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日報問題=シビリアンコントロールの危機の根底にある当時の小泉内閣の無責任さ

2019-03-11 21:18:12 | 時事
2018/4/12(木) 午後 10:15

文民統制・シビリアンコントロールとは、「民主主義国家における軍事に対する政治優先または軍事力に対する民主主義的統制をいう。すなわち、主権者である国民が、選挙により選出された国民の代表を通じ、軍事に対して、最終的判断・決定権を持つ、という国家安全保障政策における民主主義の原則」とある。

「日報問題」はシビリアンコントロールの危機でもあるが、2003年12月~2006年までイラクサマーワに派遣されたPKOの派遣部隊の自衛隊の日報に関する今回の問題の原点は、一言でいえば、派遣決定当時の小泉内閣の根本的な無責任さにある。


アメリカが始めたイラク戦争の尻拭いのような格好で、そもそも派遣の大儀も是非も問われぬまま、初めて海外の「戦争地帯」に派遣された自衛官達が、そこでどのような思いを心の奥に抱え、事実上の箝口令が敷かれていたことで、帰国後も言いたい言葉を家族にすら言えずに胸にしまって耐えてきたかということを、自国が民主主義国家であると思っている国民の代表とやらは「日報を見せろ」という前に少しは想像してみるべきだと思う。

派遣のための特別法を作っていざ派遣したものの、政府の説明と現実とが解離していたことによって日報自体が表に出しにくい問題を抱えていたのだ。

「イラク人道復興支援」などとオブラートに包んだところで、彼らが赴いた場所は紛れもなく砲弾が連日頭上に飛んでくるような復興以前の紛争地帯だったのだ。「国境なき医師団」その他へのアメリカの誤爆も現実的な問題(リスク)で、世界がいかに無秩序で冷酷であるかを目の当たりにして自衛官らはうつ状態になっていった者も少なくなかったようだ。

爆撃弾から身を守るための装備もせず、宿営地は最初はテントだったそうだが、あまりにも危険なので、荷物を運んできたコンテナの上に土嚢を積んでそこで寝起きするような有り様だったそうだ。

国民向けの派遣イメージと、現実に経験した生命の危険な任務とのギャップを、親しい周囲の人や家族にすら話せないことで精神を病み「アメリカから誤爆される」といって自殺した医官はじめ、10数人以上の自衛官がうつ病になって自殺したそうだ。

世界の現実に目を背けて、政治は、自衛隊の「法的整合性を図る」という最低限の政治責任をいつまで果たさないのだ。国家のリーダーである総理大臣の責務とは、現実の国際社会の中での正確な政治判断を国民に向かって説得する(理解させる)ことに他ならない。

急場凌ぎの「イラク復興特別措置法」を「先に結論(=自衛隊の派遣)ありき」といったメディアコントロールの手法で、前年の2003年7月23日に成立させ、実際上の危険性を伴う活動内容や装備の準備もそこそこで派遣するという国民と自衛官らをも騙すに等しいことをやってきたのが当時の小泉内閣だったのだ。

派遣が日本の国際的な立場上、どうしても必要だと政治判断したのなら、それを国民に堂々と説明した上で、その是非を国民に問うのがシビリアンコントロールの原則であったはずだ。

派遣ありきで進んで行き、2003年末先遣隊を送り込んだあとで、2004年2月から陸自派遣部隊第一陣がサマーワ入りした後、メディアは当時国民の強い関心を受け、現地の自衛隊員らの様子を取材しようとするがそこを政府は敢えてブロックし続けた。

稲田前防衛省大臣に向けて言ったのは、「あなたにお見せできる日報はありません」というのが根底にある意味なのだ。稲田大臣のみの責任ではないと思うのだが、このような対応は実際に、防衛省内の制服組の憤怒のような感情的な要素も多分にあったのではないだろうか、と思うのだ。

「小泉劇場」内閣は、選挙(2004年7月、第20回参議院選挙)前であったこともあり、内閣にとって難しいハードルである「(実際は)戦争状態といっていいような場所に自衛官らを派遣すること」の、憲法9条という法的整合性の問題に触れることを避け、実際の任務地が、爆撃弾が連日降ってくるような場所なのに、そこをあえて見て見ぬふりで、防衛庁(当時)に丸投げの格好の派遣だったそうだ。

派遣後は防衛庁の石破長官などは、2004年2 月 5 日参院イラク復興特別委員会で、イラクでの自衛隊活動の情報公開について「被害がこれだけということは、今起きている事態はこれだけということになるので出せない」と述べ、部隊が攻撃を受けても被害情報は公表しない方針を明らかにし、自衛隊が携行する武器の種類や数についても「隊員の安全にかかわる」などの理由から公表しない考えを示したとされている。要するに公表出来る内容ではなかったということ。


ブッシュ大統領が始めた大儀なきイラク空爆の尻拭いでしかないものに派遣の是非を問わずに、あるいは本当に必要な前提条件を置き去りのまま、特別予算も組まず日本の自衛官の戦争状態の地域への派遣を決め、部隊の任命責任者である総理大臣(当時の)でありながら、小泉純一郎首相は日報はおろか、実際の活動地域の自衛官らの様子にほとんど無関心であったからこそ、このような杜撰な、なし崩し的なやり方で派遣出来たのだ。アメリカの依頼なら憲法も無視するというやり方であるならば、日本の民主主義と「法的秩序」に基づくシビリアンコントロールを、むしろ放棄したと言わざるをえないではないか。

小泉進次郎は自分の親の責任まで背負う必要はないが、馬鹿じゃなければ、今回のことの根本的な因果関係ぐらいは理解して、少しは口を慎まれよ。

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