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世界報道写真50周年記念展

2006年08月11日 21時36分09秒 | 写真


     「世界報道写真50周年記念展 絶望と希望の半世紀」 東京都写真美術館


 父親と二人の男の子。
 三人は、しかし、今は仲のよい親子でもなくなんでもなく、もの、だ。
 3つの死体。
 別の場所でカメラマンは震えている老人に出会う。老人はもう歩くことができない。
 カメラマンが記した文章はこうだ。「わたしが彼のもとを立ち去った直後、銃声が2発とどろいた」
 
 20世紀は戦争の時代であると同時に、映像の時代でもあった。人々が殺し合うところ様をカメラが見つめている。その映像は戦争へと人を鼓舞するときもあったし、戦争の残酷さを訴えることによって反戦へと導くこともあった。
 およそ政治も戦争も、映像抜きに考えることはできない時代である。
 だからこそ政治による写真のねつ造も多い。中国政府の発表する写真の多くは修正が加えられているし、大物政治家の失脚後は過去の写真が書き換えられる場合もある。北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんの写真ねつ造もそうだ。
 映像の時代の民主主義とは、こうした政府のねつ造を許さないことにも気配りが必要だろうし、また、映像をねつ造するような政府を非民主的だと警戒することも必要だろう。
 アゴラで全会一致で議論していた時代とは違う時代の民主主義なのだ。

 この50年の報道写真を見ることは、すなわちその時代時代の顔を見ることであり、時代の狂気を見ることでもある。それが懐かしくもあり、新鮮でもある。不思議な感覚。そして悲しさ。
 ときには、アヴェドンの写真に象とクリスチャン・ディオールのミスマッチを見たり、ラリー・バローズの土に埋まりかけた戦友にふらふらと近づく黒人兵に戦争のむなしさを見たり、森山大道の写した街にエリック・ドルフィーの響きを感じたり………。50年という歳月を駆け抜けていく気がする。

 冒頭の父子の死体や老人を撮影したカメラマンはロン・ヘイバーリーだ。
 場所はヴィエトナム、ソンミ村。
 アメリカ軍のヘリコプター部隊が襲来し、ウイリアム・カリ-中尉の指揮の下、無防備、無抵抗の村人を強姦、殺人、さらに家に火を放つなどした。犠牲者は504人。その中には子ども173人が含まれている。事件後村は焼き尽くされ、ブルドーザーで押しつぶされて、証拠隠滅が図られた。
 事件から1年後ある帰還兵の告発で事件が発覚、ロン・ヘイバーリーも証拠としてこれらの写真を提出した。あまりの惨状のために、発表しても、誰も事実とは思わないだろうと思われていた。しかし、現実にアメリカ軍が起こした事件だったのだ。
 この写真がアメリカのヴィエトナム戦争反対運動にもたらした影響は大きい。一般のアメリカ人にもヴィエトナムで自分たちの国がどんなことをしているか目の前に突きつけられたからだ。
 報道写真の一つの結果である。
 結局事件に関わった多くの人間はアメリカの法廷によって無罪とされ、カリー中尉だけが終身刑にとわれた。その後刑期は20年に短縮、さらに10年に再短縮。そしてニクソン大統領による特赦で釈放。504人の命を奪い、蹂躙した事件の指揮官は3年半の服役ののち、現在は宝石店のオーナーとして暮らしている。
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