昔から
「えらそーに」とか「一丁前に」とか。。。
全く変わらない。ということは全く成長がないということ。
人は子どもであろうが大人であろうが老人であろうが生きている限り成長し続けることができる。
しかし、成長するためには謙虚な気持ちを持っているとかどうかということ。
「コイツは頑固だ」と言われるが、理不尽なことをいうので頑なになるだけのこと。
子どものころから理不尽なことを一方的に言われるから心を閉ざすだけのこと。
子どもは親の道具ではないのである。
そのことに気が付かないバカな親はたくさんいる。
いや、子どものことを思うがためにバカな親になってしまう親がたくさんいるのだろうな。
だからオレは親にならない。第三者としての眼が見えなくなるから。。。
オレがコーチとして最も望んだこと。
それはコーチであるオレを教え子達が越えていくこと。
いつまで経ってもオレを越えられないようでは社会では話にならない(笑)
オレが教えた子どもがオレを越えていくこと。
ものすごくワクワクする素晴らしいことだと思わない?それとも生意気にと思う?
どっちでしょうね。きっと親もどちらかだと思うけどね。
一方的という言葉を使ったが、現在よく言われているのは二方通行。
人とのかかわりには、一方通行と二方通行がある。
よく勘違いしている人がいる。
「こんにちわ」と言ったら、「こんにちわ」と返してきたからちょんと二方通行で会話をしているという愚かな人がいる。
それは全くの間違い。
昔も書いたことが会話というのは重要なコミュニケーションのツールである。と同時に携帯やパソコンでのメールもコミュニケーションのツールである。電話もそう。では、メールや電話をしているから二方通行で接してますよという人はいないだろう。
でもメールや電話では決して二方通行にはなりえない。
なぜか?
表情が見えないから。
二方通行のコミュニケーションというのは会話をさしているのではなく、相手の表情を見て様々なことを判断し接していくこと。だから、会話もコミュニケーションのツールの一つに過ぎないということ。大切なのは相手の表情や心理を理解しようとすること。
子どもが嘘をついた。嘘をついたということだけを一方的に叱りますか?それとも理解するために何故かを探し出しますか?
何故かを探し出すことが最も必要なことで子どもがついた“嘘”を共有してあげられる。
それが二方通行ということ。
そうですよ、二方通行というのは会話をしているから大丈夫ではなく、共有できたかどうかだとオレは思う。
その考えが正しいかどうかわかりませんが。。。
少なからず現時点ではこれがオレのベストアンサー。
オレのベストアンサーを覆すだけの理論で説得されなければこの理論が正しいとする。
それを頑固というのか?(笑)
頑固と言われれば頑固だとなるのだろうが(爆)
会話をしているから大丈夫。話をしているから大丈夫。
それは究極の一方通行であるということに気が付かない愚か者はたくさんいる。
くだらん。
前に書いた自発性。
本当のことをしゃべりたくなるような環境を作ってやる。
一般的には子どもより大人のほうが強いとされているのだから大人が少しきつめに言えば子どもは口を割るかもしれない。が、根本的な解決になっていないので再び同じことをする。でも上手くいけば大人から上から目線で攻められずに本当のことを言わなくても済むむかもしれない、嘘がバレないかもしれないと子どもは考えるようになる。だから嘘をついたり、ごまかそうとしたりする。
「子育てしたこともないのに生意気だ」とバカげたことを言う奴がいるかもしれないが、子育てしたことがないからこそ固定概念などオレには存在しない。「子育てをしているから子育てしたこともないくせに」と言っている奴が最もバカだと(笑)
子育てしたことのないオレに子育てしたことある奴がボロかす言われちゃうんだからそっちのほうが情けないと(爆)
過去は過去。
未来は未来。
「今」がなければ、未来に道は続かない。
過去がなくても「今」はある。「今」があれば未来もある。
過去がどうあれ、「今」を大切にすれば人生をやり直すことなど難しくない。
過去を大切にすることも非常に大事だが、それ以上に大切なのは「今」である。
久しぶりにしっかりと自己主張日記を書いたな(笑)