松井今朝子著「仲蔵狂乱」 講談社文庫
圓生の語り口が好きだった。志ん生の芸は表現の過剰さにあるが、圓生の芸はその語り口にあると思う。上手めえなあ、とつくづく感心する。とくに感心するのは、やはり音曲ものと芝居噺だろう(「掛け取り漫才」など上手すぎ)。
その圓生で聴いて感銘を受けたのが「中村仲蔵」と「淀五郎」。
中村仲蔵は実在の歌舞伎役者。稲荷町(セリフもない端役)から出世して名題に昇進した異例の人物。
詳しい内容は一風斎さんのこちらの「仲蔵狂乱」をご参照下さい。
一風斎さんがおっしゃる通り、確かに後ろ25%程が付け足しな感じ。もっと田沼意次の用人との関係を密にして、田沼邸での踊りをラストにしたら、より感銘深かったかもしれない。だが、それを差し引いても大変面白かった。
なわけで、自転車に乗って仲蔵散歩に。

上野谷中にある中村仲蔵のお墓。斜め向かいに川上音二郎の墓もある。仲蔵の横にある中村家の墓の墓碑を見ると、昭和37年にどなたかが入ってらっしゃる。仲蔵の子孫はちゃんと中村家として残ってらっしゃるのだと感心した。

仲蔵が定九郎のこしらえにお知恵をとお百度した柳島の妙見さま。都の防災計画にひっかかり移転を迫られた際、一発大逆転のマンション建設で移転を免れた。そのため、1階が妙見社で、2階から上がマンションというちょっと変わった構えとなっている。このあたりで妙見さんと言えば、ここと本所の妙見さんが有名だけれど、仲蔵が詣ったと言われているのはこちら。
このあたりの地名は業平。そう、在原業平に由来している。
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人は在りやなしやと
都鳥はユリカモメのことではないかと推定されている。この隅田川のあたりにはたしかにユリカモメが多い。散歩のついでにユリカモメを見に桜橋へ。
圓生の語り口が好きだった。志ん生の芸は表現の過剰さにあるが、圓生の芸はその語り口にあると思う。上手めえなあ、とつくづく感心する。とくに感心するのは、やはり音曲ものと芝居噺だろう(「掛け取り漫才」など上手すぎ)。
その圓生で聴いて感銘を受けたのが「中村仲蔵」と「淀五郎」。
中村仲蔵は実在の歌舞伎役者。稲荷町(セリフもない端役)から出世して名題に昇進した異例の人物。
詳しい内容は一風斎さんのこちらの「仲蔵狂乱」をご参照下さい。
一風斎さんがおっしゃる通り、確かに後ろ25%程が付け足しな感じ。もっと田沼意次の用人との関係を密にして、田沼邸での踊りをラストにしたら、より感銘深かったかもしれない。だが、それを差し引いても大変面白かった。
なわけで、自転車に乗って仲蔵散歩に。

上野谷中にある中村仲蔵のお墓。斜め向かいに川上音二郎の墓もある。仲蔵の横にある中村家の墓の墓碑を見ると、昭和37年にどなたかが入ってらっしゃる。仲蔵の子孫はちゃんと中村家として残ってらっしゃるのだと感心した。

仲蔵が定九郎のこしらえにお知恵をとお百度した柳島の妙見さま。都の防災計画にひっかかり移転を迫られた際、一発大逆転のマンション建設で移転を免れた。そのため、1階が妙見社で、2階から上がマンションというちょっと変わった構えとなっている。このあたりで妙見さんと言えば、ここと本所の妙見さんが有名だけれど、仲蔵が詣ったと言われているのはこちら。
このあたりの地名は業平。そう、在原業平に由来している。
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人は在りやなしやと
都鳥はユリカモメのことではないかと推定されている。この隅田川のあたりにはたしかにユリカモメが多い。散歩のついでにユリカモメを見に桜橋へ。
