あの震災から一年が経ちました、立花学園高校釣り部顧問です。
昨日、平成24年度1年生の新入生オリエンテーションが行われましたが、
昨年の新入生オリエンテーション前日のことでした。
体育館の準備が終わり、釣り部部活動説明会場の確認をし
体育館の最終チェックのため体育館にいたとき、大きな揺れを感じました。
天井に収納されたバスケットボールのゴールが大きく揺れて、
折れるのではないかと思ったほどでした。
体育用具倉庫に逃げ込んだのを覚えています。
校舎の破損個所がないか確認し、職員室へ戻って校長先生に報告すると、
「六さん、大変なことになっているぞ!!」
テレビを見ると、気仙沼港で津波による激しい潮流の中でコントロールが利かなくなった
大型の輸送船が映し出されています。
生徒たちは2時間目で下校していましたが、部活中の生徒が100名ほど残っており、
視聴覚室に集合させ、家庭と連絡を取らせ、連絡のとれた者、迎えに来ていただける者
連絡がまだとれない者に席を分け待機させました。小田急線もすでに止まっています。
校長先生が、
「不安だろうからせめてお腹はいっぱいにしてあげよう」と配慮をしてくださり、
おにぎりやパン、飲み物を用意して下さいました。
私は日ごろから生徒たちに
「大きな災害が起こった時、俺は君たちを守るために死ぬのかもしれない、だから死んでもいいと思える君たちでいてほしい。」
話をすることがあります。
私が校長室でテレビを見て凍りついているころ、
被災地ではたくさんの教員たちが教え子を守るため、決死の誘導を試みていたのです。
助かった人、津波に飲まれて命を落とした人、みんな必死だったたんです。
震災から時間が経つに従って「行動が正かったのか」、批判される場面を目にしましたが、
みんな必死だったんですよ。
想像するたびに心が張り裂けそうになります。
最終的に35名の生徒が宿泊することになりましたが、
たくさんの教員も学校に残り、一夜を明かしました。
ほとんど徹夜で着替えもなく新入生オリエンテーションを行ったことを覚えています。
コンビニエンスストアからお弁当が消え、カップラーメンが消えたのがこの日からでした。
Mが持っていたカップラーメンを2人で分けて食べたのを記憶しています。
直接被災された方にはまことに失礼な表現ですが、
残ってくれた教員たちと一晩懸命に生徒たちへの対応をする中で、
残っってくらたからどう、ということではなく
「あぁ、この人たちとここで仕事をしていけばいいんだ。」という、奇妙な一体感というか、信頼関係というか、
そんなことを感じていました。
被災された地域の方々の1日も早い復興と、
命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。
特に教え子の命を守り切れず、無念の思いで亡くなっていったたくさんの教員の御霊が安楽なものとなりますように。
震災後、ブログにいろいろなことを書いていますね、よかったらみなさんも読み返してみてください。
昨日、平成24年度1年生の新入生オリエンテーションが行われましたが、
昨年の新入生オリエンテーション前日のことでした。
体育館の準備が終わり、釣り部部活動説明会場の確認をし
体育館の最終チェックのため体育館にいたとき、大きな揺れを感じました。
天井に収納されたバスケットボールのゴールが大きく揺れて、
折れるのではないかと思ったほどでした。
体育用具倉庫に逃げ込んだのを覚えています。
校舎の破損個所がないか確認し、職員室へ戻って校長先生に報告すると、
「六さん、大変なことになっているぞ!!」
テレビを見ると、気仙沼港で津波による激しい潮流の中でコントロールが利かなくなった
大型の輸送船が映し出されています。
生徒たちは2時間目で下校していましたが、部活中の生徒が100名ほど残っており、
視聴覚室に集合させ、家庭と連絡を取らせ、連絡のとれた者、迎えに来ていただける者
連絡がまだとれない者に席を分け待機させました。小田急線もすでに止まっています。
校長先生が、
「不安だろうからせめてお腹はいっぱいにしてあげよう」と配慮をしてくださり、
おにぎりやパン、飲み物を用意して下さいました。
私は日ごろから生徒たちに
「大きな災害が起こった時、俺は君たちを守るために死ぬのかもしれない、だから死んでもいいと思える君たちでいてほしい。」
話をすることがあります。
私が校長室でテレビを見て凍りついているころ、
被災地ではたくさんの教員たちが教え子を守るため、決死の誘導を試みていたのです。
助かった人、津波に飲まれて命を落とした人、みんな必死だったたんです。
震災から時間が経つに従って「行動が正かったのか」、批判される場面を目にしましたが、
みんな必死だったんですよ。
想像するたびに心が張り裂けそうになります。
最終的に35名の生徒が宿泊することになりましたが、
たくさんの教員も学校に残り、一夜を明かしました。
ほとんど徹夜で着替えもなく新入生オリエンテーションを行ったことを覚えています。
コンビニエンスストアからお弁当が消え、カップラーメンが消えたのがこの日からでした。
Mが持っていたカップラーメンを2人で分けて食べたのを記憶しています。
直接被災された方にはまことに失礼な表現ですが、
残ってくれた教員たちと一晩懸命に生徒たちへの対応をする中で、
残っってくらたからどう、ということではなく
「あぁ、この人たちとここで仕事をしていけばいいんだ。」という、奇妙な一体感というか、信頼関係というか、
そんなことを感じていました。
被災された地域の方々の1日も早い復興と、
命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。
特に教え子の命を守り切れず、無念の思いで亡くなっていったたくさんの教員の御霊が安楽なものとなりますように。
震災後、ブログにいろいろなことを書いていますね、よかったらみなさんも読み返してみてください。