いつだったか、行田の「さきたま風土記の丘」に行ったとき、その雰囲気のよさに驚いたことがあった。古墳って、そんな爽やかな雰囲気じゃないだろう、と。上野の摺鉢山だって、芝公園の丸山古墳だって、なんだか得も言われぬ雰囲気を十分に醸し出していた。それに比べ、ここの気持ちのよさはなんだろう、と。
でも、同じ埼玉でも、やはりそうした雰囲気を存分に撒き散らしている古墳がある。それがここ、吉見百穴であった。県道を荒川方面から来て、一歩右折した瞬間、明らかに雰囲気が変わる。
手前に岩窟ホテル、隣がやはり岩を掘って作った岩室観音堂。
写真で雰囲気が伝わりにくいのが少し残念だが、この観音堂も背筋が寒くなるような場所だ。何かべつのもんとつながちゃってるような、そんな奥深い恐ろしさを感じる。
別のものとつながっている。そう、胎内巡りがここにある。
「生まれかわるためには、もう一回、母の胎内にもぐらねばならない。そして、めいめいの魂が、胎内にやどされ、成熟し、生長し、ついには再び胎内から俗界へすべり出てこなければならない。入峰する、出峰するというのは結局のところ、「女体」の入口から入り、出口から出てくることである。もう一回生み出されるために、敢えてもぐりこみ、そして自発的にもがき出てくるのであるから、生まれたての赤ん坊のあの苦しげな表情でわかるように、はなはだしい苦行なしにすむはずがない」(武田泰淳「出羽三山」)
山伏の修行も、テーセウスの冒険もキーは同じく「生まれかわる」ことだ。その行をはなはだ簡略化したのが、この胎内巡りだろう。しかし、簡略化したとはいえ、入ってしまえば、そこはこの世でもあの世でもない、マージナルな場所である。やはり緊張する。第一、人がまるでいない。非常におっかないのであった。それにしても、ここで宗教学者ではなく、武田泰淳を思い出すのには訳がある。我ながら単純だと思うのだが。
そして、岩室観音堂のすぐそばにあるのが吉見百穴である。なぜかむかしから「ひゃっけつ」と読んでいたが、正式には「ひゃくあな」が正しいそうだ。以前はコロボックルの住居跡だという説もあったが、現在では古代の墓として定着している。
山一つにいくつもの穴があいている。
岩窟ホテルにしても、ここにしても、穴があけやすい土質なのだろう。ここに目を付けたものがあった。太平洋戦争末期の日本軍である。ここに穴を掘って中島飛行機の工場を疎開させようと企てたのだ。そのため、いくつもの墓が壊され、松代大本営のような地下施設「第二軍需工廠855号」が建設された。
現在は岩窟ホテル同様、崩落の危険があり、公開されている地下洞窟は軍の建設したものの1割程度にすぎない。
その石室も心ない者が落書きを彫っている。ここ、墓なのに、よく入って削ったな、と妙な感心をするが、やってはいけないことである。怖がりなくせに、なぜか自転車に乗ってこんなとこばかりやって来る、自分自身がとても不思議だ。
この吉見百穴には、もう一つ名物がある。それが国指定天然記念物の「ヒカリゴケ」である。そう、これで武田泰淳を思い出したのだ。
手前のぺんぺん草みたいなものじゃなく、後方で光っているのがヒカリゴケ。ここには適した環境があるらしく、横穴内で自生しているが、関東地方ではかなりまれな存在らしい。
有名か無名か、名所かどうかは意見が分かれるところだろうが、それほど遠くなければ一度訪れてもいい観光スポットだと思う。同じ町内には黒岩横穴群という、ここの倍くらいの横穴をもつと言われる遺跡があるが、まだ未発掘の状態。ここらへんは、なんだかとても楽しそうな場所であった。
でも、同じ埼玉でも、やはりそうした雰囲気を存分に撒き散らしている古墳がある。それがここ、吉見百穴であった。県道を荒川方面から来て、一歩右折した瞬間、明らかに雰囲気が変わる。
手前に岩窟ホテル、隣がやはり岩を掘って作った岩室観音堂。
写真で雰囲気が伝わりにくいのが少し残念だが、この観音堂も背筋が寒くなるような場所だ。何かべつのもんとつながちゃってるような、そんな奥深い恐ろしさを感じる。
別のものとつながっている。そう、胎内巡りがここにある。
「生まれかわるためには、もう一回、母の胎内にもぐらねばならない。そして、めいめいの魂が、胎内にやどされ、成熟し、生長し、ついには再び胎内から俗界へすべり出てこなければならない。入峰する、出峰するというのは結局のところ、「女体」の入口から入り、出口から出てくることである。もう一回生み出されるために、敢えてもぐりこみ、そして自発的にもがき出てくるのであるから、生まれたての赤ん坊のあの苦しげな表情でわかるように、はなはだしい苦行なしにすむはずがない」(武田泰淳「出羽三山」)
山伏の修行も、テーセウスの冒険もキーは同じく「生まれかわる」ことだ。その行をはなはだ簡略化したのが、この胎内巡りだろう。しかし、簡略化したとはいえ、入ってしまえば、そこはこの世でもあの世でもない、マージナルな場所である。やはり緊張する。第一、人がまるでいない。非常におっかないのであった。それにしても、ここで宗教学者ではなく、武田泰淳を思い出すのには訳がある。我ながら単純だと思うのだが。
そして、岩室観音堂のすぐそばにあるのが吉見百穴である。なぜかむかしから「ひゃっけつ」と読んでいたが、正式には「ひゃくあな」が正しいそうだ。以前はコロボックルの住居跡だという説もあったが、現在では古代の墓として定着している。
山一つにいくつもの穴があいている。
岩窟ホテルにしても、ここにしても、穴があけやすい土質なのだろう。ここに目を付けたものがあった。太平洋戦争末期の日本軍である。ここに穴を掘って中島飛行機の工場を疎開させようと企てたのだ。そのため、いくつもの墓が壊され、松代大本営のような地下施設「第二軍需工廠855号」が建設された。
現在は岩窟ホテル同様、崩落の危険があり、公開されている地下洞窟は軍の建設したものの1割程度にすぎない。
その石室も心ない者が落書きを彫っている。ここ、墓なのに、よく入って削ったな、と妙な感心をするが、やってはいけないことである。怖がりなくせに、なぜか自転車に乗ってこんなとこばかりやって来る、自分自身がとても不思議だ。
この吉見百穴には、もう一つ名物がある。それが国指定天然記念物の「ヒカリゴケ」である。そう、これで武田泰淳を思い出したのだ。
手前のぺんぺん草みたいなものじゃなく、後方で光っているのがヒカリゴケ。ここには適した環境があるらしく、横穴内で自生しているが、関東地方ではかなりまれな存在らしい。
有名か無名か、名所かどうかは意見が分かれるところだろうが、それほど遠くなければ一度訪れてもいい観光スポットだと思う。同じ町内には黒岩横穴群という、ここの倍くらいの横穴をもつと言われる遺跡があるが、まだ未発掘の状態。ここらへんは、なんだかとても楽しそうな場所であった。
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