基軸通貨の条件は
①軍事的に指導的立場にあること(戦争によって国家が消滅したり壊滅的打撃を受けない)
②発行国が多様な物産を産出していること(いつでも望む財と交換できること)
③通貨価値が安定していること
④高度に発達した為替市場と金融・資本市場を持つこと
⑤対外取引が容易なことなどが条件とされる。
基軸通貨の変遷は国際情勢の変化と表裏一体であり、1920年代までは英国のポンドが基軸通貨あったことからわかる通り、嘗ての世界史の中心には最初に産業革命に成功した大英帝国があった。
「英国ポンド」は19世紀半ば以降、国際金融センターとしての英国の強力な立場を背景に1920年頃まで基軸通貨としての役割を担っていた。
その時代を特に「パックス・ブリタニカ」と呼ぶらしい。
■「パックス・ブリタニカ」
パクス・ブリタニカ(ラテン語:Pax Britannica )とは、大英帝国の最盛期である19世紀半ばごろから20世紀初頭までの期間を表した言葉とされ、特に「世界の工場」と呼ばれた1850年頃から1870年頃までを指す。
歴史的には1870年代の前後は、英国の植民地の中の白人支配地に自治権が与えられた「自治領(ドミニオン)」が成立しはじめた時代。「パックスブリタニカ」が次第に終焉に向かう始まりであったといえる。
「ドミニオン」は、「本国と対等の地位にある自治コミュニティ」と定義され、英国からの独立が認められた国々を指し、華々しい「独立戦争」で英国と戦って建国した米国とは異なり緩やかな独立を果たした国々。
1867年のカナダにはじまり、以後、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、アイルランドが続き、1887年からはイギリス植民地会議、1907年からは帝国会議、1944年からは英連邦「コモンウェルス」会議をそれぞれ構成。
第1次世界大戦中多大な人的・物的援助で帝国に貢献したドミニオン(オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ) の自治植民地としての地位を、英国本国政府が正式に承認。
1919年のパリ講和会議においてドミニオンが、他の参加諸国とほぼ同等な立場で討議に加わった結果、これらの国々は国際連盟の創立メンバーとして認められた。
これらの歴史を基軸通貨の変遷としてみてみると、第一次世界大戦で欧州各国は経済が疲弊し、逆に米国は戦争特需で経済が急成長したため、(正式ではないが)基軸通貨がこの頃から機能面で英ポンドから米ドルへ移っていった。
■ドミニオン諸国の連合体「英連邦」
英国国内では1925年には、植民地省から分かれて「ドミニオン省」が設立され、1926年の帝国会議で「バルフォア宣言」が採択。
「バルフォア宣言」をもとに、1931年に「ウェストミンスター憲章」が制定され、英国君主に忠誠を誓うドミニオン諸国の連合体である「英連邦」British Commonwealth of Nationsが正式に成立。オーストラリアによる憲章採択は1942年。
以後、ドミニオンの地位を付与された旧植民地は、英連邦の加盟国となり、例えば、1948年のセイロン=現スリランカなども一員とされる。
1921年の大英帝国。
■第二次世界大戦後
上の1921年当時の地図から、アフリカの植民地であったエジプトやスーダン、トランスヴァール・オレンジ・ローデシア(現在のザンビア、ジンバブエ)・ケニア・ナイジェリア・ゴールドコースト(後のガーナ) ウガンダ、タンザニアなどの他に、英国委任統治領パレスチナ(現在のイスラエル及びパレスチナ)などが次々に独立建国。
現在の英国君主であるエリザベス女王の1952年の即位当時英連邦に加盟する独立国家は7か国で、エリザベス女王の即位はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(英国)、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、パキスタン、セイロンの女王(国王)としての戴冠だった。
連合王国女王のレルム(realm: 君主の支配する共同体または領土)に属する国家及び領土は1956年から1992年までに独立あるいは共和制に移行して変遷。
女王即位当時(1952年)
■「ドミニオン」から「コモンウェルス」に名称変更
1949年にインド(1947年にドミニオンとなっていた)が共和制に移行した時、同国を連邦内に留めておくため、英国君主への忠誠という要件が取り外され、英連邦は「コモンウェルス(Commonwealth of Nations)」と名称を変えた。
「コモンウェルス」(注)は英国君主を長としメンバー諸国の脱退も認められた緩やかな国家連合体を意味するもので、1949年にはアイルランドが、そして、1961年には南アフリカが離脱。
「ブレトン・ウッズ協定」=基軸通貨の転換点
第二次世界大戦後半の1944年7月、米国のニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され、1945年に発効した国際金融機構についての協定。第二次世界大戦後は、米国がIMF体制の下で各国中央銀行に対して米ドルの金兌換を約束し、、米国の経済力を背景に米ドルが名実共に基軸通貨となった。
■パックスブリタニカの終焉
第二次大戦後は世界の様々な紛争に単独で介入する力がなくなった英国に代わり、「共産主義」への対抗、世界の紛争に介入する(事実上の世界の盟主であると)と宣言したのが「トルーマンドクトリン」。
「トルーマン・ドクトリン」まで
■「共産主義」への警戒感を呼び起こした世界史の事件として「ロシア革命」などが顕著な例に挙げられている。
ロシア革命で英国のビクトリア女王の血を引く「ロマノフ王朝」の最後の皇帝ニコライ2世一家が銃殺され、共産党政権国家「ソヴィエト連邦」が登場したことは、世界中に「共産主義」への警戒感を呼び起こした。
第二次世界大戦でソ連との共闘を計った連合国では、共産党アレルギーは一時期沈静化していものの大戦終結と共に反共意識が再燃。
■第二次大戦後の「反共産主義」の再燃
第二次大戦後にギリシャで起こった内戦(1946年~1949年)に介入した英国も英領インド(のちのインドやパキスタン・バングラデシュなど)を手放すなどで斜陽化が進み、その負担の重さからこれ以上介入を続けられなくなった。
「トルーマン・ドクトリン」が宣言された歴史的な意味は、「パックスブリタニカ」の終焉により、世界情勢の中の「反共産主義」のリーダーとして英米が交代したことを表していた。
それまで国際情勢に積極的に介入してきた英国に代わり、米国が「モンロー宣言」以来の孤立主義と訣別し、南北米大陸以外の諸地域、特に伝統的には距離を置いてきたヨーロッパにも積極的に介入を進めていくという点で大きな転換点となった。
■トルーマン・ドクトリン (Truman Doctrine)
米国が「武装少数派、あるいは外圧によって試みられた征服に抵抗している、自由な民族」を支援するとした、当時の米国大統領ハリー・S・トルーマンによる共産主義封じ込め政策。
議会への特別教書演説で1947年3月12日に宣言を行っており、その内容はギリシャ内戦(1946年~1949年)を始めとする共産主義に抵抗する政府の支援を目指したもの。
当時のトルーマン大統領は、「もしギリシャとトルコが必要とする援助を受けなければヨーロッパの各地で共産主義のドミノ現象が起こるだろう」と主張し、1947年5月22日法律に署名し、トルコとギリシャへの軍事と経済援助で4億ドルを支援。
■「トルーマン・ドクトリン」後の世界
①第二次世界大戦で連合国の盟主を務めた米国が世界の紛争に介入するという「パックス・アメリカーナ」の到来
②東側諸国にとっては「パックス・ソヴィエティカ」、東西冷戦の始まり。
■当時の米国内の反応
当時米国国内の保守派の受け止め方は様々で、伝統主義者はトルーマン・ドクトリンを海外への非介入主義を破るものとして冷ややかに見ていたとされる一方で、より積極的な反共主義者の中にはトルーマン・ドクトリンを共産圏を封じ込めるだけで過度に追い詰めないものとして批判し、ソ連に対する先制攻撃(予防的戦争)を主張する者すらあった、など。
■東西冷戦の終わり、ユーロの登場
「東西冷戦の期間は1947年から1991年と定義されている。
1989年の「ベルリンの壁崩壊」後の東西ドイツの統一、1991年12月のソ連の崩壊によって東西冷戦が終わり、「共産主義」の優位性は否定された。(ソ連ルーブルが基軸通貨だったことはないし、ソ連の通貨が何だったのかすら知らない人が多いのではないだろうか)
「英ポンド」に代わって基軸通貨となった「米ドル」は第二次世界大戦後の世界において絶対的な地位であった。
ソ連の崩壊から3年後の2002年に新通貨「ユーロ」が登場し、欧州連合27か国のうち19か国で公式に導入さされ、欧州単一通貨・ユーロが将来的に米ドルと並ぶ基軸通貨に成長するとの見方があったが、2009年現在で対外取引の80%以上が米ドルでユーロは10%だった。
BIS(国際決済銀行)は、3年毎に為替市場における通貨別取引高をまとめており、2016年4月現在で月間1日あたりの取引高のデータを見ると、上位3通貨が圧倒的なシェア(7割)を持っているものの、米ドルの割合は嘗ての8割から激減していることもわかる。
米ドル43.8%、
ユーロ15.6%、
日本円10.8%
上位3つの基軸通貨(ハードカレンシー)がおよそ7割で、英ポンド6.4%、豪ドル3.5%、スイスフラン2.6%、カナダドル2.4%と続き、世界第2位の経済大国である中国元はそれ以下。
これは一見「世界のパワーバランスと基軸通貨の乖離」であるが、この現象は最初に挙げた基軸通貨の条件①~⑤を「中国」が満たしていないということを表しているのだ。
■現在
英連邦「コモンウェルス」には「反共産主義」同盟という共通の価値観があり、(情報通信こそが軍事の要であるわけで)軍事的にには米国をリーダーとする「5アイズ(Five Eyes)」(注)=UKUSA協定(英:United Kingdom – United States of America Agreement)として現在受け継がれている。
Five Eyes(FVEY)
1990年代に冷戦が終わると、国家間の戦争より麻薬やテロ、密入国、ロシアの犯罪組織などが問題になった。
2000年頃には武器拡散を防ぐために、英国 - 政府通信本部(GCHQ)が傍受したイランと中国の対艦ミサイルの取引を妨害するNSAの作戦が行なわれた。
現在の米中対立の構図は、中国と、これらの5アイズの国々との対立の構図である。
「日米安保条約」という安全保障の観点や、現実の問題として尖閣諸島や沖縄を中国に狙われている我々日本との対立の可能性も浮上している。
「5アイズ」と中国との軍事衝突の可能性やそのとき日本がとるべき道を、今こそあらゆる角度で検討し、対策していくべき時期ではないだろうか。
国と国民の生命と財産を守り、「日本円」が「基軸通貨」(★)であり続けるために。
補足:
日本には国軍がないから①の条件に合致せず、日本円は「国際基軸通貨」とは言えないというご指摘がありましたが、①の条件の要は「国家が消滅したり壊滅的打撃を受けない」の方ですから、むしろ戦争による被害よりも、南海トラフ地震や直下型の関東大震災、富士山の爆発になどよって首都圏が壊滅的な被害を受けるリスクを背負っていることの方を心配すべきかと思います。
(★)円が国際基軸通貨であるかどうかは現状、ドルに次ぐ地位の主要通貨であるというのが正しいですが、「為替レートの変動で円高によって各国の円建てによる円借款の債務が上昇しており(日本はアジアにおける最大の直接投資国であり)弱いドルより強い円の方が、長期的に見てアジア諸国の利益にかなうというのが、おおむね円圏論者の主張である」(中西論文)というご意見がありますが、如何でしょうか。
引用:
(注)Five Eyes
大英帝国の植民地を発祥とするアングロサクソン諸国の機関がUKUSA協定の締結者で即ち、Five Eyesとも呼ばれる。
米国 - 米国国家安全保障局(NSA)
英国 - 政府通信本部(GCHQ)
カナダ - カナダ通信保安局(英語版)(CSEC)
オーストラリア - 参謀本部国防信号局(英語版)(DSD)
ニュージーランド - 政府通信保安局(GCSB)
英国 - 政府通信本部(GCHQ)
カナダ - カナダ通信保安局(英語版)(CSEC)
オーストラリア - 参謀本部国防信号局(英語版)(DSD)
ニュージーランド - 政府通信保安局(GCSB)
5つの機関が締結しているUKUSA協定は、米国の国家安全保障局(NSA)や英国政府通信本部(GCHQ)など5カ国の諜報機関が世界中に張り巡らせたシギントの設備や盗聴情報を、相互利用・共同利用する為に結んだ協定のこととされる。
嘗ては秘密協定だったが、現在は条文の一部が公開されたおり、UKUSA協定グループのコンピューターネットワークがエシュロン。
(注)コモンウェルス
非加盟も可能で、1947年に、ビルマ、現ミャンマーが英連邦への加盟を拒否しており、1950年代以降独立を果たした旧植民地のなかでも特に中近東諸国にこのような例が多く見られた。
1989年のパキスタン、72年のバングラディシュ独立の際の離脱、1994年の南アフリカの再加盟、あるいは、95年の旧ポルトガル植民地モザンビークの加盟にみられるように、コモンウェルスは、流動的な組織としての性格を維持し続けている。
今日の主な活動としては、コモンウェルス首脳会議CHOGM(1969年からは2年毎に開催)や、コモンウェルス・ゲイムズ(★★)など。
2018年時点(現在まで存続している)前述の4か国(英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)に加え、ジャマイカ、バルバドス、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ベリーズ、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネイビスの合計16か国の君主を兼ねているのが英国国王。
その他、クック諸島など上記の国と自由連合制をとる国や、その他の国・地域の中にも女王を元首としているところが存在し、また英連邦においては統合の象徴である「コモンウェルス」の長と規定。
(★★)コモンウェルスゲームズ(Commonwealth Games)
1930年にEmpire Gamesの名称で第1回大会が開かれた。英連邦に属する国や地域が参加して4年ごとに開催される総合競技大会。オリンピック競技のほか、英連邦諸国で比較的盛んなローンボウルズ、7人制ラグビー、ネットボールなども行われる。主催はコモンウェルスゲームズ連盟。
(注)エシュロン
ほとんどの情報を電子情報の形で入手しており、その多くが敵や仮想敵の放つ電波の傍受によって行われている。1分間に300万の通信を傍受できる史上最強の盗聴機関といわれている。電波には軍事無線、固定電話、携帯電話、ファクシミリ、電子メール、データ通信などが含まれており、同盟国にある米国軍電波通信基地や大使館・領事館、偵察衛星、電子偵察機、電子情報収集艦、潜水艦を使って敵性国家や敵性団体から漏れる電波を傍受したり、時には直接通信線を盗聴することで多量の情報を収集していると言われている。
現代においては、データ通信の大部分は、光ファイバーを利用した有線通信によって行われており、傍受することは極めて困難であるが、(例えば、20世紀末までは海底ケーブルの中継器に傍受装置を取り付けることで光ファイバでも盗聴が可能であった)1997年以降からは電気アンプから光学的に増幅するアンプに変わったために不可能になったと思われた。
ところが2013年には、エドワード・スノーデンの告発により、PRISMで有線データ通信さえも盗聴されていることが明らかになり、電気通信事業者の協力を得てデータ収集を行っている可能性も指摘。
電子フロンティア財団は、NSAがサンフランシスコのSBCコミュニケーションズ(現AT&T)施設 (Room 641A) に傍受装置を設置してインターネット基幹網から大量のデータを収集・分析していたとし、米国政連邦府およびAT&Tに対し訴訟をおこしている(米連邦法はNSAやCIAが国内で盗聴はもちろんのこと、一切の諜報活動を為すことを禁じているが、これは活動即ち、政府が主権者たる国民を敵視している事を意味するからとされる)。
情報収集活動には、米国のみならずエシュロンに加盟している各国もアンテナ施設の設置を認めるなど、様々な形で協力していると言われている。
引用:
今後は紙幣から仮想通貨の時代に主体が変わって行くと思います。このとき大切なのが価格変動がなく安全であることです。そこで基軸通貨の条件をクリアするためにChinaでは価格変動がないステーブルコインとしてデジタル人民元を出すとされます。これが普及すれば中国共産党にお金の流れまで監視される恐れがありますしドルの優位性がなくなって通貨の基軸が大きく変わってしまいます。これに対抗して米国ではfacebookが「リブラ」を出す予定とされます。
ところが世界で初めて国家が認めたステーブルコイン「xcoin」が既に日本から生まれており、私もとりあえずアプリを導入しました。手数料無料で世界の通貨と4秒で交換できます。金との交換も可能です。Chinaにやられる前にxcoinが普及してしまえば、人民元はxcoinが握ることになります。「xcoin人民元」であればChinaによる監視を逃れられます。
玄孫の竹田恒泰のおもしろい取組です。
来年には「xcoin円」が登場する予定なのでそうしたら即利用しようと思います。
日本は世界最大の債権国だということ、米国債の保有額も日本が最大だということは有名ですね。
それから日本の学生が共産主義に傾倒していた時代は昔のことで、現在はむしろ若い人の方が右です。何故なら昔と違って情報媒体が紙ベースでも、会話ベースでもないからです。「麻疹にかかるように」左傾化していたのはネット社会以前の時代のようです。一定水準以上の知識階層にいる若い人は左傾化する過程を経ることはなくなりました。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56826/1/ece001_124.pdf
但し「電子マネー」と「仮想通貨」の違いとして、前者は「企業や交通機関によって発行され現金をそのままデジタル化するので実質、日銀が発行する法的通貨(円)を使っているのに対し、後者はマイニング(複雑な計算を行いデータの追記作業を行うこと)をすることで新規発行される仕組みのもの。
電子マネーは日本円を使っているので、価格の変動は日本円に依存するのに対し、「仮想通貨」は円に依存しないので1日の価格変動が大きく上下する可能性があり、そこが問題。しかし今後伸びる可能性があるというのが現在の展望のようですね。