今年の目標は「妥協しない」
子ども達の前で言ったことを覚えている
その言葉はずっと前からオレが壁にぶつかっていたことを意味する
オレはいつもストレートだ
子どもの頃からちっとも変わっていない
すぐに顔にも出るし、口にも出してしまう
もちろん言葉こそ選べるようになったが、見る人が見れば、必ず分かってしまうほど表情に出てしまう
よく知る者にはオレの表情の変化には気付いてもらえるだろう
しかし、あまり知らない人からすれば、いつも怪訝そうな表情や難しそうな表情をしているために与える印象は相当に悪いことだろう
昔からかなり人見知りをする
仕事ではそんなことを言っていられないので何とか凌いでいる
でも、仕事以外では今もその性格はなかなか直らない
だからどうしても“こころ”を許すまでは上手く表情が作れない
生き方もストレートそのものだ
壁にぶつかった時、賢い人なら遠回りをしたり、別のルートで目的地に辿り着くことだろう
でも、幼稚なオレはそんな器用なことはできない
とても不器用で無格好な生き方しかできない
壁にぶつかり、越えようと思ったのならば、ひたすらによじ登る
壁にぶつかり、越えようと思ったのならば、何度落ちてもよじ登る
遠回りをしたり、ルートを変えることは、それは、不器用なオレにとっては最後の手段になる
つまり、そのチャレンジを諦めたという時にあたる
いつも真っ直ぐにしか進めない
いつもひたすらにしかできない
それがオレの長所であり、短所でもあるのだろう
長所と短所はいつも表と裏である
どちらが表でどちらが裏なのか
そんなことはオレには分からない
でも、それがオレの個性であり、“自分らしさ”の一つなのだろう
人は「そこがお前の短所なのだよ」と裏を指すかも知れないが、オレにとってはそれが“自分らしさ”であり、長所でもある表である
あまり人の眼は気にしたくない
人の眼を気にしながら、よそよそしく生きるのはかなり疲れる
不器用な生き方しかできないから、人に世辞を言うのも人に媚びるのも下手だ
自分が下手だからなのだろうか、人から世辞を言われるのも人から媚びられるのも極端に嫌う
だから、相手が子どもだろうがその保護者だろうがお偉いさんだろうができるだけ表と裏は作りたくはない
“自分らしさ”を見てもらえばいい
そうすることで、オレの“こころ”の眼はどんどん鋭くなっていくはずだ
人を含めて、物事は目で見るのではなく、“こころ”の眼でみることが大切なのだ
“こころ”の眼を養うためには、表も裏も必要ない
必要なことは“ありのまま”であることだと思う
結局、どれだけ壁を越えようが、どれだけ学ぼうが、昔から持っていた元々の考え方に戻ってきた
それが『自己哲学』ということになるのだろうか
今年はそれに気付かされた一年だったと思っていると同時に、自分としっかり向き合うことができた1年だったと思っている
これは、自分一人だけでやれたことではない
周りにいる子ども達や大人達によって気付かされたことで、一人では決してそこには辿り着くことはできなかった
人の温かさも冷たさも感じた
人は“傷付け”“傷付き”でしか成長していけないと感じた
全て自分の成長のために必要なことなのだと感じた
人に対してすごく感謝の気持ちを持てるようになったと思っている
どれだけ成長できたのかも本当に成長できたのかも分からない
苦しい時の方が多かった気がする
しかし、過ぎ去った過去のことであって『今』のことではない
『今』は元の“自分らしさ”に近づきつつあると思う
それを考えると嬉しいことも多かった気がする
歩んできた365日を振り返ると昨日のことのようだ
これから迎える明日、1週間後、1ヶ月後、3ヶ月後・・・365日後はまだまだ先のことのように思えるが、実際には自分が思っているよりも時の流れは早いのだろう
とにかく『今』を大切に生きていこうと強く思えた一年だった
2006年はオレにとって、とてもとても意義のある1年だったと思う
そして、2006年に学んだ様々ことや気付いた様々なことを活かせる2007年を過ごしたいと思う
『I've Been Working on the Railroad』
2006・12・31
From Ken-O
追伸
この1年間でとても多くの方がココにお立ち寄りいただきました。
本当に感謝しております。
私はこれからも自分の思ったことを自分の考え、言葉を持って表現していくつもりです。
共感されることもあれば、嫌な思いをされることもあるかもしれませんが、2007年も多くの方が足を運んでくださればと思っています。
是非、2007年もお立ち寄り下さい。お待ちしております。
皆様にとって、2007年が良き年でありますことを願っております。
一年間、本当にありがとうございました。
『一とは
原点
一とは
じぶん』
【相田みつを「いまから ここから」より】