いつも思う。
「殺意はなかった」「殺すつもりはなかった」。。。
でも、実際に人は死んだ。
殺意があろうとなかろうと、殺すつもりがあろうとなかろうと、人が殺されたのは紛れもない事実だ。
にもかかわらず、そこが論点、争点となる裁判って何?????
意味不明。
裁判官も弁護士もバカ???
殺意があろうがなかろうが、殺すつもりがあろうがなかろうが、人を殺した事実は変わらない。
戦争してもテロを起こしても「殺意はなかった」「殺すつもりはなかった」がまかり通るのか???
「こうしたら人は死ぬ」
そんなことは予測できる。
にもかかわらず、そこが論点、争点になるのが全く理解できない。
事実は一つだ。
人が殺されたということだけ。
だから、殺意があろうがなかろうが、殺すつもりがあろうがなかろうが、殺人なのだ。
だから、それ相応の罰を受けるのが当たり前なのに、誰もそこを突かない。
誰が見てもこれは危険な運転だろう。
高速道路で車を止めれば、事故が起こる可能性は容易に予測できる。
にもかかわらず、
「追突事故が停車後に起きたことなどから危険運転致死傷は当たらない」
と言っている弁護人がいるって世界が狂っとるわ。
加害者側の罪を少しでも軽くする、無実を証明するってのが加害者側の弁護人の役割だとはわかるが。。。
正義ってないのかな?
弁護士って、どういう仕事なんだろうな。
ポリシーとか正義というプライドないのかな?(笑)
意味が分からん。