「彼らとともにいて彼らを強める」
ジェフリー・R・ホランド長老
十二使徒定員会
今日わたしたちが願うのは,すべての男女が,心から互いを思いやるという決意をさらに深めてこの総大会を後にすることです
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このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会の2018年4月の総大会での説教のひとつです。
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(中略)
兄弟姉妹と「ともにいて彼らを強める」という主の戒めをさらに多くの人が理解できるように,そのような献身的な奉仕の最近の例を挙げましょう。
今年の1月14日,日曜日の午後5時過ぎのことです。若い友人のブレット・ハンブリンとクリスティン夫人は,アリゾナ州テンピの自宅で談話していました。ブレットはビショップリックでの一日の奉仕が終わり,クリスティンは5人の子供の目まぐるしい世話が一段落したところでした。
すると,突然クリスティンが意識を失ったのです。昨年,乳がんから無事に生還したはずでした。通報を受けて到着した救急隊員が,必死で救命措置を施しています。ブレットは請い願うようにして祈った後,2本の電話を入れました。1本は母に,子供の面倒を見てくれるよう頼む電話でした。そして,もう1本は,ホームティーチャーのエドウィン・ポッターへの電話です。後者の電話のやり取りの全貌は,こうでした。
電話の発信者表示を見てだれか分かったエドウィンは,言いました。「やあ,ブレット,どうしたんだい。」
ブレットは叫ぶような声で答えました。「すぐに来てくれ!」
何分もしないうちに,エドウィンはブレットのもとに駆けつけ,子供たちの世話をし,彼の妻を乗せた救急車の後を,ハンブリン兄弟を乗せて車を走らせていました。そうして,クリスティンが目を閉じてから40分とたたないうちに,医師がその死亡を宣告したのでした。
ブレットがすすり泣くと,エドウィンは長い,長い間,ブレットを抱き締め,ともに泣きました。そして,嘆き悲しむ集まった家族のもとにブレットを残して,エドウィンはビショップの家に車を走らせ,事の次第を伝えました。すばらしいビショップは直ちに病院に駆けつけ,エドウィンはハンブリン家に行きました。そこでエドウィンは,同じく駆けつけていた妻のシャーロットとともに,母親を亡くした12歳から3歳までのハンブリン家の5人の子供たちと一緒に遊び,夕食を食べさせ,即興で音楽の発表会を催し,寝かしつけました。
ブレットは後に,わたしにこう言いました。「驚くべきは,電話したらエドウィンが来てくれたことではないんです。緊急時に喜んで助けてくれる人はいつでもいますから。そうではなく,この話の驚くべきところは,彼のことが頭に浮かんだことです。ほかにも人はたくさんいました。クリスティンには,5キロ圏内に暮らすきょうだいが二人います。とてもすばらしいビショップもいます。でも,エドウィンとは,助けが必要になったら本能的に電話するような関係があったのです。教会では,愛し,奉仕し,わたしたちが神に近づけるよう助けてくれるような関係を兄弟姉妹との間に築いていくという,第二の戒めをよりよく実践する方法が確立されています。」
この経験について,エドウィン・ポッターはこう語っています。「ホランド長老,まったく皮肉なことに,ブレットが我が家のホームティーチャーだった期間の方が,わたしがブレット家のホームティーチャーだった期間よりも長いのです。その間ブレットは,割り当てとしてではなく,友人として訪問してくれました。すばらしい模範で,精力的に自ら進んで仕える神権者としての究極の姿でした。妻も,息子たちもわたしも,彼のことを,月末にメッセージを伝えに来るよう義務づけられた人とは見ておらず,通りを歩いてそこの角を曲がった所に住む友人であり,自分たちを祝福するためには何でもしてくれる人,と思っていました。ブレットからの借りをほんの少しでも返せて,うれしく思います。」
兄弟姉妹の皆さん,わたしは皆さんとともに,すべてのブロックティーチャー〔訳注—1850年代から20世紀初頭にかけて使われたホームティーチャーの呼び方〕とワードティーチャー〔訳注—1964年まで使われていたホームティーチャーの呼び方〕,ホームティーチャーと訪問教師を褒めたたえます。彼らは歴史を通じて,このように愛し,奉仕してきた人々です。今日わたしたちが願うのは,すべての男女,そして,かつての若い男女が,ただキリストの純粋な愛のゆえに,心から互いを思いやるという決意をさらに深めてこの総大会を後にすることです。自分の限界や力不足を感じている中にあって,——そしてわたしたちはだれもが問題を抱えていますが,——主と肩を並べて主のぶどう園で働き,人々の祈りにこたえ,彼らに慰めを与え,その涙をぬぐい,弱っているひざを強めるという,神の圧倒されるほどの働きを助けるという断固とした覚悟で,奉仕を行うことができますように。それを行うなら,わたしたちは,すべての人がなるべき,キリストの憐れみ深い弟子へと一歩近づくのです。この復活祭の安息日に,主がわたしたちを愛されたように,わたしたちも愛し合うことができますように,イエス・キリストの御名により祈ります,アーメン。
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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。赤字は強調付加しています。
※隣人を愛し助けることは、神さまの愛の業を助けることになります。
本日も、神さまの働きを助ける機会がありますように祈ります。
--------------------2021年5月6日