今日が最終日の「ピクサー展」を見に、六本木ヒルズに行ってきました。南北線の麻布十番で降りて、商店街をぶらぶら歩いていると、「犬リフレ」。
え?
どうよ、それ?
いくらなんでも、やりすぎなんじゃないか、と。
ぼくが撫でるとうちのチャーリーくんは気持ちよさそうに目を細めてすぐに寝てしまう。
飼い主がやればいいんじゃないか、自分の犬なんだし。
ま、看板はかわいいからいいんだけれども。
小金井市にある江戸東京たてもの園に行ってきました。
「千と千尋の神隠し」の参考にもなったと言われる街並みが楽しいところ。
ギリギリとは言いながら昭和30年代生まれのぼくには、どことなく懐かしい雰囲気でもありました。
「世界報道写真50周年記念展 絶望と希望の半世紀」 東京都写真美術館
父親と二人の男の子。
三人は、しかし、今は仲のよい親子でもなくなんでもなく、もの、だ。
3つの死体。
別の場所でカメラマンは震えている老人に出会う。老人はもう歩くことができない。
カメラマンが記した文章はこうだ。「わたしが彼のもとを立ち去った直後、銃声が2発とどろいた」
20世紀は戦争の時代であると同時に、映像の時代でもあった。人々が殺し合うところ様をカメラが見つめている。その映像は戦争へと人を鼓舞するときもあったし、戦争の残酷さを訴えることによって反戦へと導くこともあった。
およそ政治も戦争も、映像抜きに考えることはできない時代である。
だからこそ政治による写真のねつ造も多い。中国政府の発表する写真の多くは修正が加えられているし、大物政治家の失脚後は過去の写真が書き換えられる場合もある。北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんの写真ねつ造もそうだ。
映像の時代の民主主義とは、こうした政府のねつ造を許さないことにも気配りが必要だろうし、また、映像をねつ造するような政府を非民主的だと警戒することも必要だろう。
アゴラで全会一致で議論していた時代とは違う時代の民主主義なのだ。
この50年の報道写真を見ることは、すなわちその時代時代の顔を見ることであり、時代の狂気を見ることでもある。それが懐かしくもあり、新鮮でもある。不思議な感覚。そして悲しさ。
ときには、アヴェドンの写真に象とクリスチャン・ディオールのミスマッチを見たり、ラリー・バローズの土に埋まりかけた戦友にふらふらと近づく黒人兵に戦争のむなしさを見たり、森山大道の写した街にエリック・ドルフィーの響きを感じたり………。50年という歳月を駆け抜けていく気がする。
冒頭の父子の死体や老人を撮影したカメラマンはロン・ヘイバーリーだ。
場所はヴィエトナム、ソンミ村。
アメリカ軍のヘリコプター部隊が襲来し、ウイリアム・カリ-中尉の指揮の下、無防備、無抵抗の村人を強姦、殺人、さらに家に火を放つなどした。犠牲者は504人。その中には子ども173人が含まれている。事件後村は焼き尽くされ、ブルドーザーで押しつぶされて、証拠隠滅が図られた。
事件から1年後ある帰還兵の告発で事件が発覚、ロン・ヘイバーリーも証拠としてこれらの写真を提出した。あまりの惨状のために、発表しても、誰も事実とは思わないだろうと思われていた。しかし、現実にアメリカ軍が起こした事件だったのだ。
この写真がアメリカのヴィエトナム戦争反対運動にもたらした影響は大きい。一般のアメリカ人にもヴィエトナムで自分たちの国がどんなことをしているか目の前に突きつけられたからだ。
報道写真の一つの結果である。
結局事件に関わった多くの人間はアメリカの法廷によって無罪とされ、カリー中尉だけが終身刑にとわれた。その後刑期は20年に短縮、さらに10年に再短縮。そしてニクソン大統領による特赦で釈放。504人の命を奪い、蹂躙した事件の指揮官は3年半の服役ののち、現在は宝石店のオーナーとして暮らしている。
夏真っ盛り。
容赦ない陽ざしはわずかな隙も見逃さず、うなじや手の甲などをチリチリ灼けさせる。
暑い。あまりにも暑い。
しかし、その前に立った瞬間、中から冷房より涼しい風が吹き、思わず身震いさせられる。汗が冷え、体が凍る。ここは高崎観音からしばらく下ったところにある洞窟観音。この洞窟に40体以上の観音像が安置されているのだ。
ここで注目すべきは、ただ洞窟があったから観音像を置いているのではないということだ。ここには洞窟などなかった。
作ったのだ。
作ったのは、山田徳蔵。高崎観音の井上保三郎同様、実業家である。
しかし、高崎観音が大規模工事によって着工してから2年で完成したのに対し、こちらは着工して50年、山田徳蔵自らがつるはしをふるって400mの洞窟の完成させて亡くなった、なんというか執念迫るもの。
入り口の建築様式からして、何かこの世ならぬものを感じる。
この前に立って、その長い年月の執念といい、異様な感じのつくりといい、さらに手作りという点でもシュヴァルの理想宮を思い起こした。
フランスの郵便配達夫シュヴァルは1879年配達中に一つの石に躓く(これは比喩としての「躓く」ではなく、実際に物理的に躓いたのだ)。その石を手に取り、不思議な美しさに見せられた彼は、急に石工になることを決意、郵便配達夫を続けながら自分の手で一つ一つ石を組み上げ、上の写真のような宮殿を40年以上に渡って作り続けたのだ。
さて、洞窟観音の中に入ってみよう。手で作られたとは思えないほど、中は広い。通路にあたる部分の両脇にさまざまな観音像が安置されているが、圧巻はホール状になっている終盤の部分。
浅間山の溶岩を配したそこは観音が舞う浄土であった。
よく見えないかもしれないけれど、中央にある白く長いものは滝を模したものだろう。
滝があり、その下には渓流が流れている案配だ。
そして渓流の最下部には亀。
滝から渓流、その上部に観音像と一つの世界を形作っている。
すごい、と思いつつも、怖い。
ぼくを存在論的に恐怖させるのは、水と洞窟なので、実は洞窟だの、鍾乳洞(最悪は鍾乳洞などの中にある地底湖。ああ、怖い)などはものすごく苦手なのだ。苦手で体が震えるように怖いのに、なぜか水と洞窟に引き寄せられてしまう。アンビヴァレントなものほど力を持っているものである。
自分で考えれば、水も洞窟も再生に関わるからだと思う。再生に関わるということは「死」に関わるからであり、その「死」はエリアーデの言う、「宇宙的な死」に関わるからだ。
だから、この洞窟にもこんな文章が飾られていた。
ここは黄泉の国
母なる大地の中なり
「こころ」病み
疲れ果てたる人々よ
時には「胎児」のように
只ひたすら瞑想し
母なる大地の
鳴動を聴け
諸悪の根源を
不動の剣で断ち祓い
「生き返るのだ 蘇るのだ」
「生まれ変わるのだ」
マーラーの復活の第5楽章っぽいが、洞窟において死と再生は表裏一体なのだ。
一つの山に対照的な実業家が二人いて、対照的な観音を二つ作った。彼らは亡くなったが、観音像は時を越えて存在している。
容赦ない陽ざしはわずかな隙も見逃さず、うなじや手の甲などをチリチリ灼けさせる。
暑い。あまりにも暑い。
しかし、その前に立った瞬間、中から冷房より涼しい風が吹き、思わず身震いさせられる。汗が冷え、体が凍る。ここは高崎観音からしばらく下ったところにある洞窟観音。この洞窟に40体以上の観音像が安置されているのだ。
ここで注目すべきは、ただ洞窟があったから観音像を置いているのではないということだ。ここには洞窟などなかった。
作ったのだ。
作ったのは、山田徳蔵。高崎観音の井上保三郎同様、実業家である。
しかし、高崎観音が大規模工事によって着工してから2年で完成したのに対し、こちらは着工して50年、山田徳蔵自らがつるはしをふるって400mの洞窟の完成させて亡くなった、なんというか執念迫るもの。
入り口の建築様式からして、何かこの世ならぬものを感じる。
この前に立って、その長い年月の執念といい、異様な感じのつくりといい、さらに手作りという点でもシュヴァルの理想宮を思い起こした。
フランスの郵便配達夫シュヴァルは1879年配達中に一つの石に躓く(これは比喩としての「躓く」ではなく、実際に物理的に躓いたのだ)。その石を手に取り、不思議な美しさに見せられた彼は、急に石工になることを決意、郵便配達夫を続けながら自分の手で一つ一つ石を組み上げ、上の写真のような宮殿を40年以上に渡って作り続けたのだ。
さて、洞窟観音の中に入ってみよう。手で作られたとは思えないほど、中は広い。通路にあたる部分の両脇にさまざまな観音像が安置されているが、圧巻はホール状になっている終盤の部分。
浅間山の溶岩を配したそこは観音が舞う浄土であった。
よく見えないかもしれないけれど、中央にある白く長いものは滝を模したものだろう。
滝があり、その下には渓流が流れている案配だ。
そして渓流の最下部には亀。
滝から渓流、その上部に観音像と一つの世界を形作っている。
すごい、と思いつつも、怖い。
ぼくを存在論的に恐怖させるのは、水と洞窟なので、実は洞窟だの、鍾乳洞(最悪は鍾乳洞などの中にある地底湖。ああ、怖い)などはものすごく苦手なのだ。苦手で体が震えるように怖いのに、なぜか水と洞窟に引き寄せられてしまう。アンビヴァレントなものほど力を持っているものである。
自分で考えれば、水も洞窟も再生に関わるからだと思う。再生に関わるということは「死」に関わるからであり、その「死」はエリアーデの言う、「宇宙的な死」に関わるからだ。
だから、この洞窟にもこんな文章が飾られていた。
ここは黄泉の国
母なる大地の中なり
「こころ」病み
疲れ果てたる人々よ
時には「胎児」のように
只ひたすら瞑想し
母なる大地の
鳴動を聴け
諸悪の根源を
不動の剣で断ち祓い
「生き返るのだ 蘇るのだ」
「生まれ変わるのだ」
マーラーの復活の第5楽章っぽいが、洞窟において死と再生は表裏一体なのだ。
一つの山に対照的な実業家が二人いて、対照的な観音を二つ作った。彼らは亡くなったが、観音像は時を越えて存在している。
子どもの頃、父親の運転する車でよく長野へスキーに出かけた。当時は関越自動車道もなく、首都高だって高島平まで。渋滞する下の道を延々と走り続けると、山頂に白くて巨大な観音が見えてくる。子供心にそれは異様に大きく不思議であると同時に、ちょうど行程の半分あたりに立っているので、毎回いい目印になった。渋滞の中でそれが見えると、ああ、ようやく半分まで来たとホッとしたものだ。
そんな高崎観音に会いに行こう。
池袋から8時過ぎの湘南新宿ラインに乗り、一路高崎に。この便は高崎直通、1時間半。あらかじめビールとつまみを用意して、グリーン車に。グリーンって言っても普通列車のグリーンはそんなに高くない。950円の贅沢。
高崎からは市内循環バス「ぐるりん」に。山手線と同じでぐるっと回っているので、反対回りに乗ると所要時間がものすごくかかるので要注意である。
倍以上の所要時間をかけて、高崎観音到着(そう、ちゃんと、反対回りに乗っちゃったのだ)。
う~ん、去年もまったく同じ時期にでかい仏を見に行ったような気がする(牛久大仏編)。
この観音像、新たに塗られているからさほど古くは見えないが、実は昭和11年建造。御年70歳、古来マレである。建設当時は世界最大の観音像であったらしい(現在はあれか、去年見に行ったヤツか)。
今となっては、ほかにも大きな仏像は多いが、それでもやはり大きい。しかも標高190mの地の利がある。牛久は平地に120mの大仏だが、こちらは190mの山頂に約42mの観音像。合計すると232m、子どもの頃のランドマーク健在である。
周囲の観光の目玉にと、実業家井上保三郎によって建てられた故か、周囲には遊園地や土産物屋、染料植物園などがちゃんとある。いや、ちゃんとはない。これはまた後述。山を降りかかると右手に吊り橋があり、これを渡ると染料植物園に出られる。
なかなか立派であり、また橋の両端もちゃんと整備されていて休憩できるスペースもある。当日はかなりの陽ざし。東屋の日陰がごちそうでした。
で、遊園地「カッパピア」。
写真が小さいのでわかりづらいかもしれないけれど、廃墟と化している。
確かに観音像が観光の目玉としてにぎわった時期もあるだろうし、客も呼べたかもしれない。毎日新聞の「観光地百選」に選ばれたこともある(今から60年近く昔だけれど)。そんな観音像と遊園地、ダブル集客作戦が成功したのは、どう考えてもぼくが子どもの頃までだと思う。観音にはまだ信仰客があるだろうが、遊園地はどうにもならなくなったのだろう。廃墟のまま放置してあるということは、別に何か新しいものを作るために閉園ということではないのだから。
こうして高崎観音への旅は終わった。しかし、高崎の観音への旅はもう一つあったのだ。次回はもう一つの観音へ。
そんな高崎観音に会いに行こう。
池袋から8時過ぎの湘南新宿ラインに乗り、一路高崎に。この便は高崎直通、1時間半。あらかじめビールとつまみを用意して、グリーン車に。グリーンって言っても普通列車のグリーンはそんなに高くない。950円の贅沢。
高崎からは市内循環バス「ぐるりん」に。山手線と同じでぐるっと回っているので、反対回りに乗ると所要時間がものすごくかかるので要注意である。
倍以上の所要時間をかけて、高崎観音到着(そう、ちゃんと、反対回りに乗っちゃったのだ)。
う~ん、去年もまったく同じ時期にでかい仏を見に行ったような気がする(牛久大仏編)。
この観音像、新たに塗られているからさほど古くは見えないが、実は昭和11年建造。御年70歳、古来マレである。建設当時は世界最大の観音像であったらしい(現在はあれか、去年見に行ったヤツか)。
今となっては、ほかにも大きな仏像は多いが、それでもやはり大きい。しかも標高190mの地の利がある。牛久は平地に120mの大仏だが、こちらは190mの山頂に約42mの観音像。合計すると232m、子どもの頃のランドマーク健在である。
周囲の観光の目玉にと、実業家井上保三郎によって建てられた故か、周囲には遊園地や土産物屋、染料植物園などがちゃんとある。いや、ちゃんとはない。これはまた後述。山を降りかかると右手に吊り橋があり、これを渡ると染料植物園に出られる。
なかなか立派であり、また橋の両端もちゃんと整備されていて休憩できるスペースもある。当日はかなりの陽ざし。東屋の日陰がごちそうでした。
で、遊園地「カッパピア」。
写真が小さいのでわかりづらいかもしれないけれど、廃墟と化している。
確かに観音像が観光の目玉としてにぎわった時期もあるだろうし、客も呼べたかもしれない。毎日新聞の「観光地百選」に選ばれたこともある(今から60年近く昔だけれど)。そんな観音像と遊園地、ダブル集客作戦が成功したのは、どう考えてもぼくが子どもの頃までだと思う。観音にはまだ信仰客があるだろうが、遊園地はどうにもならなくなったのだろう。廃墟のまま放置してあるということは、別に何か新しいものを作るために閉園ということではないのだから。
こうして高崎観音への旅は終わった。しかし、高崎の観音への旅はもう一つあったのだ。次回はもう一つの観音へ。
今年も夏がやってきました。
昨日は横浜で4時間(屋外で!)テニスをやって、南方風な顔色になってます。光化学スモッグなどもお出ましで、最後はふらふらでした。
そんな楽しい夏、いよいよ本番ですね。
板橋の花火大会に行ってきました。
人出は多いのですが、花火を見るのに十分な場所がらくらく確保できるのでラクに見物できます。
ルーヴル美術館展
東京芸術大学美術館 ~8/20
見ていて強く感じることは、ギリシア彫刻において美=正であることだ。ライオンの大きな表現、首から胴体にかけての太さとその細工の細かさは、ライオンを写実的に表そうとするよりも、理念として正しいライオンを造形しようとする意思を感じる。
ライオンだけでなく、女性にしても、男性にしても、正しい女性の姿、正しい男性の姿を神や偉人の姿を借りて表現している。そしてここでの正しさとは、美しさと同義である。
美しさは文化に属する事柄なので、同じギリシア彫刻においても、時代によってその美は変遷する。
この展覧会の大きな特徴は、クラシカルなヴィーナス(アルルのヴィーナス)の展示と並行して、ミロのヴィーナスのハイヴィジョンCG映像を見ることができる点にある。それによって、ぼくたちは造形的にクラシカルなヴィーナスとヘレニスティックなヴィーナス、二つのヴィーナス(=女性としての美)を比べることができるのだ。
たぶん、現代の目からすれば柔らかな感じのミロのヴィーナスの方を美しいと感じる人が多いかもしれないが、足の形など多少固い感じのアルルのヴィーナスもそのクラシカルなたたずまいとあいまって、実に美しいものだった。
にしても、ミロのヴィーナスは大きい。身長204cm、バスト121cm、ウエスト97cm、ヒップ129cm。なんかの選手になれそうだ(なんの?)。