人は誰でも、誰にもいわない言葉をもってる。
沈黙も、言葉なんです。
沈黙に対する想像力が身についたら、本当の意味で立派な大人になるきっかけをちゃんと持ってるといっていい。
【ひとり】
沈黙をすると その間が保てないと思ったり
沈黙をされると 何か言わなければ、、という変な気遣いをしようとすることがある。
でも、それって不要かも知れない。
何かの言葉を出し合うから双方で、その言葉から気持ちをキャッチしたり、慮ることもある。
でも、言葉って思うことの深さから言えば、まだまだ浅いと思う。
繊細、微細な域まで表現しようとする特有の日本語でさえも、まだ浅いと思う。
無言であれ、本来は 言葉で探らずとも 把握できたはずなのに
それが出来なくなってしまったから、言葉が必要にならざるを得なかったように思う。
昔、無口な傾向の子と仲良くなった。
言葉が極端に少ないのだ。
緊張しているからと、ほぐしてあげようと必死になるが、言葉が少ない。
「うん。そう。」
「そうかなあ、、」とか。
質問した事に対して「〜だよ。」で終わってしまう。
その子と 駅までの帰り道
やっぱり無言
でも、その無言はその子にとっては 普通のことであって、無言自体がその子の会話だったと、かなり後になってから気づいた。
メールだと、世間話でもしっかりとした言葉を書いてくるのだから、
言葉が その子の中にないわけではなかった。
その子の言葉として、無言を受け入れた。
そして私達は次第に、仲良しになった。
無言こそ、その中にはとうてい言葉に表現しきれない言葉もある。