私は父の背中から真面目さと厳しさを投影されながら育った。
幼い頃、父と一緒に食事するなどということはほとんどなかった。
ひどい日には家に帰ってきていながらも顔すら一度も見ることなかった日もある。
でも、必ず夏休みや正月にはどこかへ連れて行ってくれた。
もちろん、父と一緒に遊んだ記憶などほとんどない。
“あいさつ”には特に厳しく、人前であろうがきちんと出来なければきつく叱られた。
しかし、勉強の事や水泳の事で叱られたことは一度もない。
逆に勉強や水泳の事で褒められたこともない。
『黙って見守ること』
それが父の子育て方法だったのかもしれないし、ただの放ったらかしだったのかもしれない。どちらかは分らない。
私は母の背中から我慢強さと思いやりを投影されながら育った。
幼い頃、ほとんど一人で子育て(私と妹)をしていた。
出来の悪いバカ息子を抱え、さぞストレスがかかっていたことだろう。
多趣味だったので、いろいろなことにチャレンジしていた。
造花、陶芸、絵・・・。
今思えば、それが母のストレス発散方法だったのかもしれない。
遊んでいて自転車の鍵を失くしたことあった。
母は「自分で探していらっしゃい」と探し出すまで家に入れないと言ったことがある。
私は真っ暗な中で1時間も2時間もの間、泣きながら探し続けた。
遠くに母の姿があることを私は気付いていた。
母は私が泣きながら探し続けている間、小さな妹を連れてずっと見守っていた。
何時間も探したが見つからない。
母は「一生懸命探したけど見つからなかったね。もういいよ、帰ろう」と言ったが、頑固者の私は「見つかるまでは帰らない」と。
意地っ張りな私は鍵を見つけ出した。
見つけ出した鍵を誇らしげに母に見せた時、「よく見つけたね」と褒めてくれた。
「人に思いやりを持ちなさい」というのが、私に対する母の口癖だった。
何を指して、何を見て、私にそれを言い続けたのかは分らない。
私はそんな父と母の背中を見て育ってきた。
もちろん、コーチや教師、周りの大人から学んだこともたくさんあるが、父や母の背中から投影されて学んだことに比べれば、極めて限られた事柄のみである。
私の人間形成に大きく関与し、影響を与えたのは言うまでもなく父と母である。
そして、父と母の背中に映し出された姿を見て、子どもながらに自身でその良し悪しを判断し、吸収してきたつもりである。
あなたは自分の子どもに何を投影してあげられますか?
あなたは自分の生き方を胸張って子どもに話せますか?
私は子どもを持たない大人です。
ですから、私は我が子に自分に生き様を投影してあげることはできない。
死ぬまでには我が子を手にし、自分の背中を投影したいと思っています。
子どもに投影できる背中を持つのは、父と母にしかできない大役である。
2007・5・18
From Ken-O