2018/11/23(金) 午前 11:52
The Beatlesは、彼らの音楽そのものは以前に比べ聴かれる機会が減ったとはいえ、1960年代から1970年代初頭にかけ活動し、当時ワールドワイドな人気を誇った英国リバプール出身のロックバンドでした。日本での来日公演は66年6月30日~7月2日武道館で昼夜5回のコンサートが開かれ5万人の観客動員だったそうで、武道館初のロック・コンサートと言われている。但し、当時のライブコンサートのクオリティは今からは考えられないものだったようで、マイクトラブルなど数々のエピソードがあるようです。音楽活動開始は60年の8月のハンブルクでのコンサートからで、レコードデビューは62年10月の「ラブ・ミー・ドゥ」、解散は70年。解散後は4人のメンバーはそれぞれソロ活動となる。
Michelle 1965年リリース The Beatles レノン=マッカトニー作
https://youtu.be/GbsfZe8s56M
リーダーのジョン・レノン(1940~1980)は、リバプール・カレッジオブアートで知り合ったシンシア(1939年~2015年)と62年に結婚し、二人の間の息子(ジュリアン・レノン)がいたものの、当時自身にも配偶者と子もいた日本人女性のオノヨーコ(小野洋子1933~)と66年にロンドンのヨーコの個展で出会った後、次第に恋愛関係となったとされています。(この出会いは実は偶然ではなかったとの説もあるようですが)、ジョンは68年にシンシアと離婚。ヨーコを嫌った他のメンバーとジョンとの間に亀裂が生じ、それが70年のバンド解散の要因になったといわれています。このことで当時、ビートルズのファンからオノヨーコは憎まれたようです。
最近ポール・マッカトニー(1942年~)が、米ローリングストーン誌のインタビューで当時のことを以下のように語っているそうです。
ポール・マッカートニーが米ローリングストーン誌のインタビューで語った内容:
「僕の大きな気づきは、ジョンがこの女性を愛してるなら、それは正しいのだということ。僕たちはいかなる抵抗も、克服しなければならないと気づいたんだ。最初は少し難しかったけど、次第に、僕たちは克服した。ヨーコが大好きだ。彼女は皆が知ってる通り、”ヨーコ”だからね」と告白。
ビートルズの解散はオノさんのせいであるとするファンも今だに多いが、マッカートニーは前回の同誌インタビューで、そのことを否定した。
しかし、今回のインタビューでは、当時、レノンさんとオノさんの関係が深まる中で、オノさんがバンド内に引き起こした問題もあることを認めた。
「僕たちはちょっとした脅威を感じた。レコーディングの間、彼女はアンプの上に座っていたからね。ほとんどのバンドはそういうことに対応できないだろう。僕たちは対応したけど、皆の絆が固かったので、すごくうまくはできなかった。僕たちは性差別者じゃないけど、女の子たちがスタジオに来ることはなかった。だけど、ヨーコはコントロール室なんかじゃなく、僕たち4人の真ん中にいたんだからね」と、当時を振り返った。
ポールとリンゴ・スター(1940~)が解散前にジョンとシンシア夫妻の息子で5才のジュリアンを励ますために作った曲が「ヘイ・ジュード」(68年リリース)だといわれています。シンシアやジュリアンに対する同情があったからこそ、この曲がうまれたことを考えれば、ヨーコへの反発心は現在ポールが語るような生易しいものではなかったのではないかと。
ジョンは解散後米国に移り住み、ヨーコの影響で反戦メッセージの発信や平和活動(世界中の首脳にドングリを送るなども)に没頭し、75年から80年まで活動休止。80年に活動再開の矢先にNYの自宅「ダコタ・ハウス」近くでファンと称する人物によって射殺されて死亡。命日は真珠湾攻撃と同じ12月8日。
ロンドン五輪の開会式にも登場したポールはもとより、リンゴもソロミュージシャンとして活動中のようです。他のメンバーの内、ジョージ・ハリスン(1941~2001)は既に他界。
昔、私が持っていた彼らの代表曲の一つ「Yesterday」のEP盤のレコードのB面にたまたま収録されていたのが「Michelle」という曲だったのですが、英語に仏語混じりでポールが歌っているこの曲なども歌詞がすごくストレートで技巧がなく、その飾り気のないシンプルさがBeatlesのよさなのかもしれませんね。
コメント
ビートルズはわたしの子ども時代に世界を風靡したグループサウンズですね。
日本でもビートルズに触発されてスパイダーズ、ブルージーンズ、ブルーコメッツ、ザ・サベージ、ワイルドワンズ、テンプターズなどが次々と生まれたり、活躍し、それまでの1人の歌手が歌を歌う形から複数のメンバーが楽器を奏でながら歌を歌っていく形に、そして歌のテンポも早くなっていったように思います。
わたしもイエローサブマリンなどをよく聴きました。
多分、まだお生まれになっていないかも知れないkamakuraboyさんがビートルズのファンだなんって驚きですね。
2018/11/23(金) 午後 7:27 [ weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼) ]
> weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼)さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。ビートルズは解散したあとですが、「アビイ・ロード」などのアルバムを同級生の間で貸し借りするなど、ちょっとしたブームがありました。「Yesterday」は厳密にいえば、いとこが持っていたEP盤で、私は借り放しで持っていたという感じでした。
2018/11/23(金) 午後 7:42 kamakuraboy
こんばんは
全く個人的な話で恐縮ですが、うちにホームステイしていた女性の名がMichelleで、このビートルズの歌には思い出深いものがあります。
彼女とは、いまでも時々連絡をとりあっていて、先日、彼女の誕生日のコメントを送ったところです。
彼女が来日したばかりの時、和ませるつもりでフランス語の入ったMichelleを歌いました。ほかにフランス語が入った歌は知らなかったのです。
歌い終わったときに、真剣なまなざしでこの歌の意味を知っているの?と尋ねられてフランス語のゼミも受けていた私はもちろんと伝えましたが、ちょっとドギマギしてしまいました。それはそうですね。
私のかわいいミッシェルに愛していると伝える歌ですから。
そんなほろ酸っぱい思い出とともに久しぶりにMichelleを楽しみましたよ。
2018/11/24(土) 午前 1:42 泉城
> 石田泉城さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。奇遇ですね。Michelleという名前は大天使ミカエルから来ている名前だそうで、男性の名前であるマイケルの女性名前だそうですね。オバマ前米国大統領の夫人の名前もMichelleさんでした。
この曲は昔からBeatlesナンバーの中で特に好きな曲で、何故かふと久しぶりに聴いてみたくなったので探し、ついでにここに貼っておきました。曲を貼ったついでにBeatlesの解散に纏わる話題を書いてみた、という次第です。
2018/11/24(土) 午前 1:55 kamakuraboy
ビートルズの Let It Be を聞いた時に、こんなメロディーが有るんだ!と感じた事と
先月に目にした米国の医学界発表された「左利き右利きの生存率の差」が気に成ってた矢先に、ここのタイトルを拝見しサテ ビートルズのメンバーはとググってみたら2対2だった。
レノンは他殺40歳 ハリスンは病死(肺癌・脳腫瘍)で58歳。
他のお二人は元気な様子。元気なお二人は右利きと記載されてた。
統計では右利きは左利きよりも10年長生きするとの書かれていた。
世の中では右利きが多いから生活様式も道具もほぼ右利き用に作られ幼少時からのストレスが影響してて家庭で学校での強制的な指導を受けて戸もドアーもハサミ本の見開き運動用具ほぼ全体が右利き用です。
我が家は3対1 僕だけ左利きギッチョです。
2018/11/24(土) 午後 10:55 jinsen99
> jinsen99さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。左利きは人類の約10%だそうです。調べてみると、「人間の進化の過程で、競争のみの社会であったならば右利きと左利きは半々になった可能性がある。だが、協調圧力が存在する人間社会では、左利きの人間は右利き用の道具を使わねばならくなった。人間が生み出してきた道具の多くは右利きが基準となっていたからで、その結果、道具を使用する際の危険性は右利きの人間よりも高くなり、左利きが減らざるを得ない環境になっていった」のだとか。この説はTED-EDでダニエル・M・エイブラムス氏が語っているものだそうです。因みにエリザベス女王やオバマ前大頭領は左利きだそうです。
日本だと右に直す場合も多いようですが、JINSENさんは左利きということは、ご両親のお考えがおおらかだった、ということでもあるのかと。芸術家に多いとも言われているようです。
2018/11/25(日) 午前 0:20 kamakuraboy
書道家や油彩にデザイン関係強い母方と違い全く芸術家に縁遠い父方の血を強く継いでる僕は疎外感を持ち続けたギッチョです。
動物界では左利きが多いそうです。
兄嫁さんの父親はパン画描きだったそうです。
その娘は武蔵美卒ですが・・・
ゴルフは右打ち スキーでは利き足が違いチョットだけ不利 ボウリングはボウルもシューズもギッチョ用
排球のサーブだけは有利でした。
2018/11/25(日) 午前 11:56 jinsen99
> jinsen99さん
こんにちは。コメントをありがとうございます。周囲に芸術関係の方々がけっこうおられるのですね。一方JINSENさんご自身は体育会系のような印象で、スキーやボーリングの他に、バレーボールなどもやっておられたということでしょうか。スポーツを若い頃に沢山なさっておられたのが今の健康に役立っているようにお見受けします。
左利きだと、世の中が右利き用にできている(トランプカードですらそうだと知りました)ので、不満を感じたりもなさいますか?でも、だから、多くの左利きの人々はそれを克服してちょっと余計に頭をつかっていらっしゃるのかもしれませんね。
2018/11/25(日) 午後 2:11 kamakuraboy
頭蓋骨は人より厚く丈夫に萎縮した脳は皺無し想起機能僅少の僕が出来るのは嫁さんに、気を使う事は巧く成りましたと自画自讃。
工場に入って製品検品時に持つ裁ち鋏、これはギッチョには辛い!右利き用を逆に持つと左手親指付け根に食い込み赤くへこみ痺れ難儀でした。
スポーツは練習さえすれば正選手には成れ実業団でも少しプレイしましたが自分では運動オンチと思ってます。
高校生の時、副校長が目を掛けて呉れ甥っ子さんを家庭教師にして呉れ内定迄取って呉れました。
後々、聞いた話ではIQ数値が光ってたそうです。
多分、騙されたんでしょう。
2018/11/25(日) 午後 6:10 jinsen99
> jinsen99さん
こんばんは。当時、左利き用の裁ちばさみに出会っていたら、もっとお仕事のとき快適だったのでしょうね。今では左利き用のものを扱う通販サイトとしてAmazonや楽天などが取り扱っているようですよ。
一つあとの記事の中コメント欄にも書いておりますが、「IQ140以上の子供が右利きよりも左利きの方が多い」そうで、左利きの方々は脳の使い方が右利きとは異なるようです。面白いテーマですね。
「嫁さんに気を使う事は巧く成りましたと自画自讃」とのことですが、お互いにい労わり合って一緒に楽しめることを増やしていくのが夫婦円満の秘訣のようですね。
2018/11/25(日) 午後 8:41 kamakuraboy
当時もギッチョ用の裁ち鋏が有りましたが余りにも高価で我慢した経験が今に活きてるような・・・
有り難う御座いました。
2018/11/26(月) 午前 0:08 jinsen99
> 桑の実さん
おはようございます。いつもご訪問ありがとうございます。
こちらこそ、来年も宜しくお願い致します。
どうか良いお年をお迎え下さい。
2018/12/31(月) 午前 9:42 kamakuraboy
The Beatlesは、彼らの音楽そのものは以前に比べ聴かれる機会が減ったとはいえ、1960年代から1970年代初頭にかけ活動し、当時ワールドワイドな人気を誇った英国リバプール出身のロックバンドでした。日本での来日公演は66年6月30日~7月2日武道館で昼夜5回のコンサートが開かれ5万人の観客動員だったそうで、武道館初のロック・コンサートと言われている。但し、当時のライブコンサートのクオリティは今からは考えられないものだったようで、マイクトラブルなど数々のエピソードがあるようです。音楽活動開始は60年の8月のハンブルクでのコンサートからで、レコードデビューは62年10月の「ラブ・ミー・ドゥ」、解散は70年。解散後は4人のメンバーはそれぞれソロ活動となる。
Michelle 1965年リリース The Beatles レノン=マッカトニー作
https://youtu.be/GbsfZe8s56M
リーダーのジョン・レノン(1940~1980)は、リバプール・カレッジオブアートで知り合ったシンシア(1939年~2015年)と62年に結婚し、二人の間の息子(ジュリアン・レノン)がいたものの、当時自身にも配偶者と子もいた日本人女性のオノヨーコ(小野洋子1933~)と66年にロンドンのヨーコの個展で出会った後、次第に恋愛関係となったとされています。(この出会いは実は偶然ではなかったとの説もあるようですが)、ジョンは68年にシンシアと離婚。ヨーコを嫌った他のメンバーとジョンとの間に亀裂が生じ、それが70年のバンド解散の要因になったといわれています。このことで当時、ビートルズのファンからオノヨーコは憎まれたようです。
最近ポール・マッカトニー(1942年~)が、米ローリングストーン誌のインタビューで当時のことを以下のように語っているそうです。
ポール・マッカートニーが米ローリングストーン誌のインタビューで語った内容:
「僕の大きな気づきは、ジョンがこの女性を愛してるなら、それは正しいのだということ。僕たちはいかなる抵抗も、克服しなければならないと気づいたんだ。最初は少し難しかったけど、次第に、僕たちは克服した。ヨーコが大好きだ。彼女は皆が知ってる通り、”ヨーコ”だからね」と告白。
ビートルズの解散はオノさんのせいであるとするファンも今だに多いが、マッカートニーは前回の同誌インタビューで、そのことを否定した。
しかし、今回のインタビューでは、当時、レノンさんとオノさんの関係が深まる中で、オノさんがバンド内に引き起こした問題もあることを認めた。
「僕たちはちょっとした脅威を感じた。レコーディングの間、彼女はアンプの上に座っていたからね。ほとんどのバンドはそういうことに対応できないだろう。僕たちは対応したけど、皆の絆が固かったので、すごくうまくはできなかった。僕たちは性差別者じゃないけど、女の子たちがスタジオに来ることはなかった。だけど、ヨーコはコントロール室なんかじゃなく、僕たち4人の真ん中にいたんだからね」と、当時を振り返った。
ポールとリンゴ・スター(1940~)が解散前にジョンとシンシア夫妻の息子で5才のジュリアンを励ますために作った曲が「ヘイ・ジュード」(68年リリース)だといわれています。シンシアやジュリアンに対する同情があったからこそ、この曲がうまれたことを考えれば、ヨーコへの反発心は現在ポールが語るような生易しいものではなかったのではないかと。
ジョンは解散後米国に移り住み、ヨーコの影響で反戦メッセージの発信や平和活動(世界中の首脳にドングリを送るなども)に没頭し、75年から80年まで活動休止。80年に活動再開の矢先にNYの自宅「ダコタ・ハウス」近くでファンと称する人物によって射殺されて死亡。命日は真珠湾攻撃と同じ12月8日。
ロンドン五輪の開会式にも登場したポールはもとより、リンゴもソロミュージシャンとして活動中のようです。他のメンバーの内、ジョージ・ハリスン(1941~2001)は既に他界。
昔、私が持っていた彼らの代表曲の一つ「Yesterday」のEP盤のレコードのB面にたまたま収録されていたのが「Michelle」という曲だったのですが、英語に仏語混じりでポールが歌っているこの曲なども歌詞がすごくストレートで技巧がなく、その飾り気のないシンプルさがBeatlesのよさなのかもしれませんね。
コメント
ビートルズはわたしの子ども時代に世界を風靡したグループサウンズですね。
日本でもビートルズに触発されてスパイダーズ、ブルージーンズ、ブルーコメッツ、ザ・サベージ、ワイルドワンズ、テンプターズなどが次々と生まれたり、活躍し、それまでの1人の歌手が歌を歌う形から複数のメンバーが楽器を奏でながら歌を歌っていく形に、そして歌のテンポも早くなっていったように思います。
わたしもイエローサブマリンなどをよく聴きました。
多分、まだお生まれになっていないかも知れないkamakuraboyさんがビートルズのファンだなんって驚きですね。
2018/11/23(金) 午後 7:27 [ weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼) ]
> weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼)さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。ビートルズは解散したあとですが、「アビイ・ロード」などのアルバムを同級生の間で貸し借りするなど、ちょっとしたブームがありました。「Yesterday」は厳密にいえば、いとこが持っていたEP盤で、私は借り放しで持っていたという感じでした。
2018/11/23(金) 午後 7:42 kamakuraboy
こんばんは
全く個人的な話で恐縮ですが、うちにホームステイしていた女性の名がMichelleで、このビートルズの歌には思い出深いものがあります。
彼女とは、いまでも時々連絡をとりあっていて、先日、彼女の誕生日のコメントを送ったところです。
彼女が来日したばかりの時、和ませるつもりでフランス語の入ったMichelleを歌いました。ほかにフランス語が入った歌は知らなかったのです。
歌い終わったときに、真剣なまなざしでこの歌の意味を知っているの?と尋ねられてフランス語のゼミも受けていた私はもちろんと伝えましたが、ちょっとドギマギしてしまいました。それはそうですね。
私のかわいいミッシェルに愛していると伝える歌ですから。
そんなほろ酸っぱい思い出とともに久しぶりにMichelleを楽しみましたよ。
2018/11/24(土) 午前 1:42 泉城
> 石田泉城さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。奇遇ですね。Michelleという名前は大天使ミカエルから来ている名前だそうで、男性の名前であるマイケルの女性名前だそうですね。オバマ前米国大統領の夫人の名前もMichelleさんでした。
この曲は昔からBeatlesナンバーの中で特に好きな曲で、何故かふと久しぶりに聴いてみたくなったので探し、ついでにここに貼っておきました。曲を貼ったついでにBeatlesの解散に纏わる話題を書いてみた、という次第です。
2018/11/24(土) 午前 1:55 kamakuraboy
ビートルズの Let It Be を聞いた時に、こんなメロディーが有るんだ!と感じた事と
先月に目にした米国の医学界発表された「左利き右利きの生存率の差」が気に成ってた矢先に、ここのタイトルを拝見しサテ ビートルズのメンバーはとググってみたら2対2だった。
レノンは他殺40歳 ハリスンは病死(肺癌・脳腫瘍)で58歳。
他のお二人は元気な様子。元気なお二人は右利きと記載されてた。
統計では右利きは左利きよりも10年長生きするとの書かれていた。
世の中では右利きが多いから生活様式も道具もほぼ右利き用に作られ幼少時からのストレスが影響してて家庭で学校での強制的な指導を受けて戸もドアーもハサミ本の見開き運動用具ほぼ全体が右利き用です。
我が家は3対1 僕だけ左利きギッチョです。
2018/11/24(土) 午後 10:55 jinsen99
> jinsen99さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。左利きは人類の約10%だそうです。調べてみると、「人間の進化の過程で、競争のみの社会であったならば右利きと左利きは半々になった可能性がある。だが、協調圧力が存在する人間社会では、左利きの人間は右利き用の道具を使わねばならくなった。人間が生み出してきた道具の多くは右利きが基準となっていたからで、その結果、道具を使用する際の危険性は右利きの人間よりも高くなり、左利きが減らざるを得ない環境になっていった」のだとか。この説はTED-EDでダニエル・M・エイブラムス氏が語っているものだそうです。因みにエリザベス女王やオバマ前大頭領は左利きだそうです。
日本だと右に直す場合も多いようですが、JINSENさんは左利きということは、ご両親のお考えがおおらかだった、ということでもあるのかと。芸術家に多いとも言われているようです。
2018/11/25(日) 午前 0:20 kamakuraboy
書道家や油彩にデザイン関係強い母方と違い全く芸術家に縁遠い父方の血を強く継いでる僕は疎外感を持ち続けたギッチョです。
動物界では左利きが多いそうです。
兄嫁さんの父親はパン画描きだったそうです。
その娘は武蔵美卒ですが・・・
ゴルフは右打ち スキーでは利き足が違いチョットだけ不利 ボウリングはボウルもシューズもギッチョ用
排球のサーブだけは有利でした。
2018/11/25(日) 午前 11:56 jinsen99
> jinsen99さん
こんにちは。コメントをありがとうございます。周囲に芸術関係の方々がけっこうおられるのですね。一方JINSENさんご自身は体育会系のような印象で、スキーやボーリングの他に、バレーボールなどもやっておられたということでしょうか。スポーツを若い頃に沢山なさっておられたのが今の健康に役立っているようにお見受けします。
左利きだと、世の中が右利き用にできている(トランプカードですらそうだと知りました)ので、不満を感じたりもなさいますか?でも、だから、多くの左利きの人々はそれを克服してちょっと余計に頭をつかっていらっしゃるのかもしれませんね。
2018/11/25(日) 午後 2:11 kamakuraboy
頭蓋骨は人より厚く丈夫に萎縮した脳は皺無し想起機能僅少の僕が出来るのは嫁さんに、気を使う事は巧く成りましたと自画自讃。
工場に入って製品検品時に持つ裁ち鋏、これはギッチョには辛い!右利き用を逆に持つと左手親指付け根に食い込み赤くへこみ痺れ難儀でした。
スポーツは練習さえすれば正選手には成れ実業団でも少しプレイしましたが自分では運動オンチと思ってます。
高校生の時、副校長が目を掛けて呉れ甥っ子さんを家庭教師にして呉れ内定迄取って呉れました。
後々、聞いた話ではIQ数値が光ってたそうです。
多分、騙されたんでしょう。
2018/11/25(日) 午後 6:10 jinsen99
> jinsen99さん
こんばんは。当時、左利き用の裁ちばさみに出会っていたら、もっとお仕事のとき快適だったのでしょうね。今では左利き用のものを扱う通販サイトとしてAmazonや楽天などが取り扱っているようですよ。
一つあとの記事の中コメント欄にも書いておりますが、「IQ140以上の子供が右利きよりも左利きの方が多い」そうで、左利きの方々は脳の使い方が右利きとは異なるようです。面白いテーマですね。
「嫁さんに気を使う事は巧く成りましたと自画自讃」とのことですが、お互いにい労わり合って一緒に楽しめることを増やしていくのが夫婦円満の秘訣のようですね。
2018/11/25(日) 午後 8:41 kamakuraboy
当時もギッチョ用の裁ち鋏が有りましたが余りにも高価で我慢した経験が今に活きてるような・・・
有り難う御座いました。
2018/11/26(月) 午前 0:08 jinsen99
> 桑の実さん
おはようございます。いつもご訪問ありがとうございます。
こちらこそ、来年も宜しくお願い致します。
どうか良いお年をお迎え下さい。
2018/12/31(月) 午前 9:42 kamakuraboy