イエス・キリストの福音をご紹介します。

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神は、求める人々に御自身を現してくださいます

2021-05-23 07:04:05 | 日記
キリストは隣人の中にあって理想的な生活を送る方法を教え,その模範を示してくださった

あの忘れられない裏切りの夜の晩餐の後で,主と,ほかの使徒たちとともに卓に着いていたトマスがこう尋ねました。

「どうしてその道がわかるでしょう。」

キリストの聖なる答えはこうでした。「わたしは道であり,真理であり,命である。……」(ヨハネ14:5-6)

確かにそうです。主はわたしたちの慰めの源,生命の息吹,そして救い主であられます。神との関係を知りたいと願う人は,イエス・キリストのもとに行きます。人の霊と体の不滅について知りたいと望む人は,救い主の復活によってそれがどのようなものであるか知ることができます。

隣人の中にあって,送るべき理想的な人生とは何かを学びたいと願う人は,イエスの生涯にその完全な模範を見いだすことができます。わたしたちの希望がいかに高尚なものであれ,望みがいかに気
高いものであれ,理想がどのようなものであるにせよ,わたしたちはキリストに完全さを見いだすことができます。ですから,道義をわきまえた人間にとっての規範を探し求めるとき,わたしたちは,
かのナザレ人のもとに行くだけでよいのです。その御方は人を完全な者とするすべての徳を備えておられるからです。

真理,正義,知恵,博愛,自制という徳が一体となって,このような完全な人格が作り上げられました。救い主のあらゆる思い,言葉,行いは神の律法と一致していたため,うそ偽りのないものでした。救い主と御父の間で意思を通わせる道は常に開かれていました。したがっ
て啓示によって下される真理は,常に救い主に知らされていました。

末日聖徒イエス・キリスト教会は「わたしがきたのは,羊に命を得させ,豊かに得させるためである」と語られたイエスの言葉が文字どおり真実であると考えています(ヨハネ10:10)。しかし,この豊かな命は,霊的に高められることによってだけでなく,イエスが教えられた原則を日々の生活の中で応用することによって得られると,わたしたちは信じています。


これらの原則は数少なく,単純なもので,望めばだれでも実践することができます。この中で第1の原則であり,真のキリスト教社会が築かれる基礎となるのは,「心をつくし,精神をつくし,思い
をつくし,力をつくして,主なるあなたの神を愛」することです(マルコ12:30)。

これは,生きておられ,子供たちを愛しておられる至高者を信じる信仰であり,人に力と活力を与えてくれる信仰です。

神はわたしたちが導きを求めて御前に行くことのできる御方であって,求める人々に御自身を現してくださるという確信です。

第2の原則は,命は神の賜物であり,それゆえ神聖なものであるという真理を受け入れることです。この賜物を正しく使うことによって,人は自然の奴隷ではなく,主人になることができます。肉体
的・精神的な欲求は,よくコントロールして,健康と長生きという恵みを受けるために利用すべきものです。また,熱情はほかの人々の幸福と祝福のために,人類を永続させるために従わせ,抑制する
必要があります。


第3の原則は個人の誠実さです。その意味は明白です。仲間からの信頼を得るほどに,日々正直にまじめに生活し,ほかの人の権利を尊重することです。この認識は個人と同様,国家にも当てはまります。個人が隣人から盗み,隣人を殺すのが間違っているのと同様,強大だからといって,国家が他国から盗み,抑圧することは間違っているのです


第4の原則は社会に対する意識です。個人は世界の一員であるため,より良い世界を築くのは個人の義務であることに目覚める必要があります。

救い主の生涯は,・・・・個人の清さと奉仕という原則に導かれていました。救い主御自身は世の汚れにまったく染まらずに,人々への思いやりと人類の救いのために生涯をささげられました。救い主は虐げられている者を世話し,病人を慰め、障害を持つ人を癒し,世のために御自分の命を与えられました。

人への接し方を大きく変える必要があります。世界の歴史を通じて,改善の必要性がこれほど強く求められた時代はありませんでした。キリストの教えを拒んだために,繰り返し災いを招き,休息と
平和と進歩の時期はいっときしか続きません。

物事の道理から考えれば明白であるのに,人々はなぜ尊大な利己心をキリストの説かれた原則に,すなわち,兄弟愛,公平,人の命の価値と尊厳,赦しの 美徳,偽善と貪欲の罪に対する非難,愛の持つ救いの力に,置き換えようとしないのでしょうか。

キリストの教会の会員は,かつてこの地上を歩まれた唯一完全な御方,罪のない人の子イエスを理想とする義務があります。イエス・キリストは,気高さの最高の模範,神のような属性,完全な愛,
贖い主,救い主,永遠の御父の汚れなき御子,光であり,命であり,道である御方です。

イエス・キリストは人が達すべき完全さを体現された御方であると,わたしは信じています。

「 歴代大管長の教え デビッド・O・マッケイ p.3~5 」

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※復活後の状態について

アルマはまた、復活について「すべてのものが本来の完全な造りに回復される」と教えています(アルマ40:23)。
多くの生きた証人が、聖文中の復活の記述が文字どおり成就したことを証あかししています。わたしの親族を含む多くの人々が亡くなった家族を示現または直接の現れによって見て、彼らが「本来の完全な造り」で最も充実した時期の姿だったのを目撃しています。これがすでに復活した人の現れか、約束された復活を待つ義人の霊かを問わず、死人の復活の真実性と特徴は明らかです。生まれつきの障害を持った人や、生まれてからのけが、病気、加齢により困難を強いられている人が「本来の完全な造り」に復活できるとは、何という慰めでしょうか

(2000年4月末日聖徒イエス・キリスト教会総大会 ダリン・H・オークス

十二使徒定員会 「 復活」の説教から抜粋)

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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。

復活後の状態について、ご存じない方のために、ご紹介追加しました。

赤字は追加しています。

本日は、安息日です。神さまの栄光のために、力を尽くせますように。

神さまの栄光のために、働く人々に祝福がありますように。