奉仕は与える者と受ける者に幸せをもたらす
わたしたちが存在するほんとうの目的は幸福を得ることです。そして,幸福を得る最も効果的な方法は,同胞に奉仕することです。
人類は皆,幸福を望んでいます。また,多くの人は最善を尽くせるように精いっぱい努力しています。
ところが,幸福を得るための確かな指針がナザレのイエスが語られた次の宣言にあることを知っている人は驚くほど少ないのです。
「自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのために自分の命を失う者は,それを見いだすであろう。」[マタイ16:25]
この意義深い聖句には名や権力よりもはるかに大きな価値が秘められており,それは世界中の富にも勝ります。
それは一つの原則であり,それを応用するならば,落胆や憂鬱を希望と喜びに変え,生活をとこしえの満足と平安で満たすことを約束してくれます。
これが事実ならば,この原則を受け入れることは 混乱した暗い今日の世界に恵みをもたらすでしょう。
では人々や国家はなぜそれほど貴重なものをないがしろにするのでしょうか。
自分の命を失う者はそれを見いだすという逆説的な言葉に含まれている真理は,人類が理解できないほどとらえにくいものでしょうか。あるいは,それが生活の苦労からあまりにも懸け離れているために,人々は現実的でないと考えるのでしょうか。
たとえそうであるとしても,「道であり,真理であり,命である」〔ヨハネ14:6参照〕御方がここに不変の律法を定められたという事実は依然として存在するのです。・・・
具体的に言えば,この律法は,「わたしたちはより良い幸福な世の中を作るために努力するときに,最も完全な生活を営む」ということです。
純血種,適者生存の法則は、他のすべてを犠牲にすることによって成り立つ自己保存の論理です。
しかしこれに対して,真の霊的な命の法則は他人のために自分の欲望を抑えることです。・・・
このような目的を抱いて〔多くの〕男女は,俸給なしに,進んで奉仕し,毎週〔何万人もの〕子供や青少年の人格を築き,霊的な成長を促すために教え導いています。これら役員教師の軍勢に加えて,……神権に聖任された男性たちは同胞の間に幸福と喜びと平安を広めるために可能な限りの時間と才能を差し出すという義務を引き受けています。
受けるよりも与えることにより多くの霊性が表れます。霊的に最も大きな祝福は他人を助けることによってもたらされます。もし惨じめな,思いをしたければ,兄弟に憎しみを抱くだけでよいのです。も
し憎しみを抱きたければ,兄弟を不当に扱うだけでよいのです。れども,もし幸せになりたければ,思いやりのある奉仕を行い,だれかを幸せにしてください。
世界中の誠実な男女の呰さん,利己心や憎しみ,敵意、貪欲を人々への奉仕の律法に置き換えられるよう,熱心に心を一つにし,それによって人類の間に平和と幸福を促進しようではありませんか。