主」のことを米軍関係者らが、今でも米国本土にも多数いる(国別で最も多くいる)「韓国人遠征売春婦」という認識でしかないからだろう。
日本軍従軍慰安婦と米軍韓国人慰安婦の何がどう違うのか、「人権派」のオバマ夫妻に是非教えていただきたいものだ。
参考:
要するに、米国政府の立場では日本軍慰安婦は「おぞましい人権侵害」で米軍慰安婦は「職業売春婦」であったということらしい。
しかし日本軍慰安婦の強制性は戦後GHQが日本軍慰安婦に聞き取り調査をさんざん行って、結局強制性が否定されていたことを米国公文書館に大量の資料として残っているそうで、だからこそ、「人道に対する罪」という名前で行われた東京裁判では「日本軍慰安婦」関連で裁かれた戦犯などは一人もいなかったのだ。
■日本嫌いのミシェル夫人
かくして、当時「告げ口外交」と称される朴槿恵大統領(当時)に日本はさんざんディスられていたためか、ミシェルオバマ夫人が日本を避けていたことは明らかで、オバマ大統領時代(2009年1月20日~ 2017年1月20日)の8年間で、大統領本人は国賓訪問も含めて、日本に4度訪れている(注)ものの、ファーストレディのミシェル夫人がオバマ氏に同行する形で来日したことはただの一度もなく、夫人が訪日したのは単独で訪れた2015年3月18日~20日の2日間のたった1回のみ。
しかもこの訪日はオバマ氏が大統領就任後6年目にして、ようやくだったそうで、あくまでもファーストレディとしての政治日程にすぎず、途上国の女子の教育機会を増やすために創設される「Let Girls Learn」イニシアチブでの日米協力の推進が目的だった。
このときのプライベートな行事としては、キャロライン・ケネディ駐日大使に伴われて京都の清水寺を訪れ、「清水の舞台」で、京都市立芸術大の学生による能「羽衣」を鑑賞し、外国人に人気の高い伏見稲荷大社を訪れた後、同日午後、次の訪問地カンボジアに向けて出発した、とある。
オバマ大統領が現職の米国大統領として初めて広島の平和記念公園を訪れた2016年5月の伊勢志摩サミットG7の際は理由について言及せずに同行を断り、来日すらしなかったのである。
因みに、2016年の伊勢志摩サミットG7に同行した配偶者はドイツのメルケル首相の夫のヨアヒム・ザウアー氏、ソフィー・グレゴワ=トルドー・カナダ首相夫人、マウゴジャータ・トゥスク・EU大統領夫人など。
引用:
■中国びいきのミシェル夫人
下の写真は習近平夫人の彭 麗媛夫人の招きで、オバマ大統領夫人のミシェルが娘二人や母と共に、2014年3月20日~26日まで1週間のプライベートな目的で中国を訪問をした際の記念写真。
もう1度この写真をみてみよう。
右からオバマ大統領夫妻の長女のマリア(当時15歳)、習近平夫人の彭 麗媛 (ほう れいえん、ポン・リーユアン)、習近平、ミシェル・ロビンソン・オバマ、ミシェルの母マリアン・シールズ・ロビンソン、左端は大統領夫妻の次女のサーシャ(当時13歳)。
つまり、この中国訪問はミシェル夫人にとって大切な家族旅行だった、ということであり、儀礼的な訪問ではないことがわかる。
ミシェル夫人が大統領を伴わずに外国を訪問するのはこのときが3回目だったそうで、1週間という日程で、学生である娘達や母を伴って、同盟国でない中国をプライベートに訪問をするというのは異例中の異例のことだったのではないだろうか。
この訪問でミシェル夫人は娘達や母と共に北京、西安、成都を訪れ、訪問中政治は語らず、教育と中米両国の民間交流に専念し、歴史的、文化的名所を見学することが目的だったそうだ。
70年以上前の「慰安婦問題」は「おぞましい人権侵害」で、現在進行形で続いている中国政府による、チベット人やウイグル人らへのホロコーストと見まごうほどの凄まじい人権弾圧については「おぞましい人権侵害」ではないのかどうかも、オバマ夫妻に是非聞いてみたいものだ。
引用:
■オバマの異父妹マヤはの姻族は華僑ファミリーだった
インドネシア人のロロ・ストロとオバマの母アン・ダナムの間に生まれたバラクの異父妹のマヤ・ストロは2003年に華僑ファミリーのコンラッド・イング(呉加儒)という人物と結婚している。
2003年当時バラク・オバマはイリノイ州議会上院議員を務めており、2003年1月にアメリカ合衆国上院議員選挙に民主党から出馬を正式表明。
マヤの夫の呉加儒という人物は中国系マレーシア人の移民の両親の元で生まれ、現在ハワイ大学の創造的メディアアカデミーの准教授を務め、米国籍を取得した中国系米国人なのだそうだ。
2004年3月に7人が出馬した予備選挙を勝ち抜き、同党の指名候補となりイリノイ州選出の合衆国上院議員に初当選。 アフリカ系上院議員としては史上5人目(選挙で選ばれた上院議員としては史上3人目)当時は現職アフリカ系上院議員はオバマ以外にいなかった。
2007年5月にマヤ・ストロは兄・バラクの大統領選を手助けすると発表し、2008年米国大統領選挙に参加している。
彼女は民主党の大統領候補選挙キャンペーンなどに参加しているが、この異父妹の姻族が華僑であり、オバマ大統領の大統領選挙には中国系米国人、華僑社会からの支持があったといわれている。
■広島訪問はキャロライン・ケネディ駐日大使の強い後押しで実現
オバマ大統領任期の終盤に、伊勢志摩サミット出席後の2016年5月27日、安倍晋三内閣総理大臣とともに、現職のアメリカ合衆国大統領として初めて広島平和記念公園を訪問したのは、親日的な駐日大使であるキャロライン・ケネディ大使の強い勧めがあってのものであった。
日米の歴史についても、世界の歴史についても、ほぼ無知であったと思われるオバマ大統領自身の意思というよりは、ケネディ駐日大使の日本への思いのこもった後押しで実現したものであったことはまちがいない。
中国の王毅外相はオバマ大統領の広島訪問について、「広島は注目に値するが、南京はもっと忘れてはならない。被害者には同情するが、加害者は永遠に責任を回避できない」と会見の席で記者団に述べ、オバマ氏の広島訪問が、第2次世界大戦での日本の戦争責任を相殺するという懸念を表明。
中国政府は前年の2015年に「旧日本軍による南京大虐殺に関する資料」をユネスコの世界記憶遺産に登録しており、実は中国は従軍慰安婦問題の資料も登録申請していたが、見送られたという経緯があったのだ。
このことからもわかるように、「旧日本軍慰安婦問題」での卑日キャンペーンは「朝日新聞」に影響力をもつ中国共産党が黒幕で、王毅外相の言う「加害者は永遠に責任を回避できないという発言は朴槿恵氏の「加害者と被害者という立場は、千年過ぎても変わらない」という演説と同じ文脈 なのだ。
引用:
オバマ大統領の時代に起きた中国による違法な領土拡張
■中国によるスプラトリー諸島の埋め立て人工島の建設
2011年2月末から5回以上にわたり、中国の探査船がフィリピンが主張する領海内において探査活動を繰り返し、5月には無断でブイや杭などを設置したことから、フィリピンのアキノ大統領はこれを領海侵犯とし、6月に国連に提訴したそうで、この頃から中国が南沙諸島の埋め立て工事を始めていたと考えられる。
2015年5月に国際空域(公海の上空)を飛行していたアメリカ軍のP-8ポセイドン対潜哨戒機に対して、中国海軍が強い口調で計8回も退去を命じる交信を行うなど軍事的緊張が高まった
2015年5月に国際空域(公海の上空)を飛行していたアメリカ軍のP-8ポセイドン対潜哨戒機に対して、中国海軍が強い口調で計8回も退去を命じる交信を行うなど軍事的緊張が高まった
中国が軍事拠点化を目的に、南シナ海の南沙諸島を強硬に埋め立ててほぼ完成させたのはオバマ政権の期間中であり、トランプ大統領が就任したときには下の写真のようにほぼ完成していたようなのだ。
2018年ロイターの記事から。
中国が軍事拠点化をすすめたスプラトリー諸島を上空から撮影した写真。計画された小さな街、スポーツ用グラウンド、道路、民間の大きなビルなど建造物400棟。
シンガポールで活動する安全保障専門家のコリン・コー氏は、「バスケットボール・コートのすぐ下に、中国本土で標準的とされる人民解放軍の基地があり、(中国が)何らかの部隊を派遣することで、軍事的なプレゼンスは現状に比べて大きくなっていく一方だろう」と分析して語っている。
スービ礁は、中国が南沙諸島に設けている7つの人工拠点のうち最大のもので、スービ礁、ミスチーフ礁(美済)、ファイアリークロス礁(永暑)の3環礁には、ミサイル発射台、長さ3キロメートルクラスの滑走路、広大な格納庫、人工衛星や外国の軍事活動・通信を追跡できる様々な設備などが配備されているそうだ。
引用:
■ようやく中国の脅威に気づいたのは政権末期
オバマ大統領が中国の脅威に気づいたのは政権末期。ようやく国際仲裁裁判所が2016年7月にフィリピンが申し立てていたスプラトリー諸島(中国名「南沙諸島」)などにおける中国との紛争について、中国の南シナ海における領有権主張が真っ向から否定された頃だった。
それまでの米国の存在感のない外交姿勢がどれほど、中国にとって好都合だったか、2011年頃から埋め立て工事を始めて現在のように完成させてのは、オバマ政権下の米軍が殆ど、中国の行動を黙認していたといってよい状態だったからに他ならない。
さて、現在二隻の米海軍の原子力空母「ニミッツ(USS Nimitz、CVN-68)」と「ロナルド・レーガン(USS Ronald Reagan、CVN-76)」が南シナ海で軍事演習を行って、中国のこの地域での活動を監視している形ではあるものの、米国はこの人工の島(中国軍施設と民間施設混在)を今後どのように扱うのであろうか?
引用:
参考:
オバマ前大統領の肉親
■オバマの母アン・ダナムの人物像
オバマ氏の母アン・ダナム(1942年11月29日~1995年11月7日)はカンザス州という米国のハートランド(保守的地域)で生まれた白人女性。母方の祖母は生粋のチェロキー人(ネイティブアメリカンの部族)だったともいわれている。
アンの一家は1960年にハワイに移住し、彼女はハワイ大マノア校に進学して数学と人類学を学び、ロシア語クラスで知り合ったケニア人のバラク・オバマ・シニアという人物(ハワイ大最初のアフリカ人だったそうだ)と結婚。1961年8月4日、ハワイでバラク・オバマ・ジュニア(後の米国大統領)誕生。
バラク・オバマ・シニアはハワイ大を1962年6月に卒業後、ハーバード大学大学院に進学。1965年に経済学修士を取得している。一方、アン・ダナムは育児のためにハワイ大を休学し、アンとバラク・オバマ2世はシアトルに引っ越し、アンはワシントン大学に進学。64年にハワイに戻り、離婚を申請。
オバマ・シニアは異議申し立ては行わなかった為に、離婚は承諾され、オバマが3歳のときに両親は離婚。父はハーバード大で出会った別の女性と再婚しその女性を伴ってケニアに帰国。
アンは1967年にハワイ大学で知り合ったインドネシア人のロロ・ストロという人物と再婚。67年に一家はジャカルタに引っ越し、70年にオバマ・ジュニアの異父妹となるマヤ・ストロが誕生。
72年にアンはバラクとマヤを連れて両親の住むハワイに帰国。ロロとも離婚申請し、80年に離婚が成立。
彼女は子育ての傍らハワイ大学大学院で学び、米国の農村開発を専門とする人類学者(92年にハワイで人類学の博士号取得)となり、94年に卵巣がん、子宮がんの診断を受け、95年に死亡(52歳だった)
オバマの実父は彼が3歳の時にケニアに帰国しており、両親は離婚。その後母はインドネシア人の男性と再婚し、一家は義父の祖国であるインドネシアのジャカルタに移り住むことになった。
インドネシア人の義父と母との間に妹マヤが誕生し、バラク・オバマは10歳のときにカンザス州からハワイに移住していた母方の白人の祖父母に引き取られ、ハワイに帰還。母が離婚すると、母は妹を連れてハワイの両親の元に戻り、95年に卵巣がんで死亡している。
(注)オバマ大統領の来日
因みにオバマ大統領の来日は大統領任期中4回来日している。
2009年11月13日~14日鳩山由紀夫首相と会談。
2010年11月12日~14日横浜APEC首脳会議、菅直人首相と会談
2014年4月23日~25日国賓訪問、安倍首相と会談
2016年5月25日~27日G7伊勢・志摩サミット、安倍首相と会談、広島平和記念公園訪問
(注)「少女像」
韓国の団体が日本大使館前に設置したのを皮切りに、韓国内に多数設置されている。韓国以外では、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツ、などで、韓国系や中国系住民が多い地域を中心にそれらの団体や勢力が設置しているほか、中国や台湾にも設置されている。特に韓国の日本大使館前や総領事館前の慰安婦像は日韓の外交問題に発展している。2020年には製作者が理事を務める支援組織への慰安婦の不正告発を受けて、像が韓国左派を中心に当人らより尊重される偶像崇拝化していること、韓国でも約2億7000万円以上稼いだ像ビジネスだと指摘されている 。
自らが冷静になって勉強し物事を判断できる能力を持たなかったと思わざるを得ません。残念ながらChinaやChinaの手先のKoreaに取り込まれてしまったのですね。
私の知人で良識派とされる議員は、議員に成り立ての頃は一方の意見に影響されていましたが、年数が経過するにつれて左右両方の意見に耳を傾けるようになりました。様々な意見があることについてミシェル・オバマが頭を切り替えられなかったのは未熟だからだと思います。
キャロライン・ケネディさんは駐日大使に起用される際「日本ほど私が赴任したいと思う国は思いつかない」と赴任に意欲を見せて下さったそうで、元々親日家だったのかもしれませんが、「慰安婦問題」に関してのみ、着任して来られた当初はオバマ大政権と同じスタンスでしたが、しかしご自身で様々な意見を見聞されて理解を深められたためなのか、途中からは、この問題が中国や韓国などに政治利用された問題だということを理解して下さったようでした。知的で上品、茶目っ気や包容力のある、素敵な駐日大使でしたね。
最後に現職のアメリカの大統領の広島訪問が実現したのはキャロラインさんの人道的な配慮や高い見識のおかげだったと思います。
私たちはキャロライン・ケネディさんのような真に理解がある方々を増やす努力をしなければいけませんね。
その意味ではミシェル夫人についても十分に情報提供して、少なくとも強制慰安婦ではなかったことを理解してもらう努力が政治家や外務省に不足していたと言われても仕方ないでしょう。
常に外交はアピール不足に感じますので情報発信の上手な人を据えて欲しいです。
「沈黙は金、雄弁は銀」などといわずに、英語の他様々な言語(ハングル翻訳も含め)で日本の立場や主張を世界に向けていろいろと発信すべきだと思います。