無謀なチャレンジ

2007-02-04 20:45:04 | ひとりごと

【無謀なチャレンジ】2007・2・4


なぜ、そんな無謀なチャレンジをしたのか?


 


競泳選手になったのは、小5の誕生日翌日。


大学2年の3月にマネージャーになるまでの9年間、競泳選手をしていた。


 


大学2年の12月、監督から「チームを裏から支える立場になってくれないか?」と言われた。


水泳を活かして大学に進学したのだから『オレはマネージャーになるために入学したんじゃない!』という気持ちが強かったので、即答できなかった。


出した答えは「3月の大会まで泳がせて欲しい」


監督も「両方兼務してくれるのであれば」と承諾してくれた。


自分が納得できる形で選手を終えたかったから・・・。


納得できたかどうか?


それは今のオレの立場を見れば分かるだろうが、納得していないからココにいる。


 


『オレはまだやれたはずだ・・・』


『自分に負けたくはない・・・』


そんな気持ちが強かったが、2年間は裏からチームを支える立場になった。


その時は『なんでだ!』と思っていたが、最後のインカレでオレを含めて三人しかいなかった同級生の二人が


「ありがとう。お前がいてくれて良かった」


そう言ってくれた時、涙が止まらなかった。


『あ~、マネージャーになって良かったな』って。


その時に学んだことが社会に出てから、とても役立っている。


 


話がずれるが、監督の様態があまり芳しくないようで、三人で25日に広島まで会いに行ってくる。


いつも「お前の結婚はまだか?」と楽しみしていてくれるが・・・残念ながら、監督が生きているうちには無さそうだな・・・。


 


~本題へ戻る~


 


高校時代、1日1万M近く練習していた。


年に3回ある合宿では、1日4回練習で4万M近く練習した。


日曜日は2回練習で休みは月曜日のみ。


そんなことをしてきたオレには“元選手”としてのブライドがある。


だから、練習しなくたって50Mや100Mでは簡単に泳ぎ切れてしまうと分かっていたから、200Mにチャレンジした。


まともに練習などしていない者が200Mは泳げないと思っている。


 


時間にして約40秒ほどで無酸素運動は終わる。


あとは筋肉を動かすために酸素が必要となるのだが、酸素を上手く使えないと乳酸と呼ばれるエネルギーのカスみたいな物が蓄積していく。


だから、練習していない者は耐乳酸能力が低く、どんどん分解されずに蓄積していき、バテていくことになる。


つまり、練習していなければ相当きついことになる。


だから、200Mの種目にチャレンジした。


無理なことにチャレンジしなければ・・・チャレンジにならないと思っているから。


 


選手としてやってきたプライドと誇りは今でも持っている。


よく人は「あの人、プライドが高いから」なんてことを言うが、オレは使い方を間違えていると思っている。


それはプライドなんかではなく、単に自惚れが強いだけだ。


プライドという言葉は、もっともっと純粋でいい意味を持ったものだ。


プライド=自分自身への誇りであり、自分という人間を認める、信じられるということだとオレは思っている。


決して、自惚れなんかではないと思うのだが・・・。


 


“勝ちたい!”と思うことから始まって、勝つためにどうするべきかを考えて、行動する。


すると『自分はこれだけやってきた』という自信が生まれることにより“負けたくない!”になる。


そして、自信を積み重ねて確信が生まることにより、“負けない!”になる。


 


“勝ちたい!”と思っているうちは勝てない。


なぜなら、その時点では何も行動していないからだ。


だから、“勝ちたい!”と思っている時点で既に負けていることになる。


オレはそう思っているから、“勝ちたい!”ではなく、“負けたくない!”の方がいいと思う。


 


オレが“負けたくない!”と思っているのは、弱い自分自身。


人に“勝ちたい!”なんて、これっぽっちも思っていない。


でも、確信を持てるほどのことはしていないから、まだ“負けない!”にはなれない。


 


“負けたくない!”が本物かどうかを自分自身で確認するために200Mにチャレンジした。


負けたかどうか?・・・最後までレースを捨てずに諦めないで泳ぎ切れたかな?


 


何かにチャレンジするというのは、“勝ちたい!”からではなく、“負けたくない!”からではないかと思う。


どう思う?


 



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